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北方領土単語

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北方領土とは、日本列島北海道よりさらに北部における、日本の領土である。
1945年まで日本が統治していたが、現在ロシア連邦により支配されている。

北方領土問題対策協会ホームページexit(外部リンク

北方領土 千島樺太

北方領土(北方四島)

 一般に「北方領土」とは、北海道の北東部にある

 h4択捉島(えとろふとう) h4(くなしりとう) h4色丹(しこたんとう) h4舞群(はぼまいぐんとう)

 の群をす用である。太平洋戦争において、ポツダム宣言受諾表明(1945年8月14日ないし15日)後、これらの々に対して侵攻したソビエト連邦(その後継国家であるロシア連邦)による支配が今もって解かれておらず、日本ロシア連邦の間で係争地域となっている。

 ロシア連邦とって北方領土およびその周辺の域は、不凍港(でも面が凍らず使用できる港湾)の設置や、ロシア連邦軍の艦船・潜水艦の航路、魚介類などの産資海底油田、天然ガスなどのエネルギーの獲得に重要な地域であり、日露間での交渉こそ行われているものの、返還に関して具体的な合意に至っていない。

 現在、北方領土に日本国民が入るためには、ロシア連邦政府の発行する(ビザ)が必要である。このビザを発行して北方領土に入ることは、ロシアの管轄・領有する地域であると認めているようなものであるため、1989年日本政府民に対してビザ発行による入を控えるよう要請している。

 見るだけであれば、納沙布岬(根室からバス)からよく見える。
 岬の展望台の望遠鏡を使えば、舞群水晶に建つロシアの施設まで見ることができ、いかに近い場所であるかがよくわかる。よく晴れていればも望むことができる。

千島列島

※「千島列島」の記事も参照

 千島列島は、北海道より北東、ロシア領カムチツカ半島にかけての域に連なる、大小30余りや岩礁により構成される列である。1855年の日露和親条約により択捉島が、1875年の樺太千島交換条約によって列全てが日本の領土となっていた。北方と同じく、太平洋戦争でのポツダム宣言受諾表明後にソビエト連邦軍の侵攻を受け、ソ連ロシア)の支配するところとなった。

 サンフランシスコ講和条約により、日本千島列島を「放棄」したことになっている。ただし日本政府は、ソ連が同条約に加わっていないこと、および「放棄」した千島列島の範囲を「得撫以北」だと定義していることにより、択捉島を除く千島列島については「どこのにも属していない」と見做している。また、色丹舞群千島列島ではなく、北海道の付属諸だとしている。

 ソ連サンフランシスコ講和条約に調印していないとはいえ、「得撫以北」については「放棄」したと認めていることから、千島列島全体を領土要・返還交渉の対とする公式な動きは基本的にい。ただし国会に議席を持つ政党の中で、日本共産党千島列島全体の返還をしている。

樺太(南樺太)

※「樺太」の記事も参照

 宗谷峡を挟んで北海道の北に位置する大島樺太サハリン)は、江戸時代よりアイヌ日本人(和人)・ロシア人が雑居する地域となっており、18世紀中ごろから日本ロシアロシア帝国)との間で係争地帯化していた。1855年の日露和親条約ではを画定するに至らず、1875年の樺太千島交換条約によっていったん全ロシア帝国の領土となった。しかし1905年、日露戦争における日本の「勝利」の結果、北緯50度線でが南北分割され、南側が日本の領土となった。

 千島列島とは異なり、ポツダム宣言受諾表明前の1945年8月11日よりソ連軍が北緯50度線を突破。進撃は15日以後も続き、25日までに南樺太全土を制圧。一部の部隊は転進して、択捉島以南の「北方」制圧を行っている。南樺太地域には日本陸軍第88師団(兵約2万)のほか約40万人の民間人がいたが、多くが戦闘に巻き込まれ、郵便電信局事件や三船遭難事件戦後シベリア抑留といった戦災を被った(元横綱大鵬は南樺太出身で、ソ連の進撃前に辛くも北海道への疎開を果たした)。1943年に南樺太は「内地」への編入措置が取られていたので、樺太の戦いは「本土決戦」の一部と言える。

