芸術
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ななしのよっしん
2015/01/07(水) 15:17:49 ID: IqvAGW1zN+
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ななしのよっしん
2015/01/20(火) 23:39:43 ID: TMfrwjvG+H
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ななしのよっしん
2015/03/05(木) 08:28:27 ID: 2KsrY0pOAV
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ななしのよっしん
2015/03/31(火) 10:34:52 ID: bydBNvBS5V
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ななしのよっしん
2015/07/18(土) 16:10:54 ID: fe08LUVehd
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ななしのよっしん
2015/09/23(水) 00:59:11 ID: Wlacem5oK3
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ななしのよっしん
2015/10/10(土) 04:14:37 ID: 2prjJ5ItMv
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ななしのよっしん
2015/11/12(木) 22:30:31 ID: ZQ7Nm6RhAn
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抽象的=マイナスイメージ、具体的=プラスイメージ。
これは良くない傾向だ。
抽象的概念は創造性の基盤、スタート地点。
思考力そのものを意味する。
具体的数字を重ね合わせれば絵画ができる。
絵画を調和させれば映像ができる。
(直線→平面→立体{動く平面=映像})
(点→直線→曲線)
方法を間違えればバラバラで、破壊を意味する。
次元を上げるなら上げ方を見る。
考えるならば考え方を見る。
具体はパズルのピース、抽象はパズルの完成図。
設計図を立てることだって、大事。
いつも心に世界を持つと、考えるための道しるべが授けられる。
ただ、具体から抽象が生まれ、抽象から具体が生まれる。
といったケースも多く。考えると感じるは、意味とエピソードは、数字と感性は、理屈と感情はどちらも切り離せない。
結構当たり前のことかもしれないけど、いつも念頭に入れておきたい。 -
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ななしのよっしん
2015/11/14(土) 03:59:54 ID: 2prjJ5ItMv
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何言ってるのかさっぱりわからんぞw
わかりやすい言葉で説明してくれ -
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ななしのよっしん
2015/11/14(土) 22:38:04 ID: ZQ7Nm6RhAn
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ちゅうしょう‐てき【抽象的】
1 いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化して考えるさま。「本質を―にとらえる」
2 頭の中だけで考えていて、具体性に欠けるさま。「―で、わかりにくい文章」⇔具象的/具体的。
2の意味で使われていることが多く、抽象的という言葉を聞いたとたんに顔をしかめる人を見かけるようになった。
ネット依存の傾向と活字離れの傾向が高まったからかもしれない。
1の意味でいえば本来とても大切なもので、
ここ最近、想像力のない人が多くなったといえば思い当たる節があると思う。
(複雑なものごとを並べ替えてシンプルにする。といった動作ができなくなった。)
想像するとは頭のなかに思い描くことで、
イメージで考える、言語で考えるの2通りがあるんだけど、
・イメージ思考が想像力、アイディア、目に見えないもの、過程のもの。
・言語思考は処理能力、パターン、目に見えるもの、結果のもの。
http://d.hatena. ne.jp/se nse-of-w anderer/ 20110218 /1298013 515
具体→(抽象化)→やや具体→普通→やや抽象→抽象 …
抽象→(具体化)→やや抽象→普通→やや具体→具体 といった風に、
「範囲がせまく白か黒かはっきりしているもの」から⇒「範囲が広く白と黒の差があまりないもの」と変化していく。逆もまた然り。
たとえるなら、
『木と森』、『一と全』、『狭く深くと広く浅く』、『水でうすめる』、『人と地球』、『意味記憶とエピソード記憶』、『左脳と右脳』、『意識記憶と無意識記憶』、
それらを『具体と抽象』という。
イメージ能力や言語処理能力には個人差がある。
イメージ能力も言語処理能力も高い→質も量も満たす→一つ一つしっかり注目しなくてもぜんぶ覚えられてしまう。[広く深く]
イメージ能力が高く言語処理能力が低い→量が多いが質は低い→何回も繰り返して覚える。[広く浅く]
言語処理能力が高くイメージ能力が低い→質は高いが量が少ない→一つのことへの正確さ、瞬発力が高い。[狭く深く] -
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ななしのよっしん
2015/11/14(土) 22:42:10 ID: ZQ7Nm6RhAn
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ななしのよっしん
2016/05/25(水) 05:59:51 ID: 4+FilNQjZ1
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ななしのよっしん
2016/05/31(火) 20:10:51 ID: Ara73HpFLk
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ななしのよっしん
2016/05/31(火) 20:16:23 ID: Ara73HpFLk
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ななしのよっしん
2016/05/31(火) 23:43:30 ID: Ara73HpFLk
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ななしのよっしん
2016/06/01(水) 00:19:13 ID: Ara73HpFLk
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ゴッホについて言えば、遺族は出来る限りのことをしたと思う
