北斗晶とは、株式会社健介オフィスの代表取締役社長兼ファイティングマネージャーを務めるタレントで、元女子プロレスラー、そして、佐々木健介にとって大切な鬼嫁である。
十数代続く農家の出で、本名は佐々木久子(旧姓:宇野)。二児の母で現在も夫のセコンドを勤める。意外に思われるかもしれないが料理上手であり、洋服・雑貨店を勤められたほど手先が器用。鬼嫁で売っているが愛のエプロンではブリにおびえるなど、乙女の一面を覗かせることも。そんな彼女は『ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜』がフェイバリット・ソングである。
神田女学園中学校卒業⇒同校併設高校中退。これは女子プロへの道へ進むためであった。そして、信じられないことにものすごいお嬢様な挨拶を学友と交わしていたという。1985年6月に全日本女子プロレスより宇野久子(当時の本名)でプロレスラーデビュー。1986年3月には全日本ジュニア王座を奪取。だが、1987年の試合にて首の骨を折り長期欠場を余儀なくされる。医者からは引退勧告をされたが、プロレスへの想いとファンの後押しにより復帰。1988年には現在の芸名でもある北斗晶に改名。1990年代に入ると後輩、先輩らと激しいバトルを繰り広げ、女子プロレスの質を高めることに成功。その過程で神取忍と血みどろの抗争を繰り広げ、デンジャラスクイーンと呼ばれるようになる。「レイナ・フブキ」のリングネームでメキシコのEMLLでも活動したがWWWA世界シングル王座には届かなかった。
そんな最中、北朝鮮主催のスポーツと平和の祭典に参加した彼女に運命の花が咲く。夫・健介との出会いであったのだ。恋に落ちた二人は1995年10月1日に結婚、北斗はフリー、WCWを経てGAEA JAPANに入団。さすがに長男出産前後は試合を控えたが子育てが一段楽したときにはリングに復帰。日本では初めてとなるママさんレスラーとなった。女子プロレスシーンに新たな風が吹き込むかと思われた矢先である。彼女の友人の中に自身と同じく幼い子を持つ女性がいたのだが、その人物が亡くなったのだ。これをきっかけに彼女は2002年4月7日、里村明衣子をパートナーにした長与千種・浜田文子組戦を持って引退した。
引退直後は主婦業に専念していたが、WJプロレス退団後苦労する夫健介を支えるべく、健介のマネージャー役としてプロレス界に復帰を果たす。そして、2004年に健介を中心としたプロレス団体である健介officeを設立。「埼玉の主婦の喧嘩」と称して全日本プロレスで試合をすることもあるので奥様キャラは要注意。同時にタレント活動も開始、主にバラエティ番組に出演。2005年11月15日には健介officeを株式会社化(2012年からはプロレス団体としての事業をダイヤモンド・リングに改称、健介オフィスはマネジメント事務所となった)、代表取締役に就任する。鬼嫁、時々乙女となる北斗にときめく男性がいるとかいないとか。だが、彼女は健介の嫁だ。
なぜか怪我に縁があった現役時代。事実、万全の体制で試合に臨んだ姿が少なく、そんな姿で懸命に相手と対峙する姿に感動を覚えたファンもいるのではないだろうか。やはり、クラッシュギャルズがいなくなった後を支えたいという思いがあったからかもしれない。以下、彼女の怪我にまつわるエピソード
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最終更新:2025/12/11(木) 21:00
最終更新:2025/12/11(木) 20:00
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