 サンフランシスコ講和条約により、日本は南樺太を「放棄」したことになっている。ただし日本政府千島列島と同様、ソ連が同条約に調印していないことなどを理由に、南樺太は「どこのにも属していない」と見做している。が、これも千島と同じく「放棄」したことは認めているので、積極的な領土要・返還交渉の動きはい。千島の返還をしている日本共産党も、南樺太日露戦争という「戦争により獲得した領土」であることを理由に、こちらは返還要の対にはしていない(日本社会党は南樺太および全千島の返還をしていた)。

北方領土に関わる3つの条約

1855年2月7日 日露和親条約(日本国魯西亜国通好条約)

 1855年(安政元年)、日本江戸幕府とロシア帝国により締結された条約である。日本側全権は川路聖謨(勘定奉行)と筒井(大付格)、ロシア側全権はプチャーチン提督1981年昭和56年)、鈴木善幸内閣は閣議了解によって、この条約が締結された2月7日を「北方領土の日」と定めた。(内閣府/北方領土の日)exit
 18世紀半ばより接触の始まった日本ロシアとの間で、初めて境線が定められた。

  1. 択捉島と得撫の間をとする
  2. 樺太についてはこれまでどおり日露両民混在の地とする

 樺太について、日本側は後のポーツマス条約時と同じ北緯50度線での南北分割ロシア側はの最南端のアニワ湾(亜庭湾)周辺のみを日本領・残り全ロシア領とすることをし、行線をたどる(ただし路は老中へ宛てた文書で、日本の影現実に亜庭湾辺りにしか及んでいないことを認め、樺太は放棄しても差し支えないのではないかと言っている)。しかし最終的にはロシア側が交渉の長期化を望まなかったため、択捉・得撫間ののみ確定することとなった。

二条 今より後日本国魯西亜との ヱトロと ウルップとの間に在るへし ヱトロプ全日本に属し ウルップ夫より北の方クリル諸魯西亜に属す カラフトに至りては日本国魯西亜との間にて界を分たす 是まて仕来の通たるへし

 正文は日本語中国語ロシア語オランダ語により作られた。全て有効である。
 ただしこの第二条につき、一部学者からロシア語オランダ語日本語で解釈に齬があると摘されている。日本語「夫より北の方クリル諸とある部分を、ロシア語オランダ語では「残りの、北の方の、クリル諸と読むべきとする・・・すなわち、現在日本政府が言う「放棄した千島列島クリル諸)の南端は得撫」という説と、「択捉・後も千島列島クリル諸)で、ここではクリル諸を択捉・得撫で南北に分けた」と解釈するべき(=「放棄した千島列島」に択捉・後も含む)とする説の対立である。
 日本政府は、日本語訳文も正文なのでこちらのに差支えはないとし、1992年日本語正文の条約文をロシア語翻訳したパンレットを、ロシア内に配布したことがある。

1875年(明治8年) 樺太・千島交換条約(サンクト・ペテルブルク条約)

 が定められなかった樺太日本人ロシア人・アイヌ間の紛争が頻発したため、幕末1867年(慶応3年)に小出秀実(館奉行)と石川利政(付)がロシア帝国首都サンクト・ペテルブルクに派遣されて交渉を行ったが、の合意には至らず「日露間樺太仮規則」を仮調印するにとどまった。
 日本の政権が明治政府に変わると、政府内では樺太の南北分割(あわよくば全領有)をする勢と、樺太は放棄して夷地(北海道)の開拓・防衛に尽すべきとする勢の対立が起こったが、前者は征論の敗北とともに失脚。後者を代表する黒田清隆の後援を受けた榎本武揚がサンクト・ペテルブルクに赴き、この条約が締結された。日本側全権は榎本武揚(中将・在露特命全権使)、ロシア側全権はゴルチャコ公爵(外務大臣)。

