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1 ななしのよっしん
2012/03/27(火) 16:49:23 ID: 7W6OL4Culn
郭槐の逸話を見てると、こいつがこんな性格になるのも当然だとしか思えない
やばすぎだろこの母娘
2 ななしのよっしん
2012/05/16(水) 12:02:51 ID: 8IejCgIuMo
司馬衷は環境が酷いというか、暗愚な振る舞いしてなければ生き残れなかったんじゃないか?
叔父で家庭教師だった司馬攸が補佐についていれば賈南風を抑え込めたかもしれないが…
清河公主の悲惨な前半生はあんまりだ……こういう人が手元に来たら、むしろ厚遇して出世の足掛かりにすればいいのに
3 ななしのよっしん
2012/06/21(木) 22:41:30 ID: bJ9cUIsMDm
賈南風にやりたい放題されたのは
恵帝が劉禅なんてお話にならないくらい無能だったせいもあるだろう。
4 ななしのよっしん
2012/12/20(木) 10:56:28 ID: I7tlC9/itd
黄夫人もそうだが、正史では賢しい女性は醜いことにされがちなんだろうか?
列女伝では特にそんな感じじゃないけど……。
5 ななしのよっしん
2013/01/02(水) 05:02:35 ID: K1bGsZcY7z
6 ななしのよっしん
2013/01/07(月) 17:18:45 ID: OnGvWmMkXz
賈南風の場合、賢しい(さかしい)ならぴったりくる
もっとも黄夫人のほうは紛れもなく賢い(かしこい)女性で賢しくはないが
7 ななしのよっしん
2013/01/09(水) 10:53:43 ID: klWNGMsWJz
>>2
父親の司馬炎が生きてる頃から、親父にまで心配される間抜けだったんだから、間抜けの振りしてる理由なんて無いわ。
テストを出されて、100点だと疑われるってことで、この悪女さんが、及第点の回答を用意したって逸話からも明らかw
そしてこの女のしょーもないズル賢さもw
8 f
2013/04/27(土) 20:25:17 ID: 1vB786aX2s
9 ななしのよっしん
2014/02/16(日) 22:33:45 ID: QbmpausRwV
10 ななしのよっしん
2015/04/10(金) 02:27:29 ID: 0/XC9sY2pz
陳舜臣の小説十八史略では、
賈南風が、評判の美少年を後宮に捕まえてきたけど、女に手馴れたモテ男のテクでメロメロにされて
もう一度会いたいからと生かして返された逸話が載っててエロかったな
「男に慣れてないんだな、ちょろいもんだ」とか言われて
11 ななしのよっしん
2015/08/14(金) 18:34:50 ID: 3MqseUMWF/
>>7
司馬衷が通常以上に頭が良くて、暗愚の振りをしていたって説となえているのは
小説家の田中芳樹だけど、子の司馬遹とごっちゃになっている可能性はあるな
盾となって死んでくれた家臣の血で汚れた衣を大事にするってのは、
どんな暗愚でも当たり前のことだろ
「玉璽を奪われる時、指をねじられて痛かったから、あの皇族、殺せ」
なんていう阿呆だぞ
あれは、嵆紹の忠誠が暗愚の司馬衷にすら通じたという美談なんだよ
賈南風の政権がそれなりに持ったのは、司馬衷・司馬遹を擁して、
自身も功臣の娘で正統な皇后という権威を抱いて、賈模というできる親戚と
張華を殺さずに用いることができたからでないかな
12 ななしのよっしん
2015/08/17(月) 15:46:07 ID: 0/XC9sY2pz
そうね、賈南風政権が張華と賈謐をツートップにして
9年間平穏を保てた点はもっと考慮されてもいい
(評価しろとまではいわない)
あと八王の乱も、賈南風以前は宮廷内のクーデターだったのが
賈南風死後は武力衝突が全国に飛び火と様相が一変してるのも
13 ななしのよっしん
2015/08/24(月) 00:02:18 ID: 3MqseUMWF/
>>12
司馬遹を殺したのは、張華・賈謐・裴詭の政権で安定して、
外戚として切り回せる自信がでたからもあるだろうな
司馬遹は劣化していたとしても強情なのは間違いないので、
皇帝になれば賈氏が排除されると判断して殺したのだろう
コーエーゲームに登場させるなら、賈南風の能力値は、
統率60程度、知力70程度、政治65程度、武力35程度、魅力10程度かな?
