「丹波義隆」(たんば・よしたか)とは、平安時代の医師「丹波康頼」や明治・大正期の薬学者「丹波敬三」を祖に持つ俳優である。
概要
1955(昭和30)年7月13日に丹波哲郎の長男に生まれる。東京都杉並区出身。
杉並高校時代の1973年に映画「二十歳の原点」で俳優デビューし、翌1974年には映画「青葉繁れる」にて「井上ひさし」をモデルにした主人公を演じた。
1977年には、東映のスーパー戦隊シリーズ第2作「ジャッカー電撃隊」にて、栄光のレッドの系譜に連なる「桜井五郎/スペードエース」役を演じ、高い運動能力と正義感にあふれ、サイボーグ化により手に入れた核の力で戦う主人公を好演した。
が…視聴率がふるわず、テコ入れとして第23話より父の直弟子であった「宮内洋」が行動隊長「番場壮吉/ビッグワン」役として出演することになり、作中ではそれまで桜井五郎が務めていたリーダー役を番場壮吉に譲っており、父の弟子に主役を奪われたかたちとなった事について、気がひけた事を宮内洋が後に語っている。
※ジャッカー電撃隊撮影中は、「カレン水木/ハートクイン」役の「ミッチー・ラブ」と付き合っていた。
また同年に公開された映画「アラスカ物語」では、父・丹波哲郎と共演を果たしており、後に父が企画・原案・原作・総監督を務めた映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」や「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた」で主役を務めている。
ラジコンや鉄道模型、パソコン・写真・フルート・アルトサックスに、野球・水泳・スキー・スキューバダイビングにソシアルダンスと非常に多趣味で、ブログにその様子を紹介する事もある。
現在も、映画やTVドラマへの出演の他、俳優養成所「丹波道場」を主宰している。その他、自身が3歳の頃に小児麻痺で車椅子生活となった母との生活をテーマにした講演活動や、妻「田中久美」や子供たちと共に旅番組に出演したりしている。
主な出演作品
映画TVドラマ |
大河ドラマ桜井五郎/スペードエース役 |
※その他の出演作品については wikipediaの関連項目参照
関連コミュニティ
関連項目
ジャッカー電撃隊 |
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