  1. 第一款 大日本国皇帝陛下ハ 其ノ後胤ニ至ル 現今 樺太(即哈嗹)ノ一部ヲ所領スルノ権理及君ニ属スル一切ノ権理ヲ 全露西亜皇帝陛下ニ譲リ 樺太ハ悉ク露西亜帝国ニ属シ 「ラペルーズ」峡ヲ以テ両界トス
  2. 第二款 全露西亜皇帝陛下ハ 第一款ニ記セル樺太(即哈嗹)ノ権理ヲ受シ 代トシテ其後胤ニ至ル 現今所領 「クリル」群即チ 第一「シュムシュ」 第二「アライド」 第三「パラムシル」 第四「マカンルシ」 第五「ヲネコタン」 第六「ハリムコタン」 第七「エカルマ 第八「シャスコタン」 第九「ムシル」 第十「ライコケ 第十一「マツア」 第十二「ラスツア」十三スレドネワ」及「ウシシル」 第十四「ケトイ」 第十五「シムシル」 第十六「ブロトン」 第十七「チエルポイ」並ニ「プラットチエルポエフ」 第十八「ウルップ 共計十八ノ権利及ビ君ニ属スル一切ノ権理ヲ 大日本国皇帝陛下ニ譲リ 後「クリル」全日本帝国ニ属シ 柬察加地方「ラパツカ」岬ト「シュムシュ」ノ間ナル峡ヲ以テ両界トス

 正文はフランス語日本語ロシア語ともにあるが、一部学者は正文ではないので効としている。
 ここでも後世、フランス語正文と日本語訳との齬を摘する意見がある。日本語訳では「ここに列挙された得撫その他の々のことを『クリル諸(群)/千島列島』としている」と読めるが、フランス語正文ではクリル諸千島列島のうち、現在ロシアが所有している部分」と読めるという点・・・つまりは、択捉・後を千島列島クリル諸)に含むのか否かということである。この点は国会で2度、取り上げられたことがあるが、日本政府の説明はそれぞれで異なったものになっている。

1950年3月8日 衆議院外務委員会】
 鉄男 (立養正会)] …択捉島以南、すなわち択捉、後以南のは当然もう日本国としてはっきりきまつていた後において、千島樺太交換条約によって、クリル全すなわちウルップよりシユシユ――ウルップというのは択捉とのでありますが、下田条約(注:日露和親条約)によってすでに日本と決定されたその以北、いわゆるウルップ以北がクリル全、こういう呼称で呼ばれているのであります。そうでなければこの条約の文章が成立たないのであります
 西村外務省条約局長 その条約の条文を持ちませんので、確とした自信はございませんが、今繰返された文句によれば、例の明治八年の交換条約で言う意味は、いわゆる日露間の以外の部分である千島のすべてのという意味でございましよう。ですから千島列島なるものが、その以北だけがいわゆる千島列島であつて、それ以南の南千島というものが千島列島でないという反対解釈は生れないかと思います。

1986年4月2日 参議院外務委員会】
 寺田雄 (日本社会党)] …クリル諸に関する文を見ますと、これはフランス語だけれども、クリル諸と称せられる々のグループ、「le groupe des Iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement」と書いてある。これは、結局ロシア皇帝が現時点において持っているクリルと称せられる々のグループ、それを大日本国皇帝陛下に譲ると言っているので、これをつまり日本語では「現今所領」という何かわけのわからない言葉で言っているけれども、クリル諸というのは、この今挙げた十八じゃなくして、ロシア皇帝が現時点において持っているところのクリル諸、こういうふうに訳すべきなのを、何かはっきりしない訳をつけて、これを根拠にクリル諸というのは旧ロシア帝国が十八だけだと認めたというふうな理論的根拠にしている。それは非常に条約の解釈を誤ったものだと思いますが、これはどうですか。
 [小和田外務省条約局長 今御摘になりました樺太千島交換条約の第二款でございますが、フランス語は、確かに御摘のように、「le groupe des Iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement」と、こう書いてありますので、それをどういうふうに解釈するかという問題であろうと思います。
 ここで明らかにはっきり「le groupe des Iles dites Kouriles」と、こう言っているわけで、クリルと呼ばれる一連の々、クリルと呼ばれる群、つまりクリル群ということが書いてあって、その後で、「qu'Elle possede actuellement」というのは、それをロシア現在所有をしておる、こういうことが 書いてあるわけでございまして、そのこと自体は、何もクリル群というものが別個に存在して、その中でロシアが持っている部分というふうに書いてあるわけではないというふうに考えております。(中略)
 そういうふうにいたしますと、この樺太千島交換条約ができた当時における日本政府の認識としては、やはりこのクリル群というものが、ここに書いてありますように、すなわち「第一シュムシュ」から「第十八ウルップ」に至る十八ということをしておるという認識に基づいてこの条約ができていたというふうに考えていいのではないかというふうに思っております。

