在特会北海道支部とは、右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」の北海道における地方支部である。
2007年11月8日、北海道での活動を統括する地方支部として設置された。関西支部(現大阪支部)・福岡支部・名古屋支部(現愛知支部)に次いで四番目に設置された地方支部であり、全国で最も活動が盛んな支部の一つ。ただし活動の大半は札幌市内で行われており、道内の他の地域での活動はほとんど見られないのが実情である。
「日本女性の会 そよ風」(そよ風)の北海道支部や「俊傑憂憤の集い」「北海道排害社」など地元の右派系市民団体との結びつきが強く、街宣やデモ等の街頭活動はこれらの団体と共同で行うことが多い。なおこれらの団体の幹部は大半が在特会の会員・メール会員を兼ねている。
伝統的に旧社会党・民主党の勢力が比較的強い土地柄もあってか、反民主党をテーマにした活動が他の支部より多く見受けられる傾向にある。他方で北海道の保守・右派陣営にとってとりわけ重要な問題とされる北方領土問題をテーマにした活動はさほど多くない。
支部長は加藤祐平であるが、支部結成時から活動に参加していた先代支部長の藤田正樹副会長が現在も実質的な指導者として支部活動を主導している。支部に所属する会員・メール会員は公称で656人(2013年12月31日時点)。都道府県人口あたりの会員数は全国で五番目に多い。
会発足から約10ヶ月後の2007年11月8日、浅水愼一支部長・泉裕友会計・村本政穂運営の3名を運営陣として発足した。また後に支部の指導者となる藤田正樹もこの頃から既に活動に参加していたという。
翌2008年3月に初の支部活動として勉強会を開催すると、7月には「主権回復を目指す会」(主権会)主催のデモに協賛として参加、さらに9月には支部主催のデモを挙行した。これは支部としては初めて、在特会全体でも二番目に行われたデモとなった。街宣ではなくデモから街頭活動を開始したという比較的珍しいケースである。
この頃には事故で負傷した浅水支部長に代わって泉会計が支部長代行として支部を取り仕切るようになっており、11月には正式に支部長交代となった。土地柄もあって冬場は活動が停滞したが、翌2009年5月には外国人参政権反対をテーマにデモを開催。このデモに協賛として加わった渡邊喜楽率いる「俊傑憂憤の集い」とは以後長きに渡る共闘関係を築くことになったが、一世代前の右翼の香りを漂わせる渡邊が常連メンバーとなったことで[1]、支部の活動には一定の先鋭化ベクトルが働くことになった。
泉は2010年1月限りで支部長を退き、藤田が後任の支部長に選出された。藤田は新規運営の登用を進めるとともに宣伝用のブログを開設するなど、支部の体制強化に努めた。また糾弾街宣やデモといった街頭での示威行動を重視し、浅水・泉時代の倍以上のペースでこれらの活動を行うようになった。
この頃になると「俊傑憂憤の集い」のほか、そよ風北海道支部や「北海道排害社」といった地元の右派系市民団体も共闘の輪に加わるようになった。
支部活動を活発化させた功績を評価され、藤田は2010年10月1日付で北海道・東北地方を統括する副会長に選任された(2013年11月以降は北海道のみを統括)。その後も藤田が支部長を兼務する状態が長く続いていたが、2012年4月になってようやく加藤祐平が後任に推された。ただし加藤は支部長「代理」扱いとされ、藤田を長とする指導体制はその後も維持された。
加藤が支部長代理に就任してからも活動の勢いは衰えず、従来のテーマに加えて生活保護糾弾や日韓断交など本部が掲げるテーマを適宜取り入れながら街宣やデモを展開していった。札幌市外への進出も企図され、2012年4月には根室市・釧路市で道東では初となる街宣活動を行っている。
また同年7月には北海道文化放送(UHB)による密着取材に応じている。支部レベルでテレビ局の取材に応じることは極めて異例であり、またUHBは左派的な論調を有する北海道新聞の系列であるため、取材受け入れは驚きの声を持って迎えられた。実際に番組は会の活動をやや批判的な立場から取り上げるものとなっている。
こうした批判的報道を受けると在特会側は激烈な反応を示し、直ちにカウンター街宣やデモを行うのが通例となっているが、北海道支部ではそのような動きは見られなかった。これは藤田が執行部内でも穏健派に属しており、外部からの批判的言論の試みに対して比較的鷹揚な態度を取っていることに起因すると見られている。
