アタリショックとは、1980年代にアメリカで起きた事件である。
転じて、消費者が「つきあいきれなくなり」、ある市場が急激に衰退する現象を揶揄して言われる。
概要
まず、アタリショックを語る上でコンピューターゲームとアーケードゲームの関わりを述べなければならない。
歴史
当初
1970年前半、PONG発売に端を発するアーケードゲーム・ブームはアメリカ中を席巻した。
アタリ(Atari inc.)はこのアーケードゲームを作り出した会社である。そのアタリの社長の構想により作り出されたのが、世界初の家庭用ゲーム機Atari 2600である。
このAtari 2600、当時はアーケードゲームが隆盛だったため人気が出ず、ブームの陰に隠れるようにこっそりと売れる程度にとどまっていた。
混迷
だが、ワーナー・コミニュケーションがアタリを買収すると、ワーナーはアタリ製家庭用ゲーム機の販売不振について口出しをするようになった。
やがてワーナーはアーケードゲーム機よりも家庭用ゲーム機の売り上げに執心するようになり、会社設立当時からあったアーケード部門の予算を削減するなど、アーケードゲームを切り捨てる方針に走った。
このため、会社立ち上げ当時から参加していた古株のアーケードゲーム社員は辞職・退職により姿を消した。
また、その後も家庭用ゲーム機部門を重視したにも関わらず、当時の家庭用ゲーム機部門の重役が繊維業界などから引き抜かれてやってきた門外漢ばかりだったため、アーケード部門の方が売れ、ワーナー肝いりの家庭用ゲーム機部門は不振が続く事態が続いた。
増殖
その後、当時の人気アーケードゲーム「スペースインベーダー」がAtari 2600に移植されると、スペースインベーダーの前人気によりAtari 2600は大いに売れ、家庭用ゲーム機部門の汚名は返上されたかに見えた。
しかし、この早すぎる好況は「人気の映画・マンガ・小説をAtari 2600でゲームにすればなんでも売れる」という、今のキャラゲーのような発想を招き、結果新規参入サードパーティによる粗製乱造ソフトが大量に生産されるようになった。これら粗製乱造されたソフトはその多くが発売直後に新品のまま中古市場へ流れ、結果新しいゲームよりも古いゲームの方が新品かつ安価に見えてしまい、新品ソフトの買い控え現象が発生した。
折りしも、当時人気を博した「E.T.」のゲーム開発をアタリ自らが行い、結果遊星爆弾級の核地雷と化したゲームを出してしまったため、アタリの製品でさえどれが地雷でどれが良ゲーなのか定かでない状態に置かれた。
しかもE.T.のライセンス料が莫大だったたため、アタリは『E.T.』で大きな赤字を負うことななった。
崩壊
ソフトの粗製乱造、アタリ自らが製作したゲームの大失敗、さらに無節操に発売された粗製乱造ソフトをアタリが把握できず、しかもこれらソフトの不良在庫が中古品として大量に市場に流れ込んだため、E.T.が発売された1982年10月頃にはユーザーのアタリへの不信感は新品・中古ソフト共々頂点に達していた。
追い打ちをかけるように、ホームコンピューター(後のパソコン)の躍進と低価格化により、また販売戦略として
「大学進学を目指す子供はゲーム機よりホームコンピュータを購入すべき」と銘打ったことから、Atari 2600そのものの魅力も廃れつつあった。
このような中、アタリは1982年のクリスマスにアタリ純正のソフトでもって大商戦をしかけるつもりであった。しかし先述の要因により既にユーザーはアタリ離れを引き起こしており、いわゆる「誰得」な環境が形成されていた。
結果、アタリが30億ドルを費やしたクリスマス商戦では、わずか1億ドルの売り上げを数えるに留まった。
当然大赤字である。
結末
この「悪夢のクリスマス」の他にも様々な要因が重なって、アタリやワーナー・コミュニケーションズの株価は暴落。Atari 2600にゲームを供給していた中小サードパーティは年越し後に残らず倒産、倉庫に眠っていた大量の在庫が二束三文で中古市場に放出されたため、Atari 2600商品は新古共々完全にユーザーの信用を失った。
この悪夢から唯一逃れられたのは、ホームコンピューター用ゲームも販売していたActivisionだけだった。
この後、アメリカ版ファミコンであるNES(Nintendo Entertainment System)やゲームボーイが販売されるまで、アメリカでは家庭用ゲーム機そのものへの不信感が強く残り、「氷河期」と言われる時代が続くことになる。
Atari 2600を巡る一連の騒動は、ニクソン・ショックを揶揄して「アタリショック」と呼ばれるようになった。
アタリ・ショックは実際にあったのか?
しかし、後の時代になるとアタリショックについての分析が進み、「アーケード部門からの急激な転進」「当時はレゴブロックなどと同じ「おもちゃ」と見なされていた家庭用ゲーム機の勃興」「1982~83年の急激な売れ行き(この2年で82年以前の1.5倍の売り上げを記録している)」などにより、単にAtari 2600はスペースインベーダーの移植に伴って突発的に売れたのであり、売り上げが激減したのは自然なことであるという見方が強くなった。
だが、先述のキャラゲー(というよりクソゲー)の乱造、それに伴う中古市場への中古ソフトの過剰流入、そして先行き不透明な増産によりアタリショックは始まったのであり、今現在一般に「アタリショック」と言われる際もこのようなマクロ経済的な意味ではなく、単に「急激なゲーム離別現象」という意味を含めて発言されることが多い。
現在への影響
先ほども述べたように、クソゲーが消費者を激怒させ、財布の紐を限界まで締め上げたのは紛れもない事実であり、このことはアタリショックを知るゲーマーやゲームパブリッシャーには共通の認識となっている。過去現在、家庭用ゲーム機を提供してきた各社は、ライセンスによってゲームを開発するサードパーティを管理・制限するというビジネスモデルを取っているのは、これが理由である。
注記
あくまでもアタリショックの主体は一部のサードパーティーによるソフトの乱造にあり、アタリから発売されたゲームそのものがいわゆるクソゲーだらけであったわけではないことに注意されたい。
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関連項目
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読み:アタリショック
初版作成日: 09/09/06 07:20 ◆ 最終更新日: 12/01/31 00:36
編集内容についての説明/コメント: アタリショックについて、記事を添付してるサイトをリンク。
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