1905年(明治38年) ポーツマス条約

 日露戦争での日本の「勝利」の結果、締結された講和条約。領土については、樺太の北緯50度線より南の部分が日本領となることが取り決められた。

第九 露西亜帝国政府哈嗹南部及其ノ附近ニケル一切ノ地方ケル一切ノ共営造物及財産ヲ全ナル権ト共ニ 永遠日本帝国政府ニ譲与ス 其ノ譲与地域ノ北方界ハ 北緯五十度ト定ム 該地域ノ正確ナル経界線ハ 本約ニ附屬スル追加約款第二ノ規定ニヒ之ヲ決定スヘシ

サンフランシスコ講和条約と、変化する日本政府の方針

サンフランシスコ講和条約第2条【領土権の放棄】(C)項

  日本国は、千島列島並びに日本国が千九五年九月五日のポーツマス条約の結果として
  権を獲得した樺太の一部(注:南樺太及びこれに近接する諸に対する
  すべての権利、権原及び請権を放棄する

択捉島と国後島は「放棄した千島列島」なのか

 北方は一括して日本へ返還されるべきとするのが現在日本政府公式見解であり、日本国内において最も多数の意見である。な論拠としては、

 が挙げられる。ところが、1956年までの日本政府は、公式見解として「択捉島は(放棄した)千島列島に含まれる」と表明していた。

【1947年10月8日 参議院外務委員会 萩原 外務省条約局長
 一八五五年に日露間に友好条約ができまして、この条約でロシヤと日本の間の千島におけるを確定して、それで北海道一番近いのは後で、その次は択捉というなのでありますが、その二つを日本領土とし、それから三番の得撫から北をロシヤ領とする。つまりロシヤと日本とのは、二番の択捉と三番の得撫の間にある択捉峡を以てとするということを約束いたしたのであります
1950年3月8日 衆議院外務委員会 島津久大 外務省政務局長
 ヤルタ協定の千島の意味でございますが、いわゆる南千島、北千島を含めたものを言つておると考えるのです。ただ北海道と近接しております舞、色丹は千島に含んでいないと考えます
【同委員会 西村外務省条約局長
 一九四六年の一月二十九日付の総司令官日本政府にあてたメモランダム(注:日本政府の施政権から除外される地域を列挙したGHQでありますが、例の外地域を日本行政上から分離するあの地域を明示された覚書であります。その第三項の中に千島列島舞諸及び色丹とございます。いわゆる千島と北千島とを合せて千島列島という観念で表示してあります。
1951年8月17日 衆議院会議 吉田茂 総理大臣
 日本の領土なるものは、四つの大きなと、これに付属する小さいとに限られておるであります。すなわち、その以外の領土については放棄いたしたのであります。これはとして存する事実であります
9月7日 サンフランシスコ講和会議 吉田全権演説
 千島列島及び南樺太の地域は日本侵略によつて奪取したものだとのソ連全権のは、承いたしかねます。日本の当時、千島南部の二、択捉、後両日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。ただ得撫の北の北千島樺太南部は、当時日露両人の混住の地でありました。1875年5月7日日露両政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島日本領とすることに話合をつけたのであります
10月19日 衆議院平和条約及び日安全保委員会 西村条約局長

 約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまつたくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議演説において明らかにされた通りでございます。
11月6日 参議院平和条約及び日安全保委員会  外務政務次官】

 千島列島の中には舞、色丹は加えていない。そんならばほかのずつと二十五島でございますが、その他のの中で、南千島は従来から安政約以降において問題とならなかつたところである。即ち後及び択捉の問題は民的感情から申しますと、千島と違うという考え方を持つて行くことがむしろ民的感情かも知れません。併し全体的な立場からすると、これはやつぱり千島としての解釈の下にこの解釈を下すのが妥当であります
1952年7月31日 衆議院会議決議】

