デ・ロイテルとは、
- ミヒール・デ・ロイテル(Michiel de Ruyter 1607年3月24日 - 1676年4月29日)。オランダ海軍の提督。
- 1.に因んで名づけられたオランダ海軍の艦船。戦列艦からミサイルフリゲートまで複数ある。
ミヒール・デ・ロイテル
17世紀オランダ海軍の提督。第二次英蘭戦争においてイギリス本国の海軍本拠地にカチコミをかけてイギリス艦隊を壊滅させ講和に持ち込み、第三次英蘭戦争ではオランダに侵攻してきた英仏連合艦隊相手に二度の決定的な勝利を収め、本国を英仏の侵攻から救い、「二つの王国を三度屈服させた」と呼ばれた。海軍強国だった17世紀オランダを代表する人物。
軍艦
初代(巡洋艦)
オランダ海軍が植民地防衛のために1930年代に建造。設計はドイツのクルップ・ゲルマニア社が担当したため艦橋デザインなどは同じく同社が建造したポケット戦艦のアドミラル・グラーフ・シュペーによく似ている。
船体は全長172m、満載排水量7800tに達し、機関出力は6万6000馬力で最大速力32㏏、航続距離は12㏏で1万海里である。
主砲はスウェーデン・ボフォース社製15㎝砲を7門搭載していたがその内訳は連装砲3基(前方1、後方2、機械操作)と単装砲架1基(艦橋前・人力操作)の構成である[1]。更に船尾楼に40㎜連装機関砲を5基集中配備し砲戦+対空戦闘を重視した構成となった反面、魚雷は装備しなかった。
太平洋戦争が始まるとカレル・ドールマン提督率いるABDA(米英蘭豪)艦隊の旗艦となり、各国艦隊の連帯不足の問題を抱えながらジャワ沖海戦・バリ島沖海戦・スラバヤ沖海戦で日本海軍に三たび決戦を試みるが最後のスラバヤ沖海戦で日本海軍の重巡洋艦羽黒の発射した魚雷が命中、「生存艦は我が生存者に構わず待避せよ」の通信を残して撃沈された。
二代目(巡洋艦)
1939年にデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン[2]の艦名で起工されるが建造中にオランダ本国が占領されたため建造所ごと接収されドイツ海軍の艦艇として建造が続けられるが終戦によりオランダ海軍の艦艇として就役。先代のデ・ロイテルの艦名を受け継ぐ。
船体は先代を上回る全長187m、満載排水量1万1900t、機関出力8万5000馬力に達したが最高速力は32㏏と変わらず、航続距離は12㏏で7000海里に落ちている。
武装は先代同様、ボフォース製の艦砲を採用し15㎝連装砲4基、40㎜連装機関砲8基に増え、当時最新鋭の57㎜連装砲4基と533㎜魚雷発射管も加えられた。
1973年にペルー海軍に売却され『アルミランテ・グラウ』に改名。これに際して57㎜砲と魚雷発射管を廃止、40㎜機関砲を半減するのと引き換えにイタリア製対艦ミサイル『オトマート』単装発射機8基を装備したが実戦で使用されることなく2017年に退役。21世紀まで現役だった第二次世界大戦型の巡洋艦だった。
3代目(フリゲート)
2004年にデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級の3番艦として就役。詳細はこちらを参照
その他
ZECOによる漫画『Battleship Girl -鋼鉄少女-』に擬人化された巡洋艦デ・ロイテル(初代)が登場する。また、艦これの艦娘としても同艦が2019年11月30日に実装された。(→デ・ロイテル(艦これ))
同漫画は後にゲーム化され、デ・ロイテルのCVは種田梨沙が担当した。
関連動画
関連項目
脚注
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