156
1 ななしのよっしん
2010/05/15(土) 00:41:54 ID: dQGBhaJ2Lr
すげぇ充実記事。乙です!
2 BLACKBIRD ◆J9VTR9kM3Y
2010/05/20(木) 22:20:16 ID: T6HJOQhP9I
わおっ、こいつは凄い記事…。
広島弁で「いい、なおすけ」と言うと「いいよ、仕舞っちゃう(かたずけちゃう)から」と言う意味に成るらしいですが…。
3 ななしのよっしん
2010/12/05(日) 13:19:59 ID: O9Awl6GaAJ
「弼」の字はこの人にしか使わないな
4 ななしのよっしん
2012/02/01(水) 15:10:56 ID: c3RP63TrDo
5 ななしのよっしん
2012/04/02(月) 06:04:00 ID: wRnjaUnGV3
6 ななしのよっしん
2012/04/17(火) 20:23:49 ID: dFR9hMJ94/
直弼が幕府を運営していた時期がちょうど今の日本と同じく天災続きで大変な時期だった
その時の幕府はちゃんと東北地方や各地の復旧に尽力した
けどそのタイミングを見てハリスが不平等条約を押し付け、直弼は仕方なく要求を呑んだというのが史実
でもその後、幕閣から急進的開国派を排除
直弼が殺された後、不平等条約と軍事力を利用した諸外国の横暴はさらに酷くなった
7 ななしのよっしん
2012/09/25(火) 23:58:08 ID: iurqom9MwH
俺もこの人はもっと評価されるべき人だと思う
8 ななしのよっしん
2012/09/26(水) 00:05:00 ID: E9AljXZIlQ
>>7
功績の再評価するなら、あっさり暗殺されちゃった事も逆評価すべきではなかろうか。
大久保利通も然りだが、政府要人がそんなあっさり殺されたらダメだろう…。
9 ななしのよっしん
2012/09/26(水) 00:12:40 ID: q2Wk2P0dvX
桜田門外の変よりも前に既に暗殺の危険が迫っていたのを知っていたのに。
油断していたのか、殺されても構わない覚悟だったのか。
10 ななしのよっしん
2012/11/15(木) 13:40:56 ID: N+EyIl9WDO
殺されてもいい覚悟っていうのはこの人の立場じゃ絶対にしちゃいけないと思うんだがな
11 ななしのよっしん
2012/11/15(木) 13:49:41 ID: 3dZzXonxb3
「かも知れない」情報をどれくらい真に受けるかはその状況にならないとわからない
まあ信用に足る情報だったとしても武士が腰抜けとなめられたら仕事できなくなるかと
12 ななしのよっしん
2012/11/24(土) 21:47:37 ID: Z9K5akXSRJ
いわゆる右翼(保守・尊皇攘夷)に対するという面から見ると左翼。
戦わずして開国を行った売国奴とも見れるが、戦争を避け国力増強の機会を作ったともいえる。当時戦争をしていれば列強の支配下に置かれる可能性があったのは間違いない。
死んでもかまわない、という覚悟。本当の売国奴だったら出来たであろうか?
13 ななしのよっしん
2013/01/07(月) 01:39:54 ID: KSTxwtq18P
>>11
まあ、武士が路上で首とられるようじゃ武人の恥の極みなわけでね
政治姿勢や業績への評価はさておき、その死が減点材料になるのはどうしても避けようがない
14 ななしのよっしん
2013/02/12(火) 13:51:28 ID: wZD312kMid
けどピストルじゃあね・・・。
避けられるもんなのかね?