 舞、色丹については、当然わが権に属するものなるにつき、速やかにその引渡を受けること。
(注:択捉・後については全く言及し)
1953年3月5日 参議院外務・法務委員会 下田武三 外務省条約局長

 現在のところ今御摘の舞、色丹両とこの竹島以外に何ら紛争の発生が現実にございませんし、又ありそうなもないわけでございます

二島返還論から四島返還論へ

 しかし内閣吉田茂から鳩山一郎に変わり、ソ連との交正常化交渉が本格化すると、政府の態度に変化が出てくるようになる。

1955年12月7日 衆議院予算委員会 鳩山一郎 総理大臣
 舞、色丹でもって満足しますということを私言った覚えはありませんとにかく、領土問題についても解決しなくてはならない問題の中に入るということだけは言ったことはあるのですが、その要する舞、色丹だけだということはかつて言ったことはないであります
12月8日 衆議院外務委員会 下田条約局長
 ヤルタ協定は、御承知のようにクーリール(注:クリル諸千島列島ロシア呼称)ソ連に引き渡さるべしとありまして、クーリールというだけでありまして、北千島、南千島、中千島と区別はしていないはもとより、本来の日本の領土であります舞、色丹については何らの言及をいたしておりません。
12月9日 衆議院外務委員会 中川外務省アジア局長
 明治の初めに日露間で協定ができました際には、これはの名前は列挙してあったのでありますが、その際にはクーリール・アイランズと書いてありましたが、カッコをして書いてあるには、南千島は入っていないのであります。従ってわれわれは、ロシヤとの法律関係、条約関係におきましては、クーリール・アイランズという場合には、南千島は入っていないと解釈しておるであります
12月15日 参議院予算委員会 重 外務大臣】
 問題になっておりますのは、北海道の一部と従来考えられておった々のことでございます(略)これは千島北海道の一部と、日本の固有の領土であったと考えております(略)歴史日本領土でなかったことのないような所については、これは日本が強くするということは当然、正当なる強いだと考えております。

 そして1956年2月11日衆議院外務委員会で、森下雄・外務政務次官は以下の決定的な答弁をする。

 この南千島、すなわち後、択捉の両は常に日本の領土であったもので、この点についてかつていささかも疑念を差しはさまれたことがなく、返還は当然であること。
 御承知のように後、択捉両日本領土であることは、一八五五年、安政元年下田条約において、ただいまお述べになったように調印された日本国とロシヤ通好条約によって露からも確認されており、自来に対しましては何ら領土的変更が加えられることなく終戦時に至っております。一八七五年、明治八年の樺太千島交換条約においても、は交換の対たる千島として取り扱われなかったであります
 サンフランシスコ平和条約はソ連が参加しているものではないが、右平和条約にいう千島列島の中にも両は含まれていないというのが政府の見解であります
 同会議において吉田全権は択捉、後両につき特に言及を行い、千島列島及び南樺太の地域は、日本侵略によって略取したものだとするソ連全権のに反論を加えた後、日本の当時、千島南部の二すなわち択捉、後両日本領であることについては、政ロシヤも何ら異議を差しはさまなかったと特に摘しておるのであります
 また連合はこの今次戦争について領土の不拡大方針を掲げていたこと、また太平洋章、カイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言はすべて過去において日本暴力により略取した領土を返還せしめるという趣旨であり、日本国民は連合が自の領土的拡大をめているものでないことを信じて疑わない。日本の固有の領土たる南千島ソ連が自領土であるとすることは、日本国民一人として納得し得ないところであります

