御嶽海 久司(みたけうみ ひさし)は、出羽海部屋所属の現役大相撲力士である。
1992年12月25日生まれ、長野県木曽郡上松町出身。身長178cm、体重153kg、血液型はO型。本名は大道 久司(おおみち ひさし)。父親が日本人、母親がフィリピン人のハーフである。2014年2月に出羽海部屋を継いだ現在の出羽海親方(元幕内・2代目小城ノ花)にとっては一番弟子に当たる。長野県からは関取が長らく途絶えていたが、御嶽海の出世により47年ぶりの関取誕生となった。
入門当初から名乗る「御嶽海」の四股名は、故郷の御嶽山の「御嶽」と、出羽海部屋の名前から「海」を取った命名である。本名の「大道(おおみち)」は、2015年3月場所の入門当時は十両に同じ字の「大道(だいどう)」という力士がいたため名乗ることができなかった。その大道は2015年7月場所で一度だけ対戦し、勝利している。ちなみに、大道は2016年1月場所限りで引退したため、入門があと1年遅ければ名乗ることができた。
小学生時代に地元の相撲大会で敗れたことがきっかけで、本格的に相撲を始めた。高学年になると全国大会でも実績を残すようになり、東洋大学時代は通算15冠に輝いた。4年次にアマチュア横綱と学生横綱の2つのタイトルを獲得したことで幕下10枚目格付出の資格を獲得したが、大学時代に相撲部屋を見学したことで厳しい大相撲の世界へ進む考えはなくなっており、実業団の強豪である和歌山県庁への就職が一旦は内定した。家族も呼んで一緒に和歌山に住むことも検討していたが、当時関取不在となっていた名門の出羽海部屋を立て直すために即戦力になる弟子が欲しかった出羽海親方から強く説得をされて、大相撲入りを決意することになった。ちなみに、同学年の北勝富士(本名:中村大輝、日本体育大学→八角部屋)は、大学時代から御嶽海のことをライバル視している。
2015年3月場所で初土俵を踏むと、幕下2場所、十両2場所と非常に早いペースで出世をし、同年11月場所では髷も結えないまま新入幕を果たし、見事に勝ち越し。翌2016年1月場所はインフルエンザに罹って途中3日間休場したため自身初の負け越しとなったが、翌3月場所は10勝5敗の好成績、続く5月場所では11勝4敗で敢闘賞を受賞し、上位に躍進、同年11月場所では新三役となる小結に昇進したが、6勝に留まり負け越した。平幕に落ちて迎えた2017年1月場所では、日馬富士と鶴竜から獲得した2個の金星を含む11勝4敗の好成績で、押し相撲が評価されて技能賞を獲得した。
その後も安定した成績を続けて三役に定着。ただし、勝ち越しはしても8勝か9勝止まりで、「大関候補」と呼ぶには今ひとつ物足りない成績であった。
が、2018年名古屋場所において、突如覚醒。白鵬・鶴竜が怪我により相次いで途中休場となり、横綱不在となる異例の事態の中、御嶽海は得意の突き押しが冴え、初日から11連勝を記録。12日目の大関高安戦では惜しい相撲を落とすものの、翌13日目に豪栄道、14日目に栃煌山を破って、13勝となり、西関脇の地位で見事初優勝を飾った(千秋楽は豊山に負けて、最終成績は13勝2敗)。
先述の通り、三役で安定した成績を上げていたことで、続く秋場所は大関取りの場所となる。7日目まで6勝1敗と順調に勝ち星を上げ、「新大関誕生か」という期待も膨らんでいったが、8日目からなんと5連敗。その後は3連勝で終えたものの、最終成績は9勝6敗となり、大関取りはひとまず失敗した。それでも、続く九州場所で大勝ちすれば大関昇進も決して夢ではなかったのだが、結果は7勝8敗と、大勝ちどころか負け越してしまい、大関挑戦は完全に白紙に戻ってしまった。
翌2019年になっても安定した成績を続けて三役を維持。9月場所は東関脇の地位で迎える。白鵬・鶴竜の両横綱がともに怪我で途中休場し、またもや横綱不在となったこの場所の優勝争いは、13日目が終わった時点で10勝3敗で4人の力士が並ぶという大混戦。最終的には、12勝3敗で並んだ御嶽海と貴景勝との関脇同士による優勝決定戦となり(史上初)、一気に寄り切って貴景勝を下した御嶽海が二度目の幕内最高優勝となった。
御嶽海はここまで3年近くずっと小結・関脇の地位を維持し続けており、当然次の九州場所は大関挑戦の場所となったのだが、序盤から調子が上がらずに6勝9敗で終え、大関挑戦はまたも失敗。それどころか17場所続けて在位していた(若の里に次いで史上2位の記録)三役の地位からも滑り落ちてしまうこととなった。
