東京メトロ6000系とは、東京メトロが所有する通勤電車である。現在は全車引退済みである。
当時の営団地下鉄千代田線向けに製造された車両で1968年から1990年にかけて、実に20年以上継続して生産された。
左側にオフセットされた脱出用貫通扉や大きな全面窓に代表される特徴的な外観は1960年代の物とは思えない斬新なデザインであり、生産開始から40年以上経ても色あせる事がない。エポックメイキングな点として、地下鉄においてはどうしても不可分となってしまう熱問題(鉄板焼き電車も参照されたい)の解決策として電機子チョッパの採用も行われた事である。このチョッパの特筆されるところは回生ブレーキも使用される事である。これによりトンネル内の熱問題を劇的に少なくすると同時に省エネルギー化も同時に実現した。
これ以降、営団地下鉄における架線集電タイプは6000系が基礎となり、7000系・8000系のバリエーションが登場した。
20年以上にわたって製造された為、多くの仕様や車両が存在する。
車体の素材には営団5000系で試作されたアルミ車体を本格的に採用、これ以降現在まで東京メトロの車両はアルミ車体を採用している。側面窓の大きさも初期車は田の字の窓であった為、更新時に1段窓になった際の窓の大きさが小さいままとなっている。また、側面ドアも初期は小型であった物も、最終期にはやや大きくなっていた。さらに更新工事で小型の窓が最終製造車と同じ大きさになったり、近年の物は06系や9000系のような大型の窓となるなど、非常に多くの形態が存在する。制御機器もチョッパ制御からインバーター制御に変わったりと、変化のばらつきが大きい。
これらは7000系や8000系にも採用されているものがある。
6000系の記念すべき1号車である。この車両は3両編成で組成され、各種試験に供された。そして元祖変態カバーを採用し、静寂性の確保を行った。チョッパ制御のほかにもVVVFインバーターの搭載も行われ、各種試験が終了したのちは千代田線の北綾瀬支線で運行を行われていた。
床下機器は5000系の物に交換され、同線で活躍する5000系アルミ車と同一の性能となっている。また、ワンマン改造と自動運転対応が行われている。更新が行われており、いくつかの部分で原型の物とは異なるが、座席の袖仕切りの形状が異なっていたり、1本ワイパー、角度のきつい前面など独特の仕様はそのままである。
俗称として「ハイフン車」の愛称があるが、この車両の付番は他のメトロ車とは大きく異なっており、「6000-1+6000-2+6000-3」とハイフンが付けられている事から由来する。
北綾瀬支線でのみの運行であるが、本線上の走行も可能で記念行事で運行経験がある。
なお、05系の導入に伴い、2014年に引退。現在は新木場車両基地で動態保存されておりイベント時には展示される。また併設される研修施設の実機車両として使用される事もある。
ハイフン車の次に生産されたのが6101Fである。この車両も付番方法が異なっていた。当初は6両編成で組成されており6011~6016と連番となっていた。また、当初は全車両がモーター付きであった為、後々の増結で組成された際のモーター車と付随車の位置が他の6000系とは異なっている。
車体の裾がこの後の量産車とは違い長くとられており、小田急に乗り入れた際に干渉をしてしまう為、10両編成の6000系としてはこの車両のみ小田急乗り入れができない。なお、VVVFインバーターに更新された際、本体を搭載している車両部分のみ切り欠きが行われ、一目で区別がつくようになった。
東京メトロ16000系増備に伴い廃車。解体を免れてインドネシアへ譲渡。
1990年に1編成のみ登場した、6000系最終編成にして唯一の平成生まれである。1968年に落成したハイフン車から数えて22年である。
既にこの時期には搭乗していた0x系系列に装備された旅客案内関係の機器類が装備されており、同時期に製造された7000系(7133&34F)/8000系(8110F)にも装備されている。
製造後20年目に行われるB修繕の時期と16000系導入とが重なってしまったためか、更新工事を行われることなく、重故障に伴って廃車が繰り上がり、インドネシアへ譲渡されることなく2011年に廃車・解体となってしまった。製造より21年目の事である。
この形式のもう一つの特徴として語られる事が多いのが爆弾ドアである。ドアを開閉する際に轟音を立てる様子からこのあだ名がついた。6000系の初期車以外にその傾向がみられ、最終編成である6135Fも爆弾ドアである。6135Fの製造は平成2年であり、8000系が製造されていた時代である。その8000系のドアエンジンは既に爆弾ドアではなく、非常に静かでゆっくりな物であったにもかかわらず爆弾ドアが採用されていた。仕様を合わせたのか、車体の構造上の問題かは定かではない。
