ダミアン浜田(敬称略)とは、90年代に活躍したヘヴィメタルバンド聖飢魔IIの創設者。地獄大魔王であり、サタン45世でもある。
かつては地獄の皇太子であったため殿下の敬称が用いられていたが、現在は正式に大魔王として王位を継承したため、陛下の敬称を用いるのが正しいが、今でも「殿下」と呼ばれることもある。
ダミアン浜田陛下の輝かしい軌跡
デーモン閣下をはじめとする聖飢魔II構成員の多くと同じく、かつては世を忍ぶ仮の姿として早稲田大学に在学。
聖飢魔IIの創設前には「RAY」というバンドを組んでいたようだが、解散。
その後「は、は、は、は、浜田さんバンド」を結成し、それが後に改名され、聖飢魔IIとなった。
(因みに陛下自らの御解説によると1983年の春合宿においてバンドを組むべくメンバー募集を開始。
ゾッドとエース、デーモンが集結した所で当初は「浜田バンド」と申請したが、いざ合宿に入ると「浜田さんバンド」と変化し、最終的に何故か上述の「は、は、は、は、浜田さんバンド」になったとの事)
聖飢魔II結成後はギタリストとして、そして優れたソングライターとして活躍する。聖飢魔II初のオリジナル曲である「悪魔組曲」、聖飢魔IIの代名詞でもある「蝋人形の館」など、初期の大教典(アルバム)に収録された曲のほとんどは陛下の作曲されたものばかりである。
結成後しばらくは順調に悪魔教の布教活動を続けていたが、父であり当時の大魔王であったサタン44世が病に倒れ、寿命幾ばくもない、という知らせが届く。
やむをえず、陛下(当時は殿下)は地獄の皇太子としての義務を優先、王位継承その他諸々の事情のため、聖飢魔IIを離れ地獄へと還っていった。
その後、聖飢魔IIは地球デビューを果たし、圧倒的知名度を得て布教活動を進める。
しかし地球デビュー後の信者には「ダミアン浜田」の名は作詞・作曲者としてしか知られず、長らく謎の存在、一部の情報通の信者には、聖飢魔IIを創設した伝説の悪魔としてしか知られていなかった。
そして地球デビューより10年後の1995年の8月23~31日。
大阪城野外音楽堂、名古屋市民会館、日比谷野外音楽堂にて行われた黒ミサ(ライブ)にて、ついに陛下が地上に舞い戻った。
「オール悪魔総進撃 THE SATAN ALL STARS」と銘打たれたその黒ミサにて、「BATTLER」の旋律に合わせ信者の前に姿を現した。
長年伝説としてしか語られていなかった美しき悪魔の登場に、信者諸氏は沸きに沸いた。
その後、魔界執務室東京支所で行われたデーモン閣下との対談において、地獄へ帰還して以降の聖飢魔IIの活動に対し「なかなか良い」「(地球の住人は)十分洗脳されておる」と評した。
その一方で、「指数関数的に信者の数を増やさねば、1999年の解散までに地球征服は間に合わない」と、デーモン閣下に達した。
また、デーモン閣下からの「聖飢魔IIの、殿下の作曲された曲の中で、どれが一番お気に入りなのか?」という質問に対しての「野獣」の一言がデーモン閣下のツボにはまり、一度カメラをとめての仕切り直しをするという微笑ましい場面もあった。
こうして10年ぶりに地上に姿を現した陛下は、また地獄へと還っていった。
そして迎えた1999年12月30日。
デビュー当時の公約通り、ついに聖飢魔II解散の時が来てしまった。
1999年12月29日より3日間連続で行われた究極の大黒ミサ「THE ULTIMATE BLACK MASS」、その2日目である「THE SATAN ALL STARS DAY」において、かつて聖飢魔IIに在籍した悪魔達を率いて陛下は地上に舞い戻った。
聖飢魔II最後の大舞台に花を添え、以前行われた対談での公約通り「野獣」の演奏をし、またも信者を大いにわかせ、陛下は地獄へと還っていった。
これが、我々人類が知っている限りの陛下の軌跡の大筋である。
その後、2005年、2010年に聖飢魔IIは期間限定再結集をすることになるが、ついぞ陛下が信者の前に姿を見せることは無かった・・・。
おそらく大魔王としての責務を全うされておられるのであろう。
・・・が、2010年再結集ツアーの裏舞台を収録した活動絵巻教典「URA VIDEO 3 -THE BACK STAGE OF SEIKIMA XXV-」に、わずかではあるがインタビューを受けるシーンが収録された。
ミサに初参拝したという10代の人間の子供ら、新しい世代の悪魔教信者の姿を見て、信者らによる英才教育および洗脳活動が活発であることを満足気に語られていた。
急に決まったインタビューなのか大人悪魔の事情なのかは不明だが、世を忍ぶ仮の姿でインタビューを受けることになったため顔出しは無いが、その語り口調は紛うことなく陛下のそれであり、古くからの信者は陛下がご健在であったことに心安らいだことだろう。