そもそも攘夷派なのに何でピストルなんて使ったのか
15 ななしのよっしん
2013/03/01(金) 18:28:29 ID: wZD312kMid
連レスになっちゃうけど・・・
NHKBS歴史館で桜田門外の変のとき何故普段どおりの警備だったかについて予想があった。
それによると、この人は将軍継嗣問題を見ても守旧派(開国論に関してはやむなしの立場)だから、
登城時の護衛の数に関するルールを破るわけにはいかなかったのだろう、とのこと。
個人的には、不時登城を理由に罰してもいるわけだし守らないといけない立場ではあるなあ、と思った。
16
2013/04/07(日) 20:28:01 ID: z87U49Gnjb
「風雲児たち」で詳細に考察してるが、井伊邸と江戸城桜田門はわずか数百メートル、その行程は井伊邸から全て見張ることが出来、登城の途中で何かあっても井伊邸から走り出せば2分以内に現場に辿り着くことが出来る。
よって井伊邸内で護衛部隊を待機させておけば登城の行列の護衛の数をいじらなくても十分襲撃に対処できるはずだったが、現実は井伊邸からの援軍は襲撃が終わり直弼の首がとられ襲撃者が全員逃げ出した後、襲撃の10分後ぐらいに現場に到着している。
つまり井伊は登城の見張りすら立てておらず、襲撃に関して全く予想も警戒もしていなかったとしか考えられない。
17
2013/04/07(日) 20:38:48 ID: z87U49Gnjb
ちなみに浪士が持っていたピストルは全部で三丁。
これは最新鋭の連発銃、コルトネイビィの日本製レプリカ。
水戸藩は攘夷と言っても西洋の研究は進められており、洋式帆船を建造したり、洋式の鉄砲や大砲も作られていた。
このピストルも水戸藩で作られたもの。
18 ななしのよっしん
2013/04/07(日) 21:27:49 ID: UH+8fmgbNY
銃を撃ったのは黒沢忠三郎ってのが有力な説
桜田門外の変の記事もその説に沿っている
19 ななしのよっしん
2013/04/08(月) 04:36:28 ID: J45dX6XKpI
思ったより評価が高いんだなあ
・反対する者は粛清
・能力よりも血で無能な将軍を支持(自身が権力を振るえる為か?)
・攘夷を通す確たる信念もなく、かといって開国支持派でもない、優柔不断による行き詰りで不平等条約を結ぶ
どう考えても、権力欲だけは立派な無能だとしか思えない
20 ななしのよっしん
2013/04/08(月) 22:03:50 ID: z87U49Gnjb
護衛の数に関しては、行列の護衛を増やさなくても。
・通常下人がやってる荷物持ちを正規の家臣にやらせる。
・浪士たちが登城の見物人に混じって待機してたのと同じように、井伊の家臣たちが見物人にさりげなく混じって護衛する。
とかでも十分増やせるんだよな。やっぱ襲撃を予想していなかったんだろう。
21 ななしのよっしん
2013/04/08(月) 22:23:24 ID: w9fcHLbfDH
>>19
不平等条約というが、アメリカとトコトン協議した上で飲めない要求全部突っぱねた上でのアレだからな?
交渉にあたったハリスも岩倉使節団に「貴方達の交渉は手ごわかった、我々の要求の多くが通らなかった」といったぐらい。
そも、幕府が考えてたのは日本国内をなんとか纏める事であってああいう攘夷だの開国だのと極端なのじゃない。
22 ななしのよっしん
2013/04/08(月) 22:37:06 ID: Ajna8MLHuz
攘夷!攘夷!と騒いでた田舎モンどもは結局最後は開国路線に走ることになったんだよな。
お前らなんのために井伊さんを暗殺したんだよと。
23 ななしのよっしん
2013/04/13(土) 08:59:44 ID: z87U49Gnjb
>21
その条約の交渉をやったのは井伊本人じゃなくて、部下の岩瀬忠震。
そしてその岩瀬は上に書いてある通り元々反井伊派だったので、井伊によって大獄の一環で粛清された。
開国の最大の功労者を粛清しちゃったわけで、言い訳不能だよな。
24 ななしのよっしん
2013/05/21(火) 20:08:08 ID: 0f9ieX0tql
攘夷だの開国だのというより、アヘンアローで中国が落ちて単純に次が日本だから条約を結んで侵攻を回避したんだろう
当時西欧諸国より一段低い新興国のアメリカをまず初めに交渉相手に選んだのもソレ、戦争中じゃないし交渉の余地が合ったと踏んだからじゃね?