初期の車両は貫通路が広く取られており、その形状から「キノコ」のあだ名があった。かつては中間部以外はすべてきのこ型であったが貫通路が広い分、風の吹き抜けの問題が出てきたため、更新工事の際に通常の狭福の物に改造されている。
車庫内での整備などで移動に使用する際、10両編成のままでは手間があるので、5両単位で移動できるようにしている。中間運転台は5両目と6両目に設置してある。通常は妻部仕切り内に一式が入っている。また、妻面には前照灯と尾灯が設置されており、すぐに見分けがつく。
小田急線内では優等列車に充当されるため、その為の種別灯がかつて搭載されていた。元々、ついていなかったので後付けとなっているが、運行番号表示機の下とSマークの左側に設置されており、大きさもあってぱっと見は種別灯の存在を確認しづらい。いつしか種別灯の点灯が行われなくなったあたりで撤去がされた。
千代田線は代々木上原で小田急線と、綾瀬で常磐線各駅停車と直通運転を行っている為、6000系には小田急・JR関係の機器類を搭載している。現在では解消されているが、JR車と小田急車はかつては千代田線関係は搭載していても、互いの保安機器類は搭載していなかったため、小田急~千代田線~常磐線各駅停車の3社直通運用にはこの車両が充当されていた。
なお、人身事故等トラブルが発生して小田急線と千代田線の直通が中止された場合、代々木上原駅を通り過ぎて新宿駅に顔を出す。その際、新宿行きの方向幕がない為に中止前の行き先のままで顔を出す。常磐緩行線と千代田線の場合は2つで1つと言う具合にほぼ運用がセットである事や綾瀬駅の線路容量や構造の関係で直通中止になる事はあまりない。
なお、前述の通りハイフン車は千代田線関係のみの機器搭載であり、他社線への乗り入れは出来ない。6101Fも車両限界から小田急関係の機器類が搭載されていない為、小田急線へは乗り入れしない。
なお現状は小田急の無線が更新されており、その時点で編成数も少なかった6000系は更新されずじまいであったので、晩年は小田急乗り入れが事実上不可能となっていた。
1992年に06系が登場したが、これは増発用であり、1編成しか製造されなかったので置き換え用ではなかった。そして時代に合わせて制御装置や内装の更新などが行われており、JRや小田急が代替わりをするのを尻目に第一線で活躍、千代田線の顔ともいえる車両であった。
一時期は36編成353両(ハイフン車含む)を誇った6000系も、廃車が始まった2010年の段階で最古の車両で既に40年以上を経過しており、それ以外でも30年越えはざらである。メトロの計画である想定寿命40年を超えており、同じ時期に小田急側で保安装置の更新が行われる為、最新型の東京メトロ16000系を増備することとなり、いよいよ廃車が始まった。
廃車後は解体よりもインドネシアへの譲渡が多く、VVVF車・チョッパ車関係なく譲渡されている。意外にも最終編成である6135Fは譲渡されることなく廃車解体となっている。
そして2018年度に全車両が置き換えされた。ハイフン車にくわえて、6102Fが保存されている。
結構多いので、関係順に分ける。車両関係については現在千代田線で運行されていない・全廃になったものは赤字で示す。
掲示板
8 ななしのよっしん
2018/11/12(月) 00:21:40 ID: XrhOl0ce+B
本当に長い間お疲れ様でした。6000系にもう乗れないと思うと寂しい。
9 ななしのよっしん
2018/11/12(月) 00:27:25 ID: XrhOl0ce+B
ついでに、最後まで残った02Fと30F、どちらも小田急線内で珍しい記録を残している車両だったり。
02Fは6000系として唯一、快速急行として営業した実績がある編成。
2005年のドラゴン号(東京湾花火大会の観客輸送臨)で相模大野始発新木場行の臨時快急として運行。
そして30Fは、掲示板の書き込みにもある通り試運転で小田原まで走った編成です。
10 ななしのよっしん
2020/03/23(月) 07:24:12 ID: G1YTzD75QP
6102F(1971〜2018/10)はあまりに長生きしたから登場時に存在しなかった
松戸伊勢丹(1974〜2018/3)と柏そごう(1973〜2016)が先に消えるという
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最終更新:2025/01/02(木) 22:00
最終更新:2025/01/02(木) 22:00
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