 加えて同じ委員会で、下田条約局長は次のように述べる。

 クーリールといいまして、クーリールなるものの範囲も、これも連合間で何ら意見の一致を見ていないであります。従いましてその意見の一致を見ていないクーリールなるものの範囲について、固有の日本の領土たる後、択捉はクーリールに含まないと言うことは、日本自由なりということになっているであります。であるとするならば、今日日本が、最終的の領土処分を行いました平和条約がない以上は、日本の利益に従ったところを最大限までするということは、これは当然のなすべき処置であると私は考えます。
 ソ連は桑港(=サンフランシスコ条約の当事ではないという点から、桑港条約にいかに規定しておりましても、それが直ちに日ソ間には妥当しないという大前提がございます。それはそれといたしまして、もう一つ大きな点は、桑港条約の今の第二条(C)の点でございますが、いろいろ桑港条約のたる起者たる米国政府その他に聞きまして、クーリールに限ってソ連に引き渡すという言葉を使っております。それが出ましたのはヤルタにおけるチャーチルルーヴェルト、スターリンの三巨頭会談から起ったわけであります。三巨頭が一体ソ連クーリールを引き渡すという場合において、どういう範囲ののことであるかを三巨頭が認識しておったのであるかどうかという質問に対しましては、いや、実は三巨頭はそんなことはちっとも知らなかったという話でございます。
 三巨頭の間にクーリールの範囲について、実に何も御存じないできめてしまったというのが実情なんであります。ですから、北海道の一部であった後、舞、色丹等もクーリールの一部であるとすることができるかもしれません。しかし、そんなことはちっとも知らないで勝手に行われた。かつて日本の固有の領土であって、一度も外の支配下になかった後、択捉、それも取り上げることをしておったのかどうか、そんな明確なはちっともなかったということであります

 四返還論はこうした経緯で生まれたものであるが、政府国会がかつて択捉島の返還に積極的でなかったいうのは、現在日本側にとって極めて不都合なことであるため、 学校教育などで教えられることはなく、あまり知られていない。

日ソ交渉とアメリカの外交圧力

 1955年6月からロンドンで始まった日本ソ連の接触は、案の定領土問題で行き詰まる。日本側は初め、全千島と南樺太の返還を要。次いで、択捉・後・色丹・舞の四を提案する。対してソ連側は、色丹・舞のみ、以後の非武装地帯化したうえでの引き渡しを示唆。ロンドンの交渉団(松本俊一全権)は色丹・舞二での妥協を本に請訓するが、政府妥協を不可としたため、交渉決裂する。

 政府が四返還に固執したのは、重外務大臣が反ソ・反共であったことと、5511月保守合同自由民主党ができ、反ソ・反共志向の旧・吉田茂池田勇人など)勢が与党入りして重バックアップするようになり、これを視できなかったためである。かつて千島樺太どころか、択捉・後の要にも消極的だった吉田政権の人々が四返還をするという事になるわけだが、これには「反ソ・反共」の立場と、吉田政権を倒された恨みから、鳩山一郎総理大臣の外交を頓挫させようとする行動、加えて鳩山失脚により総理の座を狙う重の野心、などの政治的思惑によるものだった。

 日本国連加盟問題でソ連拒否権発動(5512月)、北洋漁業の大幅制限明と日ソ漁業交渉(56年3月5月)といった、交渉決裂に対するソ連の報復措置を経て、56年7月14日に重外相自らが乗り出してモスクワで交渉が再開される。これまでの方針通り四返還をした重だったが、8月12日に二での妥協を表明。ロンドン交渉時の全権だった松本俊一代議士がそれに反対する中、14日付で「日ソ平和条約(案)」が作られる。

 重はこの案をもっての条約締結を本請訓するが、内閣自民党もこぞって反対。再び交渉は頓挫する。

 この直後の8月19日スエズ運河会議出席のためロンドンに向かった重は、米国務長官ジョンフォスター・ダレスと会談。ここで今回の日ソ交渉の経過を説明した重に対し、ダレスの「一」があったといわれる。

