概要
和歌山県議を経て2001年参院選で初当選。2007年参院選で再選し、現在は2期目を務めている(任期は2013年まで)。
右派色の強い政治家の一人であり、県議時代は自民党に所属。国政進出後は自由党・民主党・改革クラブを渡り歩く。その後一時は幸福実現党に入党し、同党唯一の国会議員となったが、党の運営方針に抗議して離党。現在は無所属議員として再び自民党に接近し、自民党と統一会派を組んでいる。
経歴
国政進出以前
1953年12月4日、和歌山県田辺市にて和歌山県議会議員・大江敏一の息子として生まれる。
県立田辺高校から芦屋大学に進学。卒業後は、自民党右派の大物であり、新興宗教団体「生長の家」の支持を受けていたことで知られる玉置和郎参議院議員に秘書として仕えた。
1979年4月に父の後を襲い弱冠25歳で和歌山県議選に出馬、以後6回連続で当選を飾り、県会副議長まで上り詰めた。2000年9月、県議の職を辞して県知事選に挑むも、自民・民主・公明・社民・保守の各党が推薦する木村良樹に敗北。
自由党・民主党時代
翌2001年7月、小沢一郎率いる自由党の公認候補として比例全国区から出馬。個人名で43,801票を獲得し、自由党の名簿4位で初当選を飾った。しかしこの個人名得票数は比例区当選議員48名の中でも45位と低水準で、また自由党の名簿5位で落選した清水信次とはわずか774票差という薄氷の勝利だった。
2003年9月の民由合併に伴い民主党に移籍。旧民社党出身者ではなかったが、党内では最右派に位置するグループ「民社協会」に所属した。親台派として鳴らし、チャンネル桜による従軍慰安婦問題に関する米下院決議への抗議や、同じくチャンネル桜が制作した南京大虐殺否定説の映画「南京の真実」に賛同者として名を連ねるなど、右派色を前に出した活動を展開していく。2006年9月に右派色の強い安倍政権が発足した際には、実は同政権を応援していること、民主党を辞めたいと思っていることを講演会で漏らしてしまうほどだった。
党に不満を持ちつつも、2007年7月の参院選では民主党の公認候補として比例全国区から出馬。個人名で68,973票を獲得し、民主党の名簿19位で再選を飾った。ただ地元和歌山での得票が前回を下回ったこともあり、個人名得票数は当選48名中46位と低水準を脱することができず、民主党の躍進に助けられた感は否めなかった。
再選後もテロ対策特措法や暫定税率問題、日銀総裁人事などを巡って党の方針に反する場面が目立ち、執行部から議員辞職勧告を受けるなど、次第に党内で孤立していった。
改革クラブ時代
2008年8月、同様に党内で孤立していた渡辺秀央、無所属の松下新平・荒井広幸らと共に親自民・反民主を方針とする新党「改革クラブ」を結成。この件で民主党を除名され、また議員辞職して比例区で得た議席を党に返せと迫られたが、これを拒否している(当選した選挙の比例区に名簿を提出していなかった政党への移籍は法的に規制されないため)。だが「比例下位当選議員が当選からわずか1年後に、当選時政党と対立する政党へ移籍する」ことは、直近に示された有権者の民意を1議席分歪めるものに他ならないとの批判が相次いだ。
後に合流した西村真悟も含め改革クラブは右派色の強い議員が多かったため、大江としても気兼ねなく自身の政治的主張を行うことが可能になった。また改革クラブは麻生内閣の閣外協力与党として振舞ったため、事実上の与党議員として国会質問や委員会質問の場に立つことができた。2009年3月の予算委員会では、自身が和歌山出身であることと絡め、自身と改革クラブは「主人に忠実な紀州犬」のように、麻生政権を守っていきたいと宣言している。
彼の言葉通り改革クラブは麻生政権に忠誠を尽くしたが、主人たる麻生政権の側ではそれほど恩に感じなかったのか、唯一の公認候補である西村真悟は選挙区で自民党公認候補と共倒れとなり、比例区でも惨敗したため、改革クラブは政党要件を失った(後に中村喜四郎入党で回復)。その後自民党と統一会派を結成することになったが、大江はこれを喜び、自民党議員に野党議員としての心得を伝授したという。
しかし党籍変更制限により自民党に移籍することは適わず、選挙区選出の松下新平が自民党に移籍するのを尻目に、改革クラブに留まらざるを得なかった。2010年2月に右派国民運動の発展を目指す「頑張れ日本!全国行動委員会」の結成大会に参加した際には、安倍晋三・平沼赳夫による新党結成を希望する旨述べ、自身も含めた右派の結集による新党結成に期待を寄せていた。
幸福実現党時代
2010年4月、自民党を追われた舛添要一らが改革クラブに移籍し、党名を変更して舛添率いる新党に衣替えする意向であることが明らかになる。しかし右派議員として親自民を貫く大江にとって、右派色に乏しく、おまけに自民党と対立して離党した舛添と組むことはできない相談だった。渡辺秀央から改革クラブ改め「新党改革」に合流するよう求められるもこれを拒否し離党、改革クラブ時代の政党交付金の分け前を受け取った上で、当面は無所属議員として自民党と統一会派を組み活動していくことを明らかにしていた。
ところがそれから間もない5月14日、新興宗教団体「幸福の科学」を母体とする幸福実現党に入党。史上初の同党所属国会議員となった。入党の理由については、国家観や政治思想(反民主・日米同盟・拉致問題解決・台湾問題など)が一致すると考えたこと、2009年総選挙直後から誘いを受けていたこと、大川隆法総裁と会談してその憂国心に共鳴したことなどを挙げている。なお「幸福の科学」には入信せず、自民党との協力関係も維持したいとしている。
幸福実現党では2010年参院選の選対本部長に就任。比例区での2議席獲得を目標に掲げている。
雑記
- 「新興宗教団体が政治家を支援」というと公明党/創価学会のケースが思い浮かぶが、議員が個人的に宗教団体から支援を受けることはそう珍しくなく、経歴で名前が挙がった「生長の家」を始め、「立正佼成会」「崇教真光」「統一教会」など様々な新興宗教団体が議員と協力関係を結んでいる。大江の師・玉置和郎が「生長の家」から支援を受けていたことや、「幸福の科学」は右派色が強く、かつて自民党清和会(現町村派)の領袖・三塚博を支援していたことなどから、幸福実現党入りに関してもそれほど強い抵抗感は覚えなかったものと思われる。
- 与謝野馨が自民党を離党して「たちあがれ日本」結成に参加した際には、谷垣禎一総裁を始めとする自民党議員から「比例区で自民党の名前で当選したのだから潔く議員辞職すべき」と批判が相次いだ。統一会派を組む改革クラブの所属議員の多くが当選時政党を離れた比例区選出議員(大江・渡辺秀央・西村真悟は民主党、荒井広幸は自民党)であることを思えばブーメランになりかねない批判であり、大江も「違法でも約束違反でもない」と与謝野を擁護している。
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関連項目
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