単語記事: アタリショック

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アタリショックとは、

した言葉である。消費者が「つきあいきれなくなり」、ある市場が急に衰退する現をこれに例えることも多い。
日本でのみ使われている言葉であり、アメリカではこのような言葉を使うことはない(本ではVideo Game Crashと呼ばれている)。

現在、様々な尾ひれや誤解により、半ば都市伝説のように誇されてられることも多い。

概要

まず、アタリショックる上でコンピューターゲームアーケードゲームの関わりを述べなければならない。

歴史

当初

1970年前半、PONG発売に端を発するアーケードゲームブームアメリカ中を席巻した。このブームの中心的存在だったのがアタリ社(Atari inc.)である。社長であったノーラン・ブッシュネルは経営権をワーナーコミュニケーションズ社に売却(76年)。売却で得た資本と今までの売り上げを資に、家庭用ゲーム機「Atari2600」を開発した。

Atari2600このAtari2600、価格が高めだったのに加え、当時アーケードゲーム盛だったため当初はそれほど人気は出ず、ブームの陰に隠れるようにひっそりと売れる程度にとどまっていた。1500万台(86年発売の廉価版を合わせれば最終的に全世界3000万台)を売り上げたこのゲーム機の普及は、80年初頭の移植インベーダーの発売まで待たねばならなかった。

※ちなみにAtari2600は当初AtariVCSという名称であり、後継機のAtari5200の発売に合わせて称された。

混迷

焦るレプカアタリ社の親会社となったワーナー社はアーケードゲーム機よりも家庭用ゲーム機の売り上げに執心するようになり、会社設立当時からあったアーケード部門の予算を削減するなど、アーケードゲームを切り捨てる方針に走った。

このため、会社立ち上げ当時から参加していた古の社員は辞職・退職により姿を消した。社長であったブッシュネルも例外ではなく、経営方針で衝突し78年にアタリ社を追われている。

また、当時の家庭用ゲーム機部門の重役が繊維業界などから引き抜かれてやってきた門外ばかりだったため、その後も家庭用ゲーム機部門を重視したにも関わらず、アーケード部門の方が売れ、ワーナー肝煎りの家庭用ゲーム機部門は前述の通り長期にわたり不振が続く事態が続いた。

増殖

インベーダーその後、当時の人アーケードゲームスペースインベーダー」がAtari2600移植されると、その前人気により、在庫がだぶついていたAtari2600は大いに売れ、家庭用ゲーム機部門の汚名は返上されたかに見えた。

しかし、このすぎる好況は「人気の映画マンガ小説Atari2600ゲームにすればなんでも売れる」という今のキャラゲーのような発想を招き、新規サードパーティによる粗製濫造ソフトが大量に生産されるようになった。これら粗製濫造されたソフトは多くが発売直後に新品のまま中古市場へ流れ、新品の買い控え現が発生した。

ちなみにインベーダーの移植を提案したのは、日本Atari2600の販売を担当していたエポック社であった。

崩壊

ソフトの粗製濫造、販売を防止する対策の不備、これら粗製濫造ソフト中古品として大量に市場に流れ込んだことなどが原因で、新品、中古価格の値下がりが起こった。アメリカの商習慣としてメーカー側が小売店に対し返品、値引き分を補填するというものがあり、小売店の過剰在庫、叩き売りの痛手をアタリ社はもろに受けることになった。
(※前述の商習慣がこれを招いた面もある。アメリカは販売業者のが強く、アタリ社はこれにも振り回された格好。)

追い打ちをかけるように、ホームコンピューター(後のパソコン)の躍進と低価格化が活発化。また、対抗機としてマテル社からインテレビジョン80年)コレコ社からコレコビジョンが発売(82年)されたこと、それを受けてアタリ社自身が後継機としてAtari5200を発売(82年)したことなどにより、Atari2600の魅は薄れていった。

82年のホリデーシーズンアタリ社はAtari2600に注し、ソフトを大量に出荷した。が、前述のような状況である。

かつてのような需要はもはやAtari2600には残っておらず、サードパーティ各社と共に大量の在庫を抱えてしまった。当時アタリ社が鳴り物入りで投入したのが、アタリショック戦犯として名前が挙げられる「E.T.」である。出荷400万本に対して250万本が売れ残るという惨状であった(逆に言えば150万本はハケたということである)。

ちなみに内容は史上最悪のクソゲーと名高いもので、製作期間は約6週間版権料は2500万ドルだったという。

戦犯として並んで有名なのが「パックマン」である。82年の発売当時にAtari26001000万台売れていたのに、何をトチ狂ったのか1200万本も製造するという愚行をアタリ社(というかワーナー社)は犯している。
(※ROMの生産には時間がかかるため、先の需要を楽観的に見越して生産するとこういうことになる)