 ※一九五六年の日ソ国交回復交渉に関する質問主意書exit
 ※衆議院議員鈴木宗男君提出一九五六年の日ソ国交回復交渉に関する質問に対する答弁書exit

 重外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、ややざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄アメリカの領土とするということをいった」といって、すこぶる奮した顔つきで、私にダレスを話してくれた。
 このことについては、かねてワシントン日本大使館に対して、アメリカからダレス長官が重外相に述べた趣旨の申し入れがあったのである。しかしモスクワで交渉が妥結しなかったのであるから、まさかダレス長官が重外相にこのようなことをいうことは、重氏としても予想しなかったところであったらしい。
 重氏もダレスが何故にこの段階において日本の態度を牽制するようなことをいい、ことに米国琉球の併合をしうる地位に立つというがごとき、まことに、おどしともとれるようなことをいったのか、重外相のみならず、私自身も非常に了解に苦しんだ。松本俊一 『モスクワにかける 日ソ交回復秘録』)

 9月7日アメリカは以下のような覚書を日本政府に通知した。(全文)

 最近のロンドンにおけるダレス務長官との会談に際し重外務大臣からなされた要請に応じて、は、今回の日ソ平和条約交渉中に提起された諸問題につき、特にサン・フランシス平和条約の署名としての米国の利関係に照らして、検討を行つた。は、この検討に基いて、次のとおり意見を開陳するものである。
 米国政府は、日ソ間の戦争状態は正式に終了せしめられるべきものであると信ずる。
 元来この戦争状態は、ソ連邦がサン・フランシス平和条約の署名を拒否した一九五一年当時から、つとに終了せしめられていなければならなかつたものである。日本はまた、日本が加盟の資格全に有する国際連合に、久しい以前から加盟することを認められていなければならなかつた。さらにまた、ソ連邦の手中にある日本人捕虜は、降伏条項に従つて、久しい以前に送還されていなければならなかつたのである。
 領土問題に関しては、さき日本政府通報したとおり、米国は、いわゆるヤルタ協定なるものは単にその当事の当時の首者が共通の標を陳述した文書にすぎないものと認め、その当事によるなんらの最終的決定をなすものでもなく、また領土移転のいかなる法律的効果を持つものでもないと認めるものである。
 サン・フランシス平和条約-この条約はソ連邦が署名を拒否したから同に対してはなんらの権利を付与するものではないが-は、日本によつて放棄された領土の権の帰還を決定しておらず、この問題は、サン・フランシス会議米国代表が述べたとおり、同条約とは別個の際的解決手段に付せられるべきものとして残されている。いずれにしても日本は、同条約で放棄した領土に対する権を他に引き渡す権利を持つてはいないのである。
 このような性質のいかなる行為がなされたとしても、それは、米国の見解によれば、サン・フランシスコ条約の署名拘束しうるものではなく、また同条約署名は、かかる行為に対しては、おそらく同条約によつて与えられた一切の権利を留保するものと推測される。
 米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、後両は、(北海道の一部たる舞諸及び色丹とともに)、常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。米国は、このことにソ連邦が同意するならば、それは極東における緊の緩和に積極的に寄与することになるであろうと考えるものである。

 『ダレスの一』が色丹・舞二返還での妥協を頓挫させたという説もあるが、既に5512月の時点で政府自民党の方針は「四返還」に転換されていたのであるから、時系列的には『ダレスの一』が影を与えたとは言えない。しかしこの後成立した『日ソ共同宣言』において領土問題が決着することはなく、かつメモランダムにより、東西冷戦逐のなかでこれ以外の条件によって妥結することは、事実不可能となったであろう。

日ソ共同宣言第9条

 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両間に正常な外交関係が回復された後、
 平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、
 舞群及び色丹日本国に引き渡すことに同意する。
 ただし、これらの諸は、日本国ソヴィエト社会主義共和国連邦との間の
 平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。

日ソ共同宣言から現在までの状況

 現在から振り返ってみても、日本ソ連ロシア)が北方領土について最も折り合いをつけられたのは日ソ共同宣言の時である。共同宣言締結によってソ連は拒否権を取り下げ、日本国連加盟が実現した。しかし1960年岸信介内閣が日安全保障条約定を行なって反共・反ソ姿勢を明確にすると、ソ連しく反発。舞・色丹引き渡しの効を言い出し、田中角栄首相モスクワ訪問(1973年)まで首会談が開かれず、北洋漁業日本漁船のソ連巡視船による拿捕が後を絶たないなど、交渉のテーブルにつくこと自体困難な状況が続く。

