オカベマサツナ
「岡部正綱」(おかべ・まさつな 1542 ~ 1583)とは、東海一の弓取りと言われた今川義元に仕えて16歳の初陣時に敵の首二つを挙げた武将であり、戦国大名・今川家滅亡の際に、甲斐の虎・武田信玄より、
「一人の兵を得るのは容易いが、一人の将を得るのは難しい」
礼を尽くされて迎えられ、武田家滅亡後は、人質時代に好意的に接した徳川家康の家臣となって甲斐平定に貢献したもっと評価されるべき今川家の勇将。
今川家の後継者争い「花倉の乱」にて、今川義元を支援した功績から重臣となった岡部親綱の子に生まれる。
今川義元への人質として駿府の今川館に送られてきた徳川家康が、他の今川家臣から冷遇される中で、年の近い少年同士だったことや、岡部家が少年徳川家康に助力するなどの好意的な態度をとっていたことから、共に勉学や武芸に励み、分け隔てなく遊び学ぶ少年時代を送った。
※後年、このときに人質の徳川家康を分け隔てなかった事が岡部正綱を救うことになる。
16歳での初陣において敵の首二つを挙げる戦功を上げ、今川家中の若き勇将として名を馳せ、桶狭間の戦いで主君・今川義元が織田信長に討たれると、後を継いだ今川氏真を支えた。
三国同盟を一方的に破棄して駿河に侵攻してきた武田信玄により、今川館は焼かれて国を奪われたが、武田信玄が甲斐に戻った際に、岡部正綱は反撃の兵を挙げて今川館を奪還した。
※主君の今川氏真は、朝比奈泰朝の掛川城から妻の実家・後北条家へと脱出していた。
再び駿河に侵攻してきた武田信玄の軍勢を迎え撃ち、岡部正綱の退かぬ!媚びぬ!とその武勇に、大被害を予想した武田信玄は、臨済寺の僧・鉄山宗鈍を仲介役として今川氏真の助命等の諸条件と引き換えに、今川館を開城した。
戦国大名としての今川家が完全に滅んだ後は、その武勇と精錬さを見込んだ武田信玄より
「一将は得難く、万卒は得易し」
との高い評価をうけた事等から、岡部正綱は甲斐武田家に仕えることとなり、実力があれば外様でも重用する武田信玄より駿河先方衆に任命された。
旧友・徳川家康との三方ヶ原の戦いや、武田信玄没後の長篠の戦いに従軍して活躍した岡部正綱だったが、武田信玄の後継者・武田信勝が成人するまでのピンチヒッターだった武田勝頼が譜代家臣を重視した事から、重用されなくなったことや、遠江国の高天神城で徳川家康の猛攻に耐えていた実弟・岡部元信の救援依頼を、武田勝頼が握りつぶして援軍を送らず、結果、弟・岡部元信が玉砕したこともあり、武田勝頼に失望した岡部正綱は、武田家を離れた。
武田家を離れて浪人となった岡部正綱は、幼少時の旧友で、分け隔てないつきあいに恩義を感じていた徳川家康により、徳川家に向い入れられる事となった。
※今川家の敵の武田家へ、武田家の敵の徳川家へと、二度も直前に敵対していた側へと登用された事になる。
武田家が織田信長の手により滅亡し、その信長もまた本能寺の変により死ぬと、混沌な状況となっていた武田家の旧領・甲斐国の覇権を握らんとする徳川家康は、武田信玄の三国同盟破棄により仲睦まじい嫁と別れた事から甲斐を狙ったと思われる北条氏政と激突した。
優勢な北条軍を前に撤退することとなった徳川軍だったが、酒井忠次ら譜代の家臣が、そろいもそろって死亡率も高いが名誉職である殿軍を引き受けようと「おれがおれが」状態なところに、譜代家臣を失いたくないという徳川家康の気持ちを汲み取った岡部正綱が、生きて帰らぬつもりで殿軍を引き受けた。
北条軍相手に、今川館で武田軍に相対していた頃の様に一歩の退かずに戦った岡部正綱の奮戦により、徳川家康は軍勢が撤退するまでの時間を稼ぐことが出来た他、死ぬつもりだった岡部正綱も無事に生還し、功績により7600貫の知行を与えられた。
その後は、旧武田家臣達の取り込みに尽力し、武田勝頼の菩提を弔ったり、織田信長によって焼かれた寺を復興させたり、毎夜毎夜宴会を開いたりして、武田の旧臣達を徳川につかせる等の功績をあげる中で病死した。
その死因には、毎夜の宴会によるアルコール中毒によるものとの説がある。
岡部正綱の功績により、子の岡部長盛は美濃大垣藩5万石の大名となり、孫の岡部宣勝は和泉岸和田6万石の大名に取り立てられた。