周知の通り、ゴッホは経済力がなく弟のテオに助けてもらうという情けない状況だった
ゴッホが死んでまもなく、テオも亡くなったが、テオの妻ヨハンナが大変できた女性だった
ゴッホの友人エミール・ベルナールはゴッホとテオの往復書簡を「大変文学的」と評してヨハンナに出版を勧めたがヨハンナはそれを拒否
「義兄と夫が命を懸けていたものは絵画であって手紙ではない」
絵が評価されてもいないのに先に手紙が評価されるのは二人の遺志に反する、という事だった
結局書簡集が出版されたのは20世紀に入って、マティスやブラマンクといったフォーブの画家達から「現代アートの父」と絶賛されてからだった
ところが日本の芸術界はヨハンナの意思に反して、まず書簡集から紹介してしまった
それ以来日本ではゴッホの絵画の前衛性よりも、「孤高の芸術家」像のほうが一人歩きするようになった
もともと芸術家の人生なんてそんなお偉いもんじゃないのよ
それをいかにもありがたいものかのように奉ったのは日本の文壇の勝手
ゴッホの側の責任じゃない -
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ななしのよっしん
2016/11/08(火) 01:34:46 ID: hT7VHvJGo8
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ななしのよっしん
2017/04/01(土) 23:18:15 ID: V6Q0lUgNdD
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ななしのよっしん
2017/05/28(日) 23:25:02 ID: Ara73HpFLk
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ななしのよっしん
2017/09/13(水) 19:15:42 ID: PNH5plaV1o
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幽遊白書の骸が言っていた
「真剣勝負は技量にかかわらずいいものだ。決する瞬間、互いの道程が花火の様に咲いて散る」
この「真剣勝負」の部分を「芸術」に変えればわかりやすい
芸術の価値はそれを作り出した人間の苦悩、研鑽、努力の道程、つまり生き様そのものにある
リアリティ、生き様の写し、魂そのものに他ならない
ゴッホの作品が生前は評価されず、死後評価を受けたのは
技術的な善し悪しや理論などではなく、死んで完成したから
ゴッホ自身の芸術に殉じた生き様が、作品に爆発的な付加価値を与えたから
書簡に興味を持たれたのも「生き様に価値があった、絵よりもゴッホ自身にみんな興味があった」から
ロック・スターや文学者が、死んで伝説になるのと同じこと
絵画か音楽か文学かの違いでしかない、ゴッホもカート・コバーンも太宰も生き様がカリスマ視されてる
その点では、時代の要求(20世紀はロック・スター、芸能界の時代)を見抜いて
自分自身をタレント化してパフォーマンスしたパブロ・ピカソやサルバドール・ダリはやはり有能で頭がいいよ
アンディ・ウォーホルもね
文学ならオスカー・ワイルドとか -
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ななしのよっしん
2017/09/25(月) 21:41:17 ID: Ara73HpFLk
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ななしのよっしん
2017/09/25(月) 22:48:51 ID: Ara73HpFLk
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太宰治の先輩の佐藤春夫が「彼の作品には芸術のための文学と人生のための文学が仲良く手をつないで存在して」おり、そこに太宰が戦前と戦後にまたがって特別な地位を占めることができた理由がある、と語っている。
佐藤春夫や芥川龍之介、谷崎潤一郎と言った大正期の芸術家は所謂芸術至上主義にのめり込みマニアの間では人気を得たが一般大衆を巻き込んだ社会現象を起こすことはできなかった。
それに対して志賀直哉など白樺派のモラリストたちは人生のための文学に拘り、文壇からは高い評価を受けたが芸術作品として後世に残るようなものは産み出せなかった(宮沢賢治のような例外はいる)。しかし白樺派の影響は絶大で今日にまで及んでおり、日本人の大方が芸術を文学的にしか捉えられない原因となっている。 -
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ななしのよっしん
2017/09/26(火) 00:47:31 ID: Ara73HpFLk
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今日の芸術文化の衰退の理由の一つとしてもう一つ、世界のアメリカ化を挙げたいと思う。
1945年、日本がアメリカの支配下に入って以降、戦後民主教育が導入された。
国家の民主化自体は良いことだとは思う。しかしその結果、若者の芸術文化が停滞していったように思えてならない。
例えばビートルズ。当時の日本の若者で、イギリス直輸入でビートルズを親しんでいた者は少ないだろう。
ほとんどは、エドサリヴァン・ショーに見られるような、アメリカ色に染め抜かれたビートルズを見聞きしていたはずである。
日米のファンは63年の1stアルバム以降、66年まで、日米で独自に編集された寄せ集めアルバムを聴いていた。
イギリスオリジナル盤と同内容のアルバムを正規の国内盤で聴けるようになったのは67年、サージェントペパーが発売されてからだ。それ以前の、例えば65年のラバーソウル、66年のリヴォルバーなどを個々のアルバム作品として聴けるようになったのは87年、オリジナルアルバムCD化が始まってからになる。実に20年以上の遅れである。
まあ、リヴォルバーやサージェントペパーなどはパンクやニューウェーブを通過した80年代世代以降でないと理解不能、という意見もあるから、ちょうど良いタイミングだったとみることもできるが…
ビートルズ一つとってもこんな有り様だから、戦後の日本には世界の文化がアメリカ産商品としてカスタマイズされて入って来るようになったということがおわかりいただけると思う。 -
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ななしのよっしん
2017/09/26(火) 01:12:08 ID: Ara73HpFLk
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みんなが同じように感じ、同じように考え、同じように行動する時代になった。
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ななしのよっしん
2017/11/27(月) 05:12:01 ID: Ara73HpFLk
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ななしのよっしん
2017/11/27(月) 05:16:43 ID: Ara73HpFLk
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