バリ島沖海戦とは、大東亜戦争中の1942年2月19日深夜から翌20日にかけて生起した日本海軍第八駆逐隊vs連合軍艦隊の戦闘である。連合軍側の呼称はバドウン海峡海戦。
概要
背景
大東亜戦争開戦と同時に行われた南方作戦により、帝國陸海軍は東南アジアで快進撃を続けていた。本命のジャワ島攻略に向けて次々に要所を奪取し、その包囲網は日に日に狭まりつつあった。一方、連戦連敗の連合軍はどうにかしてジャワ島を死守しなければならなかった。1942年2月17日、オランダ海軍ヘルフリッヒ中将のもとに日本軍のバリ島攻略部隊がマカッサルから出港するとの情報が入った。先手を打つべく、ジャワ島南岸のチラチャップにいるカレル・ドールマン少将に迎撃命令を下した。チラチャップには軽巡デ・ロイテル(旗艦)、ジャワ、駆逐艦ピートハイン、コルテノール、ジョン・D・フォード、ポープが、スラバヤには軽巡トロンプが、タンジュンカラン・ランプン湾にはアメリカ第18駆逐隊4隻が散在していた。ドールマン少将は、先ずチラチャップにいる艦隊で第一次攻撃を行い、次いで残りの艦を合流させて第二次攻撃を企図した。
2月17日22時、ドールマン少将率いる軽巡デ・ロイテル、ジャワ、駆逐艦ピートハイン、コルテノール、ジョン・D・フォード、ポープがチラチャップを出撃。しかし、いきなりコルテノールが浅瀬に乗り上げてしまい出撃不能に。前途多難な幕開けとなった。
日本側の動き
大日本帝國陸海軍は、ボルネオ島とセレベス島に拠点を築いてジャワ島の締め上げを図っていた。しかし亜熱帯地方特有の気候が邪魔をして、航空攻撃の効果がイマイチ上がらなかった。第11航空艦隊はジャワ島の東にあるバリ島を攻略し、飛行場を作って制空権を確保する事を主張。実際、本丸ジャワ島には連合軍の艦艇が集結し、100機近い稼動機が各飛行場に散在していた。このような状況から、1942年1月28日に大本営は攻略を決定。急遽予定に無かったバリ島の攻略に乗り出した。
2月18日午前1時、陸軍第48師団や台湾歩兵第一連隊を乗せたバリ島攻略部隊がマカッサルを出港。輸送船笹子丸と相模丸が陸軍部隊を輸送し、これを第八駆逐隊の朝潮、荒潮、大潮、満潮の4隻が護衛していた。
道中で敵飛行艇に触接されたものの、それ以外は何事も無く平穏な航海が続いた。同日23時、バリ島サヌール泊地に到着。翌19日午前0時15分より上陸が開始された。連合軍の抵抗は微弱で、テンパッサル兵営とゴータ飛行場を占領。しかし哨戒中の英潜水艦トルーアントと米潜水艦シーウルフがサヌール泊地に停泊中の船団を発見。攻撃のため、アメリカ陸軍第10哨戒飛行隊のB-17が泊地を爆撃してきた。攻略の勢いを止めるには至らなかったが、相模丸が機関室に被弾して損傷。2月19日16時、相模丸は荒潮と満潮に護衛されてサヌール泊地を離脱。マカッサルに向かった。更に敵潜の出現も確認されたため、笹子丸も揚陸を切り上げて退避する事になった。23時40分、大潮と朝潮に護衛されながら笹子丸はサヌール泊地を出発した。
第一戦
それから僅か10分後の23時50分、デ・ロイテル、ジャワ、ピートハイン、ジョン・D・フォード、ポープからなる連合軍艦隊がサヌール泊地に殴りこみを掛けて来た。ドールマン少将は戦闘隊形への展開を下令し、軽巡デ・ロイテルを先頭にジャワ、4950m後方に駆逐艦ピートハイン、更に4950m後方にジョン・D・フォードとポープが続く単縦陣を組ませた。速力を27ノットに上げ、全てを飲み込む大波となって押し寄せる。3分後、大潮と朝潮が南方6000mの地点に単縦陣を組んで突撃してくる連合軍艦隊を発見。朝潮は先頭を走る2隻の艦影を素早くジャワ級巡洋艦と正確に把握。距離2000mでジャワが朝潮に砲撃した事で戦端が開かれた。この時、大潮は朝潮の北方約2700mの地点にいて、砲撃戦には参加できなかった。つまり日本側は駆逐艦1隻、連合軍側は軽巡2隻と駆逐艦4隻という圧倒的戦力差であった。翌20日午前0時、朝潮は探照灯を照射して索敵し、照明弾を上げて応戦。同航戦となり、デ・ロイテルとジャワは朝潮に向けて砲撃。火力と数で圧倒し、朝潮の探照灯に砲弾の破片が突き刺さった。朝潮は果敢に反撃し、ジャワの艦尾に命中弾を与えたが、戦闘航海に支障は出なかった。後方を走るピートハイン、ジョン・D・フォード、ポープの3隻は北西方向に1隻の船舶(笹子丸)を視認。雷撃と砲撃を行ったが、命中しなかった。朝潮は出港直後だったため速力が上がらず、デ・ロイテルとジャワを見失った。
