「いいかい!もっとも『むずかしい事』は!『自分を乗り越える事』さ!」とは、他人を負かす事より難しい事である。
概要
漫画「ジョジョの奇妙な冒険」Part4ダイヤモンドは砕けないに登場する、岸辺露伴の台詞。
顔を別人に変えてすり替わった殺人鬼・吉良吉影を追う露伴は、唐突にジャンケンしようと絡んで来るジャンケン小僧・大柳賢に出会う。最初は軽くあしらっていたが、3回目のジャンケンで負けた時にこの少年がジャンケンで負かした相手からスタンド能力を奪うスタンド使いという事が明らかになる。
大柳賢のスタンド「ボーイ・Ⅱ・マン」は5回のジャンケン勝負のうち、1回勝つごとに相手のスタンド能力を1/3奪うことが出来る。そのせいで、スタンド使いに気づいたときに露伴の「ヘブンズ・ドアー」で書き込んだ「岸辺露伴を攻撃できない。」の命令が「攻撃できる。」に変更されてしまう。
吉良の父親の「弓と矢」で目醒めた故に無意識に吉良の味方をしてしまうジャンケン小僧。このまま露伴からヘブンズ・ドアーを奪ってしまえば「ジャンケンさせる」事も「ジャンケンの手を読む」事も出来る無敵のスタンド使いになってしまう。露伴は勝負をつづけざるを得なくなり、更に1敗して両者とも後が無くなった。
そんな時、露伴と同じく吉良を追う東方仗助と、透明の赤ちゃんを抱いてその母親を探すジョセフ・ジョースターが通りすがる。大柳賢は彼らがスタンド使いである事に感づいてあえて呼び止めて『運だめし』をする。もし自分が「強運」に守られているなら決して二人は来ない。露伴が自分のプライドから助けを乞うなんてしない事も見越しての行動だ。二人は結局その場を去ってしまい、大柳賢は強運が自分に味方していると豪語する。窓ガラスに石を投げつけてガラスのシャワーを浴びてもかすり傷ひとつ負わず、逆に避けようとした露伴がガラスの破片でケガしてしまう。
いよいよ最後のジャンケン勝負をしようと構えに入る大柳賢に、露伴は左の手のひらを突き出して「このままでいい」と言う。露伴はこの出したままの「パー」で勝負するというのだ。大柳賢はただのハッタリだろうと鼻で笑うが、彼に対し露伴は「ひとつだけ言っておこう」ともっとも『むずかしい事』について説いた。
君はぼくを乗り越えると言ったが………
君よりも9年も長く生きてるから教えてやろう……
他人を負かすってのはそんなむずかしい事じゃあないんだ………もっとも『むずかしい事』は!
いいかい!もっとも『むずかしい事』は!『自分を乗り越える事』さ!
ぼくは自分の『運』をこれから乗り越える!!
自分を乗り越えるってのはそーいうことなんだぜ(勝負の行方はここをクリック)
なにをほざこーが負ける気はしないと自信たっぷりに勝負にかかる大柳賢。繰り出そうとしている手は「チョキ」。対して露伴は「パー」のまま変える気配はない。自分の勝ちを確信する大柳賢だったが、「チョキ」の手を完全に繰り出す瞬間、何故か手を握ってしまい「グー」の手に変えてしまう。
これで露伴の「パー」が勝ったことになり3勝2敗、奪われた『ヘブンズ・ドアー』の2/3が露伴の元に戻っていく。自分の手がなぜ「グー」になってしまったのか困惑する大柳賢に、露伴は解説を入れる。「強運」は大柳賢になんかついてなく、ジョセフ・ジョースターとともに露伴の元にやって来た「強運」を自分の能力『ヘブンズ・ドアー』で利用したのだ。
露伴の腕に抱かれているのはジョセフが抱いていた「透明の赤ちゃん」。ジョセフたちが通りすがった時に大柳賢の背後から『ヘブンズ・ドアー』によって「ろはんの危機を助ける。透明になって小僧の指を『グー』にする。」と命令を書き込んでいたのだ。
おまえは自分の「強運」だけを頼った
ぼくは自分の力で運を変えた…
自分を乗り越えるってのはそーいうことなんだぜ
ただのジャンケン勝負だったら、露伴の行為はただのイカサマ行為で咎められるだろう。だがこれはスタンドバトル。いかに相手の裏をかき出し抜くかが勝敗を分ける。自分の強運に胡坐をかきまんまと騙された大柳賢の敗北なのである。
岸辺露伴は、20歳にしてひとりで社会に立ち向かい、その作品で多くの人を感動させ立派な家を建てている同世代の誰よりも恵まれた大人だ。しかし、あくまで露伴は『金やちやほやされるために』漫画を描いているのではない。読者に『読んでもらうため』に漫画を描き、毎日毎日漫画に吹き込む『リアリティ』のある題材を求めている。故に、漫画家として常に『自分を乗り越えようとしている』のである。
その露伴が最も『むずかしい事』と言うのだから、これほど説得力のある台詞はないだろう。他の同業者に勝った事に甘んじる事なく、より自分自身を乗り越える事の難しさと自分に対しての厳しさを表した名台詞と言えよう。
また、「自分の運を乗り越える」事は、「ジョジョ」において大きなテーマでもある。「ジョジョ」の世界では「運(運命)」は人の力ではどうすることもできないほど敵わない力としてシビアに描いており、同じ第4部のラストバトルでは、一度決まってしまった「運命」や吉良吉影に味方する「運」が立ちはだかる。それでも登場人物は自分の力や知恵、精神で立ち向かう姿を描く。たとえ運命でも『自分を乗り越える事』は人間讃歌に通じていると言えるのだろう。
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