 ゴルバチョフの登場でソ連の状況が変化すると、中曾根首相モスクワ訪問(1985年)、ゴルバチョフ訪日(1991年)が実現するなど、北方領土問題の対話が行われるようになる。ソ連崩壊後に政権を執ったエリツィンそれなりに領土問題に取り組み(1993年東京宣言)、後継のプーチンも解決に意欲を見せている(2001年イルクーツク明・2013年森喜朗首相と会談)が、このゴルバチョフ以後の各政権との交渉は結局のところ、日ソ共同宣言のレベルまで話を戻せるか否かということに終始したと言わざるを得ないものだった。

 北方領土をはじめとする領土問題解決を、外交の大きな柱に位置づけている安倍晋三首相(第2次内閣)が、2013年4月に予定されているプーチン大統領との会談でどれだけの成果をあげられるかが注されている。

「返還」が実現した場合に予想される諸問題

 日本大東亜戦争敗戦で失った領土のうち、奄美小笠原諸島、そして沖縄を取り戻した。しかし沖縄言わずもがな、決して人口が多いと言えない小笠原ですら、返還前に移り住んでいた欧民の取り扱いについて困難があったという。まして、現在19000人の人口があるという北方領土(※千島列島樺太全体=サハリン州では54万人)が「返還」された場合、問題が際限なく勃発するであろうことは想像に難くない。

  1. 在日ロシア人」の発生 ・・・ 第二次世界大戦の後始末として、ドイツ第三帝国の支配下にあった中欧東欧からドイツ人をことごとく追放するという策が取られたが、今時そんなことができるはずもなく、北方が一括返還となると確実に1万数千人のロシア人を日本国内に抱え込むことになる。全千島や南樺太もとなれば、その数は何倍にも膨れ上がる。彼らの処遇をどうするのか。
  2. 民の帰・新規移住者 ・・・ 返還が実現すれば、当然旧民は故郷に帰りたがるだろうし、新しい移住希望者もいるだろう。しかしでの居住可地域など限られており、そこには「在日ロシア人」が現に住んでいる。居住権をめぐる争いがこじれれば、パレスチナにおけるユダヤ人アラブ人のような事態も起こりかねない。
  3. インフラ整備・殖産 ・・・ なにしろ北海道よりさらに北の地域である。企業誘致も道路を引くのも鉄道を敷くのも一苦労だろうし、千島列島一帯は船の難所として有名。戦前の南樺太にはなかなかの鉄道網があったようだが、不採算店舗・不採算工場・不採算路線を維持発展させるだけの展望をもてない現代の企業では・・・?
  4. 防衛 ・・・ 言うまでもなくこの々は地帯である。ロシアにしてみれば太平洋への玄関口だから、仮に戦後日本千島樺太を維持していたとして、現在中国沖縄尖閣諸島に対する圧と同じ事を、ソ連ロシア)も行なっていたに違いない。千島列島の全長は1200kmで、青森県から山口県までの距離に相当。南樺太を獲得すれば北緯50度線に、この数十年日本が持たなかった「陸上」も発生する。防衛は可なのか?

【外部サイトもし北方領土が返還されていたらexit

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ハロネズミ』は古い探偵漫画フィクション)であるが、北方領土で生まれ育った人がまだ多く社会に出ていた、ソ連崩壊以前の時代を舞台にしたシリーズが収録されている。

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掲示板

  • 1147ななしのよっしん

    2019/06/27(木) 13:22:48 ID: XA5wCZQ0In

    >>1146
    ちょっと何言ってるのか分からないですね…
    逆なら良い皮になるだろうが

  • 1148ななしのよっしん

    2019/06/27(木) 15:34:06 ID: +Z3KmyTLkM

    >>1146
    クソワロタ
    良い皮だな

  • 1149ななしのよっしん

    2019/06/27(木) 15:34:39 ID: RcG3jvlKM0

    >>1146
    侵略ルールを守ったやら、良い侵略もないと思うんですけど
    すくなくともWW2なんてどこも要参戦国ルールなんて守ってないってそれ(むしろ守ってるがいるのかすら疑う)

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最終更新:2019/06/27(木) 19:00

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