筒香嘉智 単語

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筒香嘉智(つつごう よしとも、1991年11月26日-)とは、和歌山県出身のプロ野球選手内野手外野手)である。現在横浜DeNAベイスターズに所属。

概要

筒香(つつごう)という苗字は全で3世帯しかいない。

松坂大輔に憧れて横浜高校に進み、1年から4番に抜され、2年には甲子園に出場。3年は県大会止まりだったが、第8回AAAアジア野球大会に出場し、際大会を経験した。

高校通算69本塁打の打棒をひっさげ、高校No.1スラッガーとして2009年ドラフト1位横浜ベイスターズ名され入団。高校時代から呼ばれていた「ハマのゴジラ」というニックネームから背番号55を与えられた。

横浜時代

2010年

1年から二軍で4番に起用され、イースタン・リーグルーキー記録となる26本塁打マーク。88打点イースタンの本塁打王打点王く。その活躍が認められ、シーズンの最終盤に一軍デビュー。最終戦となった10月7日阪神タイガース戦で、久保田智之からプロ安打・初本塁打となるホームランを放った。

2011年

背番号を8に変更。打撃不振と故障が重なり開幕からしばらく二軍暮らしが続いたが、8月末に一軍昇格。将来を見据え、経験を積ませるため5番・一塁手に固定された。最初は低打率にあえいだが、徐々に対応し、統一球をものともしない快な本塁打横浜ファン希望になる。9月末からは3番に入り、最終的に40試合で打率.241、8本塁打22打点。翌年に大きな期待を抱かせる結果を残した。

2012年

村田修一読売ジャイアンツに移籍したため、背番号25を受け継ぐことになった。55→8→25と、高卒3年で3つ背番号というしい事態になった。怪で開幕を出遅れ5月3日から一軍に合流し、に3番や5番を任される。5月6日山本昌から2本のホームランを放つと約一ヶで5本のホームランを積み上げる。しかし6月下旬から徐々に調子を落とし始め、打率2割を切り死球もあって7月30日に登録を抹消8月11日に昇格するといきなり4安打を放つが、そこからは特に調子を上げることも下げることも打率.218、45打点、10本塁打シーズンを終える。8月25日読売ジャイアンツ戦で自身初のサヨナラヒットを打ち、9月12日にはエンジェルベルト・ソトからホームランを放ち2桁本塁打に到達した。また、エース級のピッチャーからのホームランが多かった(金子千尋前田健太吉見一起など)。

2013年

オープン戦にて走塁中に左足首をひねり負傷。開幕戦絶望と言われたが間に合い、6番・三塁手で初の開幕スタメンに選ばれた。しかし、その後立った活躍はなく、7月6日東京ドームでの巨人戦で澤村拓一からトニ・ブランコと共に二者連続ホームランを打ったが、一軍では一塁手ブランコ三塁手中村紀洋が定着していたため出場機会が限られ、場に二軍落ちしそのままシーズンを終える。

2014年

を生かすため、またアーロム・バルディリスの加入などもあり正式に左翼手へ転向。オープン戦ではに五番に起用され、長打を減らす一方、四球を良く選び単打でしぶとく出塁するスタイルに変化した。前半戦終了時点で自己キャリアハイの成績を残しレギュラーに定着した。8月13日中日ドラゴンズ戦で、中堅手梶谷隆幸と衝突し後頭部を強打。自に起き上がれないまま救急車病院に搬送されたが、幸い命に別状はなかった。診断の結果、振とうと頸椎振とうと診断された。後に復帰し、最終的に111試合、打率.300、22本塁打、77打点オフには中村晃の代わりに日米野球に出場した。

2015年

開幕から4番として起用され続けている。5月は23試合出場で打率.383、本塁打5本の活躍を見せ5月MVPを受賞した。5月24日阪神戦で走塁中に足を痛め、暫くの間スタメンを外れたこともあった。
7月17日・18日のオールスターゲームにはセ・リーグ最多得票で初選出され、第1戦試合前のホームラン競争では史上最多の合計15本を放ち優勝した。
後半戦ではチームが低迷するのと同じくして本塁打減したが、最終的に打率.317、24本塁打、93打点と自己キャリアハイの成績を残した。オフWBSCプレミア12日本代表に選出された。プレミア12の後は海外修行した。

2016年

この年からノーステップ打法に取り組み、オープン戦で結果を残す。 前半戦は5月に軽度の離れで一週間一軍を離れたが、それ以外は4番として出場し本塁打を量産。2年連続で選出されたオールスターでは第1戦で2安打1本塁打の活躍でMVPを獲得。第2戦も本塁打を放ち、敢闘選手賞を獲得した。
後半戦でも勢いをキープし、7月間歴代2位の16本塁打記録し、7月MVPを獲得。8月5日中日ドラゴンズ戦で通算100本塁打を達成した。9月13日東京ヤクルトスワローズ戦で40本塁打に到達(球団では村田修一以来)。この年は44本塁打110打点本塁打王打点王タイトルを獲得。名実ともにベイスターズ、ひいては「日本の4番」としてその存在感を大いに示した。

2017年

WBC日本代表に選出され、4番として7試合に出場。第1ラウンドでは打率.364、2本塁打、5打点記録し、第1ラウンドMVPを獲得した。

レギュラーシーズンではWBCの疲れなのか、深刻な打撃不振に陥る。

プレースタイル

「ハマの大砲」の呼び名通り、アベレージとパワーを兼ね備える打撃が魅。かつては中距離打者と称されていたこともあったが、2016年にはすり足打法に近づけることでホームラン数を飛躍的に増加させると同時に、逆方向の打球も伸びるようになった。

かつてはことごとく打てず「デブ」とも揶揄されたほど低打率にあえいでおり、2014年の開幕前に中畑清監督の下でサードからレフトへのコンバートを経て開眼した。

レフトの守備はあまり話題にならないが、パワーヒッターにしては良好である。かつてはまれにファーストを守ったりしていた。

応援歌

球団 レス No プレイヤー
横浜
DeNA
応援歌のピコカキコ一覧#199 8850
8850

年度別打撃成績

2016年終了時点)

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
2010年 横浜
DeNA
3 10 7 1 1 0 0 1 1 0 0 0 2 1 1 0 .143 .400
2011年 40 160 145 16 35 10 0 8 22 1 0 1 13 1 51 4 .241 .306
2012年 108 446 386 31 84 16 3 10 45 1 2 5 51 2 102 4 .218 .309
2013年 23 56 51 5 11 1 0 1 3 0 0 0 3 2 13 2 .216 .286
2014年 114 461 410 58 123 24 2 22 77 2 0 2 47 2 100 7 .300 .373
2015年 138 568 496 79 157 28 1 24 93 0 0 2 68 2 98 5 .317 .400
2016年 133 561 469 89 151 28 4 44 110 0 0 2 87 3 105 6 .322 .430
NPB:7年 559 2262 1964 279 562 107 10 110 351 4 2 12 271 13 470 28 .286 .374

文字リーグ最高。

記録

初出場 2010年10月5日 読売ジャイアンツ24回戦 横浜スタジアム
安打
本塁打
打点
2010年10月7日 阪神タイガース24回戦 久保田智之から
盗塁 2011年10月13日 阪神タイガース21回戦 小嶋達也小宮山慎二から
サヨナラ 2012年8月25日 読売ジャイアンツ15回戦 高木康成から

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