そしてインタビューから4年の月日が経った2014年7月27日、
特に聖飢魔II創世記の貴重な裏話満載であり、信者諸君は必ずフォローをすべきである。
そして2016年2月20日、地球デビュー30周年記念・期間限定再集結となる大黒ミサの千秋楽、日本武道館公演においてライブ開始前の解説において
何の前触れもなく突如御登場あそばされた…
声のみの出演とはいえ「THE ULTIMATE BLACK MASS」以来、17年振りとなる登場に信者たちの衝撃度は(内容を含めて)計り知れない物であった。
容姿
聖飢魔IIの面々といえば「白い顔に赤や青などの模様」を思い浮かべるだろうが、陛下は人間に近い色の肌をしており、模様もない。それはデーモン閣下などの多くの悪魔と違い、陛下がルシフェル(サタン1世)を祖とするサタン一族の血筋によるものだとのこと。ルシフェルはもともと天使であるため、その元天使の血が作用して、人に近い容姿をしているとのこと。
また聖飢魔II在籍時は軽いウェーブのかかった長髪だったが、95年・99年の再登場時には、全体的に跳ねさせたボリュームのある長髪にイメチェンしていた。
その影響力
※この筋では「聖飢魔II・悪魔としての設定」を度外視して書きます。
彼の作詞・作曲した曲は、デビュー当時、解散、その後もファンに愛され続けたが、聖飢魔IIが活動していた90年代後半、現役構成員にはそれが足かせに近いものにもなっていた。
聖飢魔II創設者なので、言うまでもなく聖飢魔IIの設定をしたのもダミアン浜田であり、デーモン閣下をはじめ構成員個々の設定をしたのもダミアン浜田である(脱退後に加入した構成員は除く)。
その悪魔としての設定、そして彼らの代名詞にもなった「蝋人形の館」の歌詞で見せた世界観のインパクトがあまりにも強すぎ、世間は聖飢魔IIに対して常に「蝋人形の館」のようなものを求め続けた。
当時、構成員はそういったイメージからの脱却を図るべく、大教典・小教典(アルバム・シングル)などで様々な取り組みをしていたが、それは世間の求める聖飢魔IIではなかった。
結果、それらは「迷走」として捉えられることとなる。
95年8月の「THE SATAN ALL STARS」の後に発布された「野獣(デビュー前からある楽曲。ダミアン作)」「メフィストフェレスの肖像(ダミアン作の曲を多数収録)」などの極端な原点回帰は、信者だけでなく構成員すら困惑させた。
特にエース清水など、「野獣は大嫌い」と公言していたほど(それと関係があるのかどうかは不明だが、解散ミサにおいての「野獣」演奏時、エース清水は舞台の上には居なかった)。
ダミアンの創り上げたパブリックイメージからの脱却を図ってきたキャリアを考えれば、当然の発言とも受け止められるが・・・。
その後発布された小教典・大教典は、当時の彼らのやりたいことの結晶であり、それらはやはり「蝋人形の館」的なものではなかったが、またしてもそれを迷走と捉えるか否か・・・全ては聴く人次第であった。
言い方は悪いが、聖飢魔IIも、信者も、ダミアンによって振り回され続けた十数年間であったともいえる。
しかし、そういった世間の目にも、そしてダミアンによる悪魔としての設定、世界観と真摯に向き合い、そして乗り越えようとしていた聖飢魔IIは、やはり素晴らしい存在だったのではないか。
解散ミサの裏舞台を収録した「ウラビデオ」において、ダミアンは「僕のまいた小さな種が、葉を広げて、花開いて、そして花のまま永久(とわ)に続いていく、永久の別れにつくわけでしょう。とても素晴らしいことだと思います」とダミアンは涙をにじませながら語ったが、まさしくそのとおりであろう。
関連動画
95年8月 10年ぶりに信者の前に姿を表したダミアン陛下のお姿。
魔界執務室東京支所にて行われたデーモン閣下との対談。閣下の質問に対し、たどたどしいお答えをされているが、久々に地球に来られたため、重力の違いによる影響が出ているのであろう。
陛下の個悪魔教典「照魔鏡」収録曲。様式美とダミアン節、めくるめく地獄の世界を堪能できるカップラーメンタイマー動画である。
タイトルの通り、Knuckle-Fighter X動画。信心深い信者の手によって、ついにゲーム界にも進出された陛下のお姿、とくとご覧あれ。完成版の動画はこちら。
関連項目
Say Banzai to HIS MAJESTY DAMIAN HAMADA!
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