ロックサンド 単語

ロックサンド

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ロックサンド(Rock Sand)とは、1900年生まれのイギリス競走馬種牡馬である。史上10頭英国クラシック三冠

概要

Sainfoin、RoquebruneSt. Simonという血統。セインフォインデビューから5連勝で英ダービーを制したである。一方でロクブリュヌは1000ギニーSt. Margueriteのというセールスポイントこそあったが非常に神経質なで、3年間で3戦しか出来なかった。それでもその3戦のうち2戦で勝っているため、ポテンシャルは高かったのだろう。

そんな血統を持つロックサンドは、ほどでないにしても神経質な面があるであり、またレース前にしっかり準備運動させないとズブいところを見せてしまうというでもあった。

競走成績

2歳5月デビューすると、有力競走の一つであるシャンペンSまで傷の5連勝を挙げた。この5連勝は3戦のコヴェントリーSこそアタマ差だったが他は全て楽勝であり、一旦はこの年の2歳最強かとも思われたものの、次戦のミドルパークプレートでは同厩のFlotsamの3着に敗れてしまった。それでも2週間後のデューハーストSを3馬身差で勝ち、2歳時を7戦6勝で終えた。

3歳時は初戦を勝つと、2000ギニーでは1馬身半差で優勝した。続く英ダービー現在でも20世紀以降の最少頭数である7頭立てとなり、2馬身差で勝利した。この時騎乗していたダニエル・マハー騎手アメリカ人で、前々年のレスター・レイフ騎手、前年のスキーツ・マーティン騎手に続く3年連続のアメリカ騎手による英ダービー制覇となった。

続くセントジェームズパレスSを楽勝し、初の古対戦となったエクリプスSでは、前年にクラシック4勝を挙げたSceptreと、そのSceptreダービーで勝ったArd Patrickとの対戦となった。当然戦前から「Battle of Giants」と言われて大きな注を浴びたが、蓋を開けるとArd PatrickSceptreから3馬身遅れた3着に敗してしまい、世代のレベル疑問符が付けられる結果となってしまった。

それでも、同世代が相手のセントレジャーでは単勝1.4倍の1番人気に支持された。そしてこれを4馬身差で勝利し、史上10頭英国クラシック三冠を達成した。しかし、続くジョッキークラブSでは本より斤量が6ポン重いSceptreに4馬身ちぎられて2着に敗れた。

4歳時は6月コロネーションカップから始動し、Sceptreと再戦したが、ここでは同期Zinfandelというが楽勝し、本は2着のSceptreにも後れを取る3着に終わった。Zinfandelは馬主死亡により当時の規定でクラシック登録が効になるという不運に見舞われて裏街道で結果を残してきたであり、英ダービーと同じコースでこのに敗れたことによって本は世代最強の座も揺らぐことになってしまった。

その後はZinfandelとの対戦を避け、ハードウィックSに出走。ここでようやくSceptreを下し、そこから4連勝を挙げてシーズン終戦ジョッキークラブSに臨んだ。ここではこの年のセントレジャー三冠Pretty Pollyの2着となっていたHenry the Firstなどを抑えて優勝した。

翌年は大標をアスコットゴールドカップに設定していたが、腱を故障したため一度も出走せず引退した。通算成績は20戦16勝2着1回3着3回だった。

種牡馬成績

引退後のロックサンドは種牡馬となったものの、1歳上のArd Patrick同期Zinfandelには敗しているし、Sceptreには1回は勝っても結局負け越しているしということで「相手が弱かったから三冠を取れた」というレッテルを貼られ、競走馬登録された初年度産駒3頭しかいないという、三冠馬と思えないほど不人気スタートとなった。

1906年に生産所有者のジェームズミラー卿が死去すると、本はセリにかけられ、アメリカの実業であるオーガストベルモント2世に2万5000ドルで購入されてアメリカ輸入された。アメリカでは同で生産された後にイギリスに送られてセントレジャーなどを勝つ活躍を収めたTraceryやトラヴァーズSなどを勝ったRock Viewなどを出してそれなりに成功した。

アメリカで反賭博活動が活発化して賭博禁止法が各地で制定されるようになると、競馬人気も下火になったため、ロックサンドは1912年フランス輸出された。アメリカで種付けされた最後の世代からはベルモントSなどを勝ったFriar Rockが登場し、Friar Rockの孫には米国顕彰馬Eight Thirtyが出ている。

としては、Man o' Warや*ダイオライトを出し、北米ブルーメアサイアーランキングトップ10に4回入る(最高は1924年の3位)という活躍を収めている。

1914年7月心臓病のため14歳死亡。直系はEight ThirtyやTraceryのラインを通じて21世紀初頭までは残っていたようだが、現在はほぼ滅亡状態である。

血統表

Sainfoin
1887 栗毛
Springfield
1873 鹿毛
St. Albans Stockwell
Bribery
Viridis Marsyas
Maid of Palmyra
Sanda
1878 栗毛
Wenlock Lord Clifden
Mineral
Sandal Stockwell
Lady Evelyn
Roquebrune
1893 黒鹿毛
FNo.4-n
St. Simon
1881 鹿毛
Galopin Vedette
Flying Duchess
St. Angela King Tom
Adeline
St. Marguerite
1879 栗毛
Hermit Newminster
Seclusion
Devotion Stockwell
Alcestis

クロス:Stockwell=Rataplan 4×4×5×4(21.88%)、Pocahontas 5×5×5×5(12.5%)、Newminster 5×4(9.375%)、Touchstone 5×5(6.25%)

主な産駒

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