統率が高いのは実質皇帝で、治世中は異民族の反乱は鎮圧できていること
武力は人を手ずから殺すことに全く抵抗がなさそうなことから、
後は劣化・賈充って感じ
14 ななしのよっしん
2015/09/26(土) 14:11:46 ID: 0/XC9sY2pz
>>10
そのあとに
美少年「賈后は淫乱に振舞っているけど、本心は違う。…子供がほしいんだな」と続く
一度肌を重ねるだけでここまで女の本心をよみとるとはこれだからイケメンは
と最初読んだとき思った
15 ななしのよっしん
2015/10/19(月) 16:03:13 ID: n3OgG3cNFz
マジで孫魯班といい勝負だな
まさに三國志悪女のツートップって感じ
16 ななしのよっしん
2016/06/19(日) 23:24:20 ID: RoxIj/HG1o
魯班にも言えるが、善悪を置いておけば一応国体はキープしていたのを評価することは不可能でもない
どちらにも言えることとして、いなくなった後はロクなことになっていない
17 ななしのよっしん
2017/08/13(日) 01:52:28 ID: I0U7M1lHdh
そりゃまあ生存時に国は滅びなかったが、その中では国を割る凄惨な権力闘争をやらかしていて、結局それがきっかけで国が滅んだんだからトータルでは全然評価には値しないと思うぞ。
敵対者を残虐に排除こそしたが、国政に関しては(権力闘争の強さという点でも)優れていた呂后や則天武后とはそこが決定的に違う。
更に孫魯班の場合「孫権が引き起こした二宮の変に、彼女がなんとか決着をつけようとしたのだ」と弁護することもできなくはないけど
賈南風の場合は「皇帝をないがしろにしてでも、自分とその一族の権力を高めたかっただけ」としか言いようがないので、結局能力・動機共に弁護の余地がほとんどない。
18 ななしのよっしん
2017/08/30(水) 20:46:05 ID: bJ9cUIsMDm
父親の賈充からして主君には忠実だけと、出世の為なら同僚や上司を平気で貶める奴だし、
クズの父親にしてこの娘ありだよ。
19 本当は必要だろ
2017/11/02(木) 20:08:10 ID: +9NLarvqAB
20 ななしのよっしん
2018/07/31(火) 15:15:02 ID: N9+z4S0uCl
娘たちは聡明だったり(哀献皇女)覇気があったり(弘農公主)数奇な運命を辿ったり(清河公主)と
クズではなかったかな。
21 ななしのよっしん
2019/04/14(日) 04:25:56 ID: 1vDuqhKaYK
皇帝が頼りにならんし他の皇族が強いから
生き残るためには事実上のトップを維持し続けるしかなかった、
とてもじゃないが手段なんて選んでる場合じゃなかったという事情は垣間見える
擁護の余地はないが理解の余地はなくもないやつ
22 ななしのよっしん
2019/06/24(月) 01:24:45 ID: IrVmgN8+0L
司馬懿を筆頭に曹操、劉備、孔明、孫権等すべての三国志の英雄達の業績を台無しにし、漢民族衰退のきっかけを作った女。
23 ななしのよっしん
2020/01/04(土) 15:51:12 ID: yGtRxN5Ix3
三国志大戦の「子を期待できない体形だったとされる」からロリコンが出てきたのに草
24 ななしのよっしん
2020/12/08(火) 22:39:52 ID: c4r56xIKBv
>>11
司馬哀は八王で唯一自分を立ててくれた司馬乂が弾劾された時は、珍しく自主性を発揮して戦おうとしてたので
忠直の士を前にして、暗愚の皮を被り続けられなかったと見る事も出来るかもしれない無理かな
25 ななしのよっしん
2021/02/03(水) 18:34:03 ID: chfdo1DVx8
暗愚ではなく最低限の知能・感性はあったのならわかるが、皮を被ってたとか振りだったとかはよくわからん
>>7でも書かれてるけど子供の頃からそんな振りをし続ける意味がよくわからないし、そうだったと思わせる程の話もない
どこかのサイトで見た自分を皇帝にしてくれた賈南風を信じて言いなりになってたみたいなのだったらわかる
自分のために頑張ってくれている(ように見える)人のためなら動ける、という意味では賈南風でも嵆紹でも司馬乂でも変わらない
26 ななしのよっしん
2021/06/20(日) 09:49:43 ID: tmS8NUotur
同じ悪女でも
恐怖政治を行ったが国を発展させた呂雉、武則天
自分の保身や利益の為に国を衰退させて滅亡に追いやった賈南風と西太后
ではやはり違うと思うんだが
27 ななしのよっしん
2021/07/11(日) 13:07:01 ID: chfdo1DVx8
呂雉と武則天も自分の保身と利益が目的の一つなのは変わらないだろう
賈南風のめんどくさいのは自分に男子がいない点で、権力維持し続けるのには致命的過ぎる欠点
政権崩壊したのも結局これが最大の原因みたいなもんだし、賈南風に男子がいたらもうちょっとマシだったんじゃないかと思う
28 ななしのよっしん
2021/10/02(土) 08:13:48 ID: /otcOsRDMp
賈南風は言うほど圧政は敷けてない(敷こうとはしてるし表面上は敷いてる)ので、呂雉や武則天を持ってくるのは権力者として大きく捉えすぎ
29 ななしのよっしん
2022/06/07(火) 02:30:19 ID: ZxjOuc23zc
実務は張華・裴頠・賈模といったあたりに丸投げしてたから、宮廷外で積極的に悪政を布いていてたかというとちょっと違う。
斉万年の反乱討伐のぐだぐだを見ると、朝廷首脳陣の無責任体制が拡がっていた様に見え、そこが司馬遹廃立で表面化したように思える。
30 ななしのよっしん
2022/08/21(日) 01:51:58 ID: ZxjOuc23zc
>>13
母の郭槐は「皇太子を実子のように大事にするように」と常々いっていたという。この郭槐の死去が296年。
また、賈充の甥の賈模は賈南風と反りが合わず、裴頠の提案で張華と共に「賈南風を廃立して、皇太子の実母の謝玖を皇后に立てた方がよい」と協議したが、断念したという。この賈模の死去が299年。
時系列的に、この二人が死んだので、政権内で賈南風を止められる者がいなくなったように見える。
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