漫画(まんが)とは、面白おかしい絵を原義として絵と活字で物語を展開させる娯楽媒体のひとつである。
同義語のコミック(Comic)も用いられやすい。
普通は「意図的に連続性をもって並置された絵画的イメージやその他の図像」の意味で用いられるが、それらに描かれるような(主にデフォルメの強い)絵の使われている映像等を指して使われることもある。
漫画的な表現は、日本に古くから存在し、平安時代から鎌倉時代に描かれた『鳥獣戯画』などにその原型がみられる。同作は動物や人間を滑稽に巻物に描いている。
元々、漫画の「漫」には「気軽な」「取り留めもない」「滑稽な」などの意味があり似た成り立ちを持つ言葉に「漫談」「漫遊」などがある。ここでの漫画は絵自体が面白おかしいものであり、物語性などは関係しない。
現在の漫画は絵を主体として台詞(吹き出し)や擬音・効果符を付けた複数の絵を連続的に読むことで物語性を持たせた物を大部分に指す。
その分野はアクションバトルもの、ギャグもの、恋愛もの、ミステリーものなど、そのジャンルはテレビドラマや映画、小説と同様に多岐にわたる。前述の分野を同時に複数併せ持つ作品も多く、とりわけギャグものと恋愛ものをミックスした「ラブコメディ(通称ラブコメ)」は日本の漫画市場において最も主要なジャンルの一つとして成立しており、多数の人気作品が発表されている。作者や時代、ジャンル、読者層などによって、ワク(コマ)の大きさや形など演出の仕方は大きく異なり、表現の自由度は高い。
ただし、基本的にプロは商業雑誌に連載する宿命にあり、商業性を排除して表現を追及するのは難しい。最近では同人誌の存在が大きくなっているが、結局その世界でも注目されるジャンルというのは限られている。
形式としては1コマ漫画、4コマ漫画とそれ以外の物語が主体のもので分けられることが多い。物語を主体としたものでも、『ブラック・ジャック』のように20~30ページの(雑誌ではちょうど1話分となる)短編を基本とするものと、数百ページに渡り物語を展開する長編ものに分けられる。
人気のある作品だと、アニメ化・(実写)ドラマ化・ゲーム化・映画化される事が多く、その際に独自の要素が加えられる事が多々見られる。外伝/スピンオフ・特別編が作られることもある。
1つの作品をアニメやゲーム等複数の媒体で展開する「メディアミックス」の一環として最初から意図して作られる作品もある。古くは1970年代の『マジンガーZ』や『ゲッターロボ』は漫画とテレビアニメが並列的に発表されていた。同じく1970年代の『仮面ライダー』は特撮に並行して漫画版も連載されていた。1980年代から90年代にかけての『大長編ドラえもん』は映画での公開を前提として漫画が掲載されていた。角川書店に代表される、『スレイヤーズ』などのさらに多角的なメディアミックス作品は1990年代後半あたりから増えてきている。
詳細は『コミカライズ』の記事参照。
上記の多媒体化とは逆に、他媒体ですでに発表されているものを漫画化することであり、小説・映画・ドラマ・ゲームなどが漫画化されてきた。子供向けの学習雑誌などでは古典的な冒険小説や偉人の伝記などがコミカライズされることもある。
古くは歴史小説などが漫画化されていた。著名なところでは、横山光輝は1970年代から吉川英治の『三国志(吉川三国志)』をもとにして『横山光輝三国志』を描いたり、1980年代には山岡荘八の『徳川家康』をコミカライズするなどしている。
90年代になるとテレビゲームの普及に伴い、子供向け雑誌などでゲームのコミカライズも増えた。ライトノベルが興隆するとそのコミカライズも多く行われるようになった。90年代後半以降になると角川書店のメディアミックスの一環などとして『リング』など実写映画・ドラマからのコミカライズも登場する。
2010年代後半あたりからはインターネット発の小説が多数商業出版されるようになったのに伴い、それらを原作としたコミカライズも増えた。
絵やストーリーに連続性のないものは、イラスト、一枚絵[2]と呼ばれて区別される場合もある。
書店にも多く売られているが、図書館に置かれている場合もある。時間を潰しやすいため飲食店や床屋・病院などの待合室に置かれている場合も多い。漫画喫茶などは一定料金で座ったままリラックスして読めるのでオススメである。
学校等には不要物として持ち込めないが「自分で描くなら文句ないでしょ」とルールの隙を突いて落書きの延長線上でノートや自由帳に描いた人もいるのではなかろうか。