結局完全に不平等条約結んじゃって、次は西欧諸国順番待ち状態になっちゃったんですけどねー
侵略待ったなしだから不平等条約結ばざるを得ない~で、他人に擦り付けず最後一人泥をかぶった形にはなったのは事実
もし条約結ばなかったら戦争になって日本植民地になってた可能性も否定できなかったし、井伊がやらなくても誰かがやってそいつらが泥をかぶってた可能性もある
まあ他に言うなら、テロくすぶってたのは事実だけど、大獄はやり過ぎだったよねくらい
大獄は倒幕の起点になっちゃったからねぇ、あんなに四方八方弾圧したら恨みも買いますわ
25 ななしのよっしん
2013/07/05(金) 16:38:55 ID: J45dX6XKpI
だから、ちゃんと上のレス位読めっての。
この井伊とかいうクソはそんな展望なんて一切持ち合わせてなかったしただひたすら己が専制を敷きたかっただけ。
攘夷とか開国とか侵略されるとかそういう価値観や理念じゃなく、
自身の権力の保全の為に敵対しそうな相手を潰していっただけだし、条約を結んだのもその一環に過ぎない。
26 ななしのよっしん
2013/07/11(木) 19:41:34 ID: z87U49Gnjb
>>24
>他人に擦り付けず最後一人泥をかぶった形にはなったのは事実
「あの条約は交渉の現場にいた岩瀬忠震や井上清直が勝手にやったもの」と言い訳して二人を大獄で粛清したんだが。
思いっきり他人になすりつけている。
27 ななしのよっしん
2014/02/02(日) 03:41:05 ID: tomPFmaqa8
そういや桜田門外で殺されたのは
実は影武者、本物は密かに彦根に戻ってずっと隠れてた
みたいな話を聞いたことあるな
真偽は知らん
28 ななしのよっしん
2014/05/13(火) 01:12:10 ID: NQMrhm2kGB
>>19,25
無能な将軍?無能ってのは敵前逃亡した挙句に明治では貧困に苦しむ旧幕臣をよそに、悠々自適の生活を送ってた決断力ゼロの男のことか?
田沼を任命した将軍も、短命なだけの家茂も普通に英明という評価なんだが
ただの権力志向ならありえない行動が多すぎるわ井伊は。むしろ「幕府的」には忠臣という以外に評価しようがないわ
無能で国際的視点の欠けていた、後醍醐帝以来の問題児である孝明天皇の意に逆らったことで悪人扱いされてるが、
禁中諸法度なんて作って天皇を抑制していた江戸時代の幕府の人間がそういう態度を取ったからといって、批判される云われはない
そもそも天皇の勅命自体、井伊本人は水戸藩士の暴走だと考えていたフシもあるし
国際的視野の欠けてた連中の取締りとしてはやりすぎて恨みを買ったのは自業自得という話なら分からないでもないが、
権力の保全とかどんだけふるいステレオタイプの悪人像を信じ込んでるんだか、呆れるわ
>>22
同感
29 ななしのよっしん
2014/05/29(木) 16:01:23 ID: esLy4TrDaF
井伊が粛清した連中に攘夷派と開国派両方がいるから
評価がヤヤコシイんだよね。
ただ内政においては安政の近代化改革を反故にしてるから
ネガティブな評価にならざる得ない。それが渋沢や福地、福沢ら明治も生きた
幕臣の評価につながるのだろう。
30 ひろポン
2014/08/12(火) 17:06:19 ID: 1U8zGYNQ5Y
離れで学問などにいそしんでいた頃、同じような立場で将軍の位まで上り詰めた徳川吉宗のことは意識していたのかなぁと思う。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。