2013年4月1日、支部長代理として1年間を過ごした加藤が正式な支部長に昇格となり、合わせて運営の金森孝志が後任の支部長代理に選任された。同月19日には「人種主義者・差別主義者と言われようが抗議の手は緩めない」とする声明文を本部公式サイトに掲載している[2]。
太字は現職。なお支部長のみ不在期間も掲載している。
| 支部長 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
| 浅水愼一 | 07/11/08 | 08/11/02 | 療養のため | 運営に降格 |
| 泉裕友 | 08/11/02 | 10/01/30 | 辞任 | |
| 藤田正樹 | 10/01/30 | 12/04/01 | 副会長専任のため | 10/10/01から副会長兼任 着任から13/04/01まで「藤田正論」名義で活動 |
| (空席) | 12/04/01 | 13/04/01 | ||
| 加藤祐平 | 13/04/01 | (現職) | ||
| 支部長代理 | ||||
| 名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
| 加藤祐平 | 12/04/01 | 13/04/01 | 支部長就任 | |
| 金森孝志 | 13/04/01 | (現職) | ||
| 会計 | ||||
| 名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
| 泉裕友 | 07/11/08 | 08/11/02 | 支部長就任 | |
| 藤田正樹 | 08/11/02 | 10/01/30 | 支部長就任 | |
| 内藤昌克 | 10/01/30 | (現職) | ||
| 運営 | ||||
| 名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
| 村本政穂 | 07/11/08 | 不明 | 不明 | 08/01/05~08/11/20の間に退任[3] |
| 藤田正樹 | 08/07/20 | 08/11/02 | 会計就任 | |
| 椎名和宏 | 08/08/06 | 不明 | 不明 | 08/12/24~09/12/30の間に退任[4] |
| 浅水愼一 | 08/11/02 | 10/01/30 | 解任 | 支部長から降格 |
| 内藤昌克 | 不明 | 10/01/30 | 会計就任 | 08/12/24~09/12/30の間に着任[5] |
| 岡野零士 | 10/01/30 | 10/07/20 | 辞任 | |
| 紀川響子 | 10/01/30 | 10/11/09 | 解任 | |
| 加藤祐平 | 10/01/30 | 12/04/01 | 支部長代理就任 | |
| 宮島ハルエ | 10/01/30 | 12/04/01 | 辞任 | |
| 14/01/13 | (現職) | |||
| 加納徹 | 10/01/30 | (現職) | ||
| 立原恭輔 | 11/03/08 | (現職) | ||
| 金森孝志 | 11/11/03 | 13/04/01 | 支部長代理就任 | |
| 阪田正義 | 12/04/01 | (現職) | ||
| 本間大志 | 14/01/08 | (現職) | ||
支部運営8名(藤田副会長含め実質9名)は全支部中最多である。運営陣によるコラムが藤田副会長の個人ブログ上で連載されており、各人の思想や参加動機、人となり等を窺い知ることができる。なお藤田がかつて統括していた東北各支部の運営陣や北海道支部と友好関係にある団体の幹部らもコラムを寄稿している。
支部長代理を支部のナンバー2にあたる常設ポストとしている。関西支部(現大阪支部)や千葉支部などでも支部長代理が任命されたことはあるが、これらは支部長の急な辞任・解任に伴って置かれた暫定的なポストであり、常設ポストとして取り扱っているのは北海道支部のみである。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/07(日) 03:00
最終更新:2025/12/07(日) 02:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。