山崎武司とは、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手である。
1968年11月7日生まれの愛知県出身。右投げ右打ち。1986年にドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。ちなみに高校の5年先輩には工藤公康、5年後輩にはイチローがいる。
入団当初は捕手だったが途中で外野手に転向。1996年には本塁打王を獲得。1998年から一塁手に転向。1999年9月26日、対阪神タイガース26回戦(ナゴヤドーム)の9回裏に劇的な逆転サヨナラ3ラン本塁打を放った直後、打席に立ったまま絶叫しながら両手を突き上げて仁王立ち。この派手なガッツポーズは後に「Xホームラン」とも形容されるなど語り草となっている。2000年のオールスターゲーム第2戦では4打数3安打2打点の活躍でMVPを受賞した。
しかし2002年オフに成績不振と監督との対立でオリックス・ブルーウェーブにトレード。2003年にそこそこの活躍を見せるものの、2004年にまたしても監督と対立。戦力外通告を受ける。
オリックスを戦力外になった際、引退も考えたが、高校の先輩、工藤の勧めなどもあって楽天に入団。2007年には配球を読む事を覚えた事によりホームランを量産し、38歳で本塁打王、打点王の二冠に輝き、史上3人目となるセ・パ両リーグでの本塁打王を獲得するという快挙を成し遂げ、いらない子からパ・リーグを代表するバッターまで上り詰めた。2008年のオールスターゲーム第1戦ではサヨナラ適時打を放ち、当時史上4人目となるセ・パ両リーグでのMVPを獲得した。40歳を越えた今現在でも第一線で活躍している息の長い選手である。
しかし長年活躍している一方、主軸打者としては致命的な勝負弱さが最大の弱点である。その顕著な例として、2001年には中軸を打っていたにも関わらず、得点圏打率.184、25本塁打を放ちながら僅か51打点という惨憺たる成績を残している。この極端な勝負弱さは元プロ野球選手で現格闘家の古木克明が、横浜ベイスターズ在籍時の2003年に記録した22本塁打37打点と共に不名誉な記録として語り継がれている。
こうした勝負弱さから、中日在籍時の後年から次第に置物呼ばわりされるようになり、ネット上ではいつしか「邪魔崎」と呼ばれるようになってしまった。折しも中日が低迷期に陥ったこともあって、山崎の低迷ぶりもまた、その最たる象徴としてしばしば槍玉に挙げられていた。このように、試合で大ブレーキになった時などには「邪魔崎」、大勢が決した試合終盤で本塁打や適時打を放った際には「帳尻崎」、逆に目を見張るような活躍を見せた時には「必要崎」「不可欠崎」「神崎」などと呼ばれるようになり、その後「邪魔崎」が徐々に変化し、元々のニックネーム「ジャイアン」とくっ付く格好で、現在のネット上の愛称「ジャーマン」が生まれた。
2007年には43本塁打108打点で二冠王に輝き、2008年には26本塁打80打点、2009年には39本塁打107打点でチームの2位躍進に貢献するなど、ここ3シーズンは得点圏でも勝負強さを見せていた。ところが2010年になると、札付きの勝負弱さが再び顔を出し始めてしまい、打撃不振もあいまって期待に反する成績に甘んじている。ニコ生の「楽天イーグルス公式戦生放送」では、絶好機に山崎に打席が回り、案の定 惜しくも凡退すると、常連視聴者からは全てを悟りきったかのように「知ってた」のコメントが連発される。逆に、ごく稀に 期待通り本塁打や適時打が飛び出した際には「サーセン」「知らなかった」と謝罪のコメントが連発される。話は変わるが、山崎が大活躍した日に、ヤマザキパンの製品を買いに行きたくなるのは何故なの?
2010年5月下旬には「ざmj」という愛称も誕生した。これはニコ生の「楽天イーグルス公式戦生放送」対横浜ベイスターズ1回戦(2010年5月18日)の9回裏、山崎の打席で運営が「ざきさーーーん」とコメントしようとしたのを、どういうわけか「ざmj」とタイプミスしたままコメントしてしまったのをきっかけに(当日のコメント履歴:3時間58分を参照)、タイプのし易さもあいまって、じわじわと広まってしまったものである。その「ざmj効果」なのかどうかはさておき、山崎は同年のセ・パ交流戦で両リーグ最多の11本塁打を放つ活躍を見せた。だが反面、5月4日を最後に交流戦を挟んで6月25日まで、約1か月半にわたって適時打が出ないなど得点圏打率は下降する一方で、その結果「知ってた率」も上昇してしまった。そもそもの発祥がタイプミスだけに「打ち間違い」が増えてしまったのだろうか。
人一倍向こうっ気が強く、一旦キレると、相手が外国人であろうと審判であろうと見境なく向かっていくため、乱闘劇や退場劇の主役になってしまうこともしばしば。1996年5月1日の中日対巨人5回戦(ナゴヤ球場)の5回裏、相手先発のバルビーノ・ガルベスが投じた頭部付近へのビーンボールを巡り、パンチを繰り出したガルベスに対しヘッドロックを仕掛けたのをきっかけに乱闘を引き起こして、プロ入り初の退場処分を受けたのを皮切りに、2009年までに通算5回の退場処分を受けている。
因みにNPB審判の栄村孝康とは、何かと相性が悪い。2009年5月14日の楽天対日本ハム9回戦(Kスタ宮城)の4回裏、ストライクの判定を巡って球審・栄村に「下手くそ!」と暴言を吐き、侮辱行為で退場処分となった。山崎は試合後も怒りが収まらず「俺だけやない。他のチームもみんなアイツにやられとる。下手くそに下手くそと言って何が悪い!俺が代表してやってやったんや」とまくし立て、当時ちょっとした話題を呼んだ。
中学時代は相撲をやっていて、高校3年の時には野球は地方大会止まりだったが、その大会の後に数日相撲の練習をしただけで地方大会を優勝し、全国大会に出場。相撲部屋からスカウトされたこともある。本人曰く、相撲をやっていたら大関までいってたかもしれないだとか。ちなみに本人の申告によると、握力は全盛期で90kg以上あったらしい。
中日ドラゴンズの山本昌と仲が良く、シーズンオフにはラジコン大会を開催している。また、シカゴ・カブスの福留孝介と共に自主トレを行っている。
趣味はミニカー収集。コレクションは数千点以上で海外に買い出しに行くこともある。
実家近くでの火事に知人らと協力して子供を助け出し、地元消防署から表彰されたこともある。
応援歌はオリックス時代どころか、その前の中日時代のものを応援団が使用している。そのため、仙台に来ても「名古屋の意地だ」という部分は改変されていない。ただ山崎本人はオリックス移籍後から現在に至るまで、家族を名古屋近郊の自宅に残したまま単身赴任でホテル暮らしを続けている。
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最終更新:2024/05/26(日) 20:00
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