かつては日本に限らず「漫画は子供が読むもの」と捉えられがちであった時代もあるが、先人の方々の活躍で老若男女問わず広く浸透し世界に誇れるレベルとなった。図表も交えて明瞭に表現しやすいため、学習漫画[3]や製品や産業・職業・地域文化等の紹介にも広く用いられるなど非常に汎用性の高いものとなった。
ただし名作漫画であっても、読書や読書感想文の対象とはみなされない場合が多い。
日本は南北で気候に富み四季があり、ひらがな、カタカナ、漢字、英語[4]などなんでも食べる悪食で多彩な表現、繊細な表現、八百万の神というように「なんでもアリ」といった柔軟な発想があり、義務教育で高い識字率や一定水準の教育知識であるのも後押しした要因と言われる。
日本では少年誌でもあっても銃・酒・ギャンブル・煙草、犯罪、宗教(神仏など)、出血、性的表現、明確な暴力といった表現が幅広く描けるが…海外でそれを描こうとすれば露骨なエロがなくともR-18指定や発禁になってしまうなど、国家・法律によってセルフ縛りプレイにされてしまい、そもそも描けない場合も多い。(→CERO)
結果的に海外では制限が多い中で描かねばならない中、日本は最初から制限が少なくあらゆる分野や事象が使い放題といった強みがある。料理に例えればほぼ全部の食材が使い放題の、広い裁量権を最初から与えられてるようなものと考えれば分かりやすいだろうか。
もしも日本の著名な漫画家が海外に生まれていたら、あの作品は堅苦しくどこか無難な展開になってしまったかもしれない。
漫画を描く職業は「漫画家」と呼ばれ、子供のなりたい職業ランキングの常連である。
「読者にヒントを与えて想像で補わせる」という点では漫画は小説や映画と同じく表象の一種であると言えるだろう。漫画はコストや規模の点で映画よりも小さく、読者に与えられる想像の余地は小説よりも狭いが、漫画にはそれらにない独自の利点がある。
漫画は絵が並置された(もしくは並置されることが仄めかされた)ものであり、台詞を加えることで絵でありながら物語をも表している。これは動作や印象を視覚的に伝えながら、会話に再現性を与えることを可能にする。また絵が静止しているということはその絵を見ることに好きなだけ時間を費やすことができるということでもある。読者は可能なら前のコマに戻ったり、次のコマをチラ見したりすることもできる。作者はコマの人物配置やデフォルメ度合い, 線や記号, 構図等を用いて、その場面が誰によってどのように捉えられているかを語ることが容易であり、視点となる人物を変更することもできる。
写真や実写映像に対し、絵画表象はデフォルメが可能である。漫画的な絵は写実性のほかに、言語のような「意味」や図形のような「抽象性」を帯びることが可能である。用いる画材や線の引き方によって印象が変わるのはその最たる例である。絵画がその絵の中にあるもの同士の対比によって意味や印象を変化させるのに対し、映像や漫画は前後の映像やコマとの時間的な対比をも用いることができる。映像は時間を巻き戻すことが難しいが、漫画の場合は前後のコマをいつでも確認でき、個々の人物の特徴を覚えておく必要がない。このため人物の立ち位置が左右で入れ替わっても映像ほどの違和感は生じない。また多くの場合映像には音が付いているが、漫画の読者はコマの時間と音声について想像でその内容を補うことができる。また映像や音楽, 料理が複数人で同時に楽しめるものであるのに対し、漫画や小説は同時に楽しむということが難しい。
ニコニコ静画では、基本的に1P漫画や4コマ漫画といった、イラストの掲載形態として投稿される。また、カテゴリタグは存在せず、アニメ化済みの作品には「アニメ」、そうでないものには「キャラクター」が張られ、漫画はあくまで「二次創作の題材作品のメディア」としては扱われず、掲載形態のみである。 (同じ事は小説・ライトノベルにも言える)
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登場人物としてのジャンルは「萌え要素・属性の一覧」を参照。
漫画とは僅かに異なるが、オフィシャルガイドブック、ファンブック、原作者の画集のような
漫画本編では語られない設定資料や裏話、書き下ろしを集めたものが別途販売される場合もある。
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最終更新:2024/05/05(日) 03:00
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