連合軍艦隊は南方へ退避したと見て、朝潮は追撃を開始。大潮も別方向から追撃に加わった。再び南方6000mで駆逐艦ピートハインを発見し、大潮が突撃。午前0時5分、距離1500mまで肉薄してから砲撃を実施。ピートハイン側も朝潮と大潮を視認し、右へ回頭、2本の魚雷を朝潮に向けて放ったが命中しなかった。その後、ジグザグ航法をしながら煙幕を展開し、離脱を図る。ピートハインの右回頭を見たジョン・D・フォードとポープも右回頭を行い、戦場からの離脱を図る。朝潮はピートハインに狙いを定め、距離900mに接近。砲撃と機銃掃射を浴びせ、2発の命中弾を与える。このうちの1発が第2ボイラー室を破壊してピートハインは航行不能に陥った。朝潮はトドメの魚雷を放ち、午前0時16分に撃沈せしめた。勢いに乗る朝潮と大潮は追撃を続け、午前0時45分に駆逐艦ジョン・D・フォードとポープを捕捉。距離2000mで砲撃し、午前1時40分まで交戦したが、煙幕を展開されて逃げられている。大潮や朝潮から報告を受けた第一根拠地隊司令久保少将は、別行動中荒潮と満潮に援護を命じ、午前1時45分にサヌール泊地へと向かわせた。
第二戦
午前3時6分、軽巡トロンプ、駆逐艦スチュアート、パロット、エドワース、ビルズバリーがサヌール泊地に出現。15本の魚雷を一斉に発射し、泊地内の船団を壊滅させようとしたが、既に笹子丸と相模丸は出港していたため何も命中しなかった。泊地の沖合いにいた朝潮と大潮は午前3時10分、南方から高速で北上してくる巡洋艦2隻と駆逐艦1隻(実際は軽巡トロンプと駆逐艦4隻)を発見。直ちに迎撃へと向かった。スチュアートとエドワースは、左舷前方から突撃してくる朝潮と大潮に対して魚雷を発射。互いに砲撃戦を行う。
午前3時16分、スチュアートに1発が命中し、機関室が破壊された。怖気ついたスチュアートは右へ回頭、僚艦もこれに続いた。この時、ビルズバリーとパロットが接触事故を起こしている。米第18駆逐隊はそのまま北へ抜けようとしたため、2隻は回り込もうとした。しかし駆逐隊の後方には軽巡トロンプが待ち構えており、距離3000mで砲撃戦が始まった。交戦の結果、トロンプは11発の命中弾を喰らって射撃指揮装置とサーチライトが破壊された。大潮も後部二番砲塔に命中弾を受けて9名が戦死。痛み分けとなった。
午前3時40分、現場に急行中の荒潮と満潮はバドウン海峡東口で右舷側から発せられる閃光を視認。これは朝潮と大潮が連合軍艦隊と交戦している戦闘の光だった。加勢するため戦闘海域に舳先を向ける2隻の前に、スチュアートとエドワースが出現。距離3500mで互いに砲火を放った。間もなく左舷側距離1600mに反航するビルズバリーが出現し、左右を挟まれる。しかもビルズバリーの後方には軽巡トロンプの姿もある。朝潮と大潮が戦っていた連合軍艦隊が、偶然荒潮と満潮の方へ逃げてきてしまったのだ。ビルズバリーは砲弾を乱射し、前方を走っていた満潮の機関室に直撃弾を喰らわせて航行不能へと追いやる。ビルズバリーは巧みに離脱し、次にその後方を走っていたトロンプが迫ってきた。残された荒潮は、自分より大きな敵艦に挑みかかった。砲撃を受けたトロンプは北への退避を優先し、短い交戦で終わった。それでもトロンプに命中弾を与え、左舷のサーチライトを破壊して中破させた。トロンプが離脱した午前3時54分、バリ島沖海戦は終結した。
連合軍は魚雷艇8隻を派遣して反撃を試みたが、会敵に失敗したため素通りしただけで終わった。
結果
海戦の結果、日本側の損害は満潮大破と大潮小破に留まった。対する連合軍はピートハイン沈没、トロンプ中破、スチュアート小破だった。バリ島の攻略を成功させ、連合軍艦隊をも退けた日本側の勝利となった。
その後、サヌール泊地にピートハインの生存者(士官1名、下士官9名)が漂着。第八駆逐隊の各艦に収容され、尋問によって敵の陣容が判明した。2月21日の大本営発表で「敵駆逐艦2隻撃沈、1隻大破、我が方1隻損傷」と公表された。宇垣纏連合艦隊参謀長は「バンダ海峡における第八駆逐隊の海戦ぶりは誠に見事なり」と絶賛した。
一方、優勢だったにも関わらず敗退した連合軍はより厳しい状況に追い込まれた。訓練不足の多国籍軍ゆえ足並みが揃わなかった事、帝國海軍の十八番である夜戦だった事が主な敗因と言える。中破したトロンプは修理のためオーストラリアへ後退し、少ない戦力が更に減少。戦局挽回を狙い、総力を挙げてスラバヤ沖海戦を起こすが…。
関連項目
- 0
- 0pt