このような、ワーナー社によるアタリ社の奔放な経営、需要を見誤ったソフトの濫造も市場崩壊の一因であるといえる。

結末

活況から一転、アタリ社の業績を下方修正したワーナーコミュニケーションズの価は82に暴落。
同時期にマテルやコレコなどのゲーム業界関連も、煽りを食って価を下げた。

83年も前年の活況を受けて各社のハードソフトが多く発売されたものの、終わってみれば各社とも火ので、市場規模は大きく縮小していた。サードパーティの参入、競合機の登場により、必然的に各社でパイを奪い合う形となったのである。特に、このような状況でも前述のような調子ソフトを大量に生産、出荷していたアタリ社は、不良在庫という形で大きなしっぺ返しを食らった。(83年には最も多くのソフトアタリからAtari2600用に発売されている。)

また、もともとテレビゲームは一過性のブームだと思われており、躍進するホームコンピューター市場乗り換えるか、庭用テレビゲーム市場から撤退するという動きが本格化したのも側面の一つである。

実際、アタリ社も当時「Atari400」「Atari800」といったホームコンピュータを発売しているほか、Atari2600コレコビジョンや自社ソフトが好調だったコレコ社も、自社でコレコビジョンの上位互換を持つホームコンピュータアダム」を開発している。このハードは不具合が多く大な赤字を生じさせたが、同時期にもうひとつの商品であるキャベツ人形爆発的なヒットを記録し、その赤字は帳消しとなった。しかしこのことに気を良くしたコレコ社は、売上は落ちていたもののまだ好調であったコレコビジョンを突如打ち切りキャベツ人形へ注することを選択してしまった(その後キャベツ人形の在庫を抱えて89年に倒産)。

8384年にかけてアメリカテレビゲーム市場は大きく収縮。82年に30億ドルあった市場規模も、85年には1億ドル以下にまで減少した。

ワーナー社は84年にアタリ社の用部門を、85年には業務用部門をそれぞれ分割売却した。

この後、85年末にアメリカファミコンであるNESNintendo Entertainment System)が販売されるまで、アメリカでは家庭用ゲーム機そのものへの不信感が強く残り、「氷河期」と言われる時代が続くことになる。

雪とクロ

その一方、ホームコンピュータ市場ゲーム専用機市場の衰退をに急成長を続けていた。82年に発売され、その驚異的な高性と低価格で一気にシェアを拡大したコモドール64アタリ失墜後の米国家庭用ゲーム市場覇者となったのである。85年のNES発売後も、コモドール64は北で高い人気を維持し続けた。

Atari2600を巡るこの一連の騒動は、日本で「アタリショック」と呼ばれるようになった。

アタリショックは実際にあったのか?

「?」しかし、後の時代になるとアタリショックについての分析が進み、

などにより、「単にAtari2600スペースインベーダー移植に伴って突発的に売れたのであり、売り上げが減したのは自然なことである」という見方が強くなった。

だが、先述のようなソフトの濫造、それに伴う中古市場への中古ソフトの過剰流入、そして先行き不透明な増産によりアタリショックは始まったのであり、今現在一般に「アタリショック」と言われる際も、このようなマクロ経済的な意味ではなく、単に「急ゲーム離別現」という意味を含めて発言されることが多い。

現在への影響

先ほども述べたように、クソゲーが消費者を激怒させ、財布の紐を締め上げたのは紛れもない事実であり、このことはアタリショックを知るゲーマーゲームパブリッシャーには共通の認識となっている。

過去現在家庭用ゲーム機を提供してきた各社は、ライセンスによってゲームを開発するサードパーティを管理・制限するというビジネスモデルを取っているのは、これが理由である。

よくある誤解

「アタリ社から発売されたゲームがクソゲーばかりで、ユーザーが離れていった」

アタリショック体はアタリ社、サードパーティーによる需要を読み違えたソフトの濫造にあり、アタリから発売されたゲームそのものがいわゆるクソゲーだらけであったわけではない(もちろん上述のような例外もあるが)。

また、同時期にアメリカではインテレビジョン80年)やコレコビジョン82年)、アタリ社からもAtari520082年)などが発売されており、アタリ社およびAtari2600だけが市場崩壊の原因であると位置づけるのはいささか不十分である。

「アタリ社はAtari2600の仕様を公開しており、誰でも自由にソフトを開発することができた」

アタリ社は当初サードパーティの参入を想定しておらず、アタリ社から独立した開発者たちがしたActivision社に対して勝手なゲームソフトの開発を差し止める訴訟を起こしている。結果として両社は「アタリ社に一定のロイリティを支払うこと」を条件に和解。アクティビジョン社は初のサードパーティとなり、これを皮切りに多くのメーカーが参入した。