翌2020年初場所も7勝8敗と負け越してしまい、3月場所は西前頭3枚目まで番付を下げるが、その場所で10勝5敗の成績を上げて、5月場所では関脇に復帰。そこから10場所連続で三役を務める。
そして迎えた2022年1月場所。直前の21年九州場所では、御嶽海は関脇の地位で11勝4敗の成績を上げており、この場所では連続の2ケタ勝利を上げて大関への足がかりを、というのが、場所前の周囲の願いであった。長年三役を務めていることから、「連続で2ケタ勝利を上げられれば大関昇進も」という声もないではなかったが、どちらかといえば少数派であり、場所前の伊勢ヶ浜審判部長(元横綱・旭富士)も「全勝優勝でもすれば考える」という意見であった。
さて、場所が始まってみると、御嶽海は抜群の相撲内容で初日から9連勝。10日目に北勝富士に一方的に敗れて、解説の北の富士を呆れさせるようなこともあったが(ラジオの解説で直前まで御嶽海のことを絶賛していただけに、取組後には「もう僕は相撲の解説は辞める!」とか言い出した)、14日目まで12勝2敗の好成績。優勝争いで並んでいた横綱照ノ富士が14日目に阿炎に敗れて3敗となったことで、単独トップに躍り出る。
そして迎えた千秋楽。敗れれば優勝決定巴戦となる結びの一番、御嶽海は堂々の相撲で横綱照ノ富士を寄り切り、13勝2敗の成績で、三度目の幕内最高優勝を決めた。
場所後に相撲協会では臨時の理事会が開かれ、御嶽海の大関昇進を満場一致で決定。伝達式で御嶽海は「謹んでお受けいたします。大関の地位を汚さぬよう、感謝の気持ちを大切にし、自分の持ち味を生かし、相撲道にまい進してまいります」と口上を述べた。
出羽海部屋から大関が誕生するのは1975年の三重ノ海(第57代横綱、後の武蔵川理事長)以来、長野県出身の大関となると、なんと江戸時代の伝説の強豪力士・雷電爲右エ門以来227年ぶりとなる。
大関昇進直後の22年3月場所こそ勝ち越したものの、そこから3場所続けて負け越してしまい、わずか4場所で大関の地位から陥落。(通常は大関は2場所続けて負け越せば関脇の地位に落ちるのだが、御嶽海は22年7月場所は新型コロナ感染に伴う途中休場による負け越しであったため、特例で翌9月場所も大関据え置きとなった)。
九州場所で10勝以上の成績であれば大関復帰可能だったが、6勝9敗と負け越してしまい、翌場所以降は関脇以下の地位で相撲を取ることとなってしまった。
大関在位4場所というのは、大受の5場所を抜いて、大相撲史上1位の最短記録である。やったね!すごいね!!(棒読み)
※念のために記しておけば、今後再び好成績を上げれば再度の大関推挙もあり得るので、将来的に「史上最短命の大関」の汚名を返上する可能性もある。
大相撲史上で、このような「大関から陥落→関脇以下でしばらく相撲を取った後、優秀な成績を上げて再び大関推挙」となった力士としては、魁傑と照ノ富士の二人がいる。3例目を目指して御嶽海も頑張れ。
得意技は突き押し。押し出しが決まり手の約半分を占める。
幕内最高優勝3回、三賞獲得10回(殊勲6・敢闘1・技能3)の実力者(2022年1月場所まで)。
特筆すべきは成績の安定感であり、2017年初場所〜2022年1月場所までの31場所中、一番大負けした時でも6勝9敗を1度記録しただけであり(2019年九州場所)、それ以外の場所では負け越した場合でも全て7勝8敗に留めている。
この安定した成績が、先述の31場所中28場所で三役に在位しているという結果となって現れている。
欠点は、突き押しの力士にはまま見られることではあるが、好調な場所が持続しないこと。
三役定着後に続けて2ケタ勝利を記録したのは2020年3月場所〜7月場所に10勝・11勝を上げた一度だけであり(新型コロナ流行のため、この年は5月場所は中止)、このことが大関昇進に大きな障害となっていた。
前述の通り、21年九州場所に11勝、22年初場所で13勝で優勝と、続けて優秀な成績を上げたことで、ようやくの大関昇進となった。
長い間大関候補であった結果として、様々な記録の上位に名前を刻むことになった。(下の数字はいずれも2022年11月場所終了時点)
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最終更新:2025/12/08(月) 13:00
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