※その他「岡部正綱」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
戦国大戦の彼は、精鋭遊撃術という独自計略を持っている(恐らく移動速度が上がるのは競馬で岡部幸雄という騎手が居たからと思われる)。ver1.0X時代は騎馬より若干遅い機動力の武力が上がるだけの計略という微妙さで弟岡部元信が強すぎたのもあってほとんど使われなかった彼であるが、Ver1.10になり本人の武力が4→5、更にシステム面では弓足軽の移動速度上昇、これにより騎馬より速い岡部兄が出来上がってしまい、更に統率を上げなくても武力10の騎馬より速い弓が試合時間の1/3も降臨するという事態となりやっと評価された。とりあえず岡部兄入れとけ的な空気が流れたレベルで今川ならほぼ彼が確実に居たというくらい。
しかし暴れ過ぎたため1.11では武力上昇値低下、移動速度低下、効果時間短縮、統率依存低下と散々な下方修正を受けてしまった。出る杭は徹底的に打つSEGAの姿勢が見て取れる。
▼開始時から蹴鞠王・今川氏真の家臣として登場する「蹴鞠王の本気」
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S2) | 戦闘 | 39 | 政治 | 51 | 魅力 | 44 | 野望 | 41 | ||||||
武将風雲録(S3) | 戦闘 | 56 | 政治 | 73 | 魅力 | 62 | 野望 | 66 | 教養 | 51 | ||||
覇王伝 | 采配 | 73 | 戦闘 | 61 | 智謀 | 47 | 政治 | 52 | 野望 | 44 | ||||
天翔記 | 戦才 | 124(B) | 智才 | 120(B) | 政才 | 136(B) | 魅力 | 68 | 野望 | 45 | ||||
将星録 | 戦闘 | 57 | 智謀 | 67 | 政治 | 68 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 49 | 戦闘 | 51 | 智謀 | 58 | 政治 | 64 | ||||||
嵐世紀 | 采配 | 41 | 智謀 | 48 | 政治 | 54 | 野望 | 49 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 36 | 知略 | 48 | 政治 | 56 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 38 | 知略 | 46 | 政治 | 56 | 教養 | 46 | ||||||
革新 | 統率 | 61 | 武勇 | 44 | 知略 | 52 | 政治 | 63 |
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11ななしのよっしん
2015/11/07(土) 19:58:30 ID: nhDfuIH69I
画像検索が…
12ななしのよっしん
2017/12/28(木) 20:44:50 ID: CRUVqDh+y7
>>4
織田家のためというより徳川家のために低く設定されてるじゃないかな。独立直後の徳川であれば桶狭間の後の今川家でもうまく立ち回って潰すことが出来るから、これ以上の強さがあると徳川家が簡単になくなってしまう。
13ななしのよっしん
2018/08/06(月) 09:11:54 ID: 2oX2+ZecnN
>>11
ケモナー、とりわけメスケモナーは企業からの供給に飢えてるからしゃーない。
最近増えてきたとはいえ、商業からのメスケモキャラ供給なんて数年に一度あるかないかだからな。
あのゲームでなぜ今川絡みがケモノじみてるのかは謎だが…
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最終更新:2021/04/14(水) 02:00
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