参入メーカーの多くは独学でプログラミングを習得したり、Atari2600を解析するなどしてノウハウを得ていた。

余談だが、Activision社を創設したのはゲームの売り上げに応じた報酬の支払いをめたが認められなかったメンバーである。アタリ社(ひいてはワーナー社)上層部の理解不足も市場崩壊の一因といえるかもしれない。

「ゲームを評価するメディアがなく、ユーザーは店頭のパッケージだけでゲームを選んでいた」

Atari2600の最盛期である82年から市場崩壊の時期である83年にかけ、アメリカでは多くのテレビゲーム情報誌が発行されている。これらは最新ゲーム情報レビューなどのゲーム情報提供しており、ゲームを評価するメディアが「存在していなかった」というのは正確ではない。また、ビルボード誌による売り上げランキングの発表、ゲーム会社側からのCM、雑誌広告などもあり、現在のようにはいかないが、消費者は多少なりともゲーム内容を知り得る状況であった。

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読み:アタリショック
初版作成日: 09/09/06 07:20 ◆ 最終更新日: 13/05/01 16:27
編集内容についての説明/コメント: 前の編集者さんのユーザ記事で間違いが指摘されていますが、明確な回答が無いようなので差し戻し(&少し修正)させて頂きます。
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アタリショックについて語るスレ

127 : ななしのよっしん :2016/02/28(日) 08:43:31 ID: 1acVNl7n0G
Wikiに書いてあったけどアタリショック以前のファミコンロックがかかってなくてサードパーティゲーム作り放題だったようだよ
128 : ななしのよっしん :2016/02/28(日) 09:02:03 ID: rci4f+bSa5
ロックなんてないっしょ

ネットのない時代だから
自前でカートリッジ製造しないといけないし
一般流通にものせられない
ビデオ(死語?)販売と同じ

叩き売りされたクソゲーカートリッジを改造して
アングラ販売するのはいたらしいけど
129 : ななしのよっしん :2016/02/28(日) 09:05:10 ID: iVzipgRkI2
アタリショック1982年末だから1983年7月発売のファミコンアタリショック以降しかい気がするんですがそれは

開発中仕様ってことを言いたかったのか
130 : ななしのよっしん :2016/03/22(火) 23:24:30 ID: Vh5kkZkK8r
今のゲームはこういった時代の物とは較にならない位面いのに(たまにクソゲーもあるけど)
較にならない位売れないんだよなぁ… 
131 : ななしのよっしん :2016/03/24(木) 17:00:14 ID: inw1/145xU
PCゲーム海外で流行る肥料を撒いたのはこいつだよね
日本ファミコンが流行りすぎてPCゲームが全然流行らなかった  もう肥料が撒かれてる土地だからここでいいじゃんって
132 : ななしのよっしん :2016/05/18(水) 15:14:01 ID: jwJZGNFb/t
市場破壊はすごいが単純にいえばバブルが弾けただけだな
社員増やしすぎるとこうなりやすい
133 : ななしのよっしん :2016/07/10(日) 04:56:39 ID: W4pHzW/a6T
psの時もソニーサードの参入大幅緩和したにも関わらず
アタリショックが起きなかったのは

①確固たる地位を築いていたメーカーが多数存在した
Atari2600時代ファミコン時代にべて開発費が高騰していた

ってのもありそうだよね。
スマホゲーの時もそうだけど
大量参入が相次ぐ→数年後次々撤退して僅かなメーカーが残る
ゲーム業界だと上記の構図が何度も繰り返されているんだよな
134 : ななしのよっしん :2016/08/26(金) 07:09:18 ID: EfR6YXBxpq
こんなもんほんのちょっとでもゲーム史の知識仕入れればすぐに疑わしくなると思うんだがなあ、なんで未だ史実のようにられてるんだか
135 : ななしのよっしん :2016/08/26(金) 07:36:17 ID: EfR6YXBxpq
>>118>>124
クソゲーくらい任天堂ハードにもいくらでもあったろ
そもそも「クソゲー」って言葉が何から生まれたと思ってんだ、ファミコンだよ
ただでさえ任天堂史観みたいな用の記事でアクロバット擁護が湧くとかシャレにもなんねーよ
136 : ななしのよっしん :2016/09/22(木) 15:32:19 ID: 6eQn2Cy1y/
パックマンの製造数見ると、ゲーム機ソフトパソコン自動車パーツを作る感覚で製造・販売してたんだろうか…
それとも対応ハードがまだまだ売れると勝手に思い込んだとか
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