ファンタジー(英:fantasy)とは、幻想、妄想、空想、などを意味する英単語である。
また以下の意味などでも使われる。
英単語のfantasyには「幻想、空想、妄想」などの意味があり、「すごい妄想をした」のような意味でも使われる単語である。
しかし狭義でfantasyは剣と魔法が出てきたり、昔の西洋風の時代背景だったり、モンスターと称する西洋風モンスターが登場したりする作品の事を漠然的に指す場合が多い傾向にある。
これは、JRRトールキンの1954年発表の「ロード・オブ・ザ・リングス(指輪物語)」が非常に強い影響を与えたとされる。(トールキン作品には、ホビット、ゴブリン、エルフ、ドワーフ、魔法使いなどが登場する)
日本で「世界三大ファンタジー」と言われることがある「指輪物語」「ナルニア国物語」「ゲド戦記」も全て魔法が登場する世界観である(ただしこの「世界三大ファンタジー」は誰がいつ定めたものか不明瞭なものだが)。
日本でもファンタジー作品と言えば剣と魔法がでてきてモンスターと呼ばれる敵を倒す作品が多い。
また、日本のゲームの分野であるRPGでそういった作品が多いのも指輪物語、またはそれに影響を受けた作品の「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の影響が非常に強い。
また、ファンタジーの起源をたどれば、世界各国の神話や民話にまでさかのぼる。神話や民話などを発展させ、面白おかしくしたのがファンタジー作品という考えもできる。
もしかしたらこのニコニコ動画もカオスとネ申がはびこり、混沌と秩序をさまようファンタジー世界なものかも知れない。
広義の分類ではSFや一部の少年漫画もファンタジーに含まれる。前者は架空のものを写実的に描くことで受け手に新たな視点をもたらすものであり、後者は架空のものを記号やキャラクターのように扱うものであり、作品があくまで受け手によって作られる(補完される)ものであるという側面を強調したものであると言える。一方で前衛小説のように、受け手によって解釈が異なるものを提示する場合もある。
以下の分類はいずれも程度の問題であり、全ての作品がどちらか一方にはっきり分けられるということはない。
この世界と地続きでない世界の物語である場合を「ハイファンタジー」、あくまで現実世界が舞台の場合を「ローファンタジー」または「エブリデイマジック」などと呼ぶ。ハリーポッターシリーズのように、ハイファンタジーなのかローファンタジーなのか判断しにくい場合もある。
現実世界の伝説や伝承に忠実なファンタジー設定が出てくるタイプのものを伝奇と呼ぶ。実際のファンタジーはそれらの設定を改変して親しみやすい形にした再話的なものであることが多い。一方で、神話や文化などを実在するものから借りずに作るいわばアプリオリな世界観を目指す作品も少なからず存在する。
特定の作者が創作した設定を他の作者が共有したり、不特定多数の間で緩やかに設定が共有されていたりすることがある。こうした世界観をシェアワールドと呼ぶ。
ファンタジーというと普通SFは含まないが、広義にはSFはファンタジーの一部であると言える。SFの定義は様々だが、大方の意見が一致するところによると、第一に論理的に統一的な理論が存在し、第二にその理論に実現の可能性がありそうに見えるもの(その中でも特に新規性のあるもの)である。魔法には実現の可能性はないものの、たとえば火を唱えるための呪文を唱えて水が出てくることはないといったように、あらゆる物事には因果関係のルールが存在し、ルールが理由なく変わることはない。そうした現象と社会との関わりを描けば、それらはより本当らしくなるだろう。この点でそうしたファンタジーはSF的・写実的であると言える。
他方、一見科学的・論理的に見えない(デフォルメされた, リアリティラインが現実寄りでない)絵本のような作品もある。このような作品では描写と作品世界内の物事とをどのように結びつけたら良いのかが曖昧であり、それが科学的・論理的に正しいのかどうかについて読者は考えを放棄せざるを得ない。本が読者にそうすることを求めない限り、何かが真なのか偽なのかということの答えは存在しないし、したとしても読者がそれを知ることができるとは限らないのである。
このような作品にはなろう系や前述したシェアードワールドにおけるゴブリンやクトゥルフといった「そのような世界である」という記号を利用あるいは生成・再利用するものも存在する。これらはいわば言語的なファンタジーであると言えるだろう。一方で写実的ではないがそうした記号を用いることもなく、読者に向けて様々な解釈を許すような抽象的な作品も存在する。
主人公が異世界に移動する作品なのか、現地の人物なのか、という違い。小説家になろうでは主人公が単に生きたまま異世界に行く場合を転移と言い、一度死んで異世界人として生まれ変わる場合を転生と呼ぶ。
主人公が旅を続ける作品なのか、基本的にどこかを拠点とするのかの違い。漫画やゲームでは前者が多く、web小説では後者が多い。
その世界の人物が魔法などの超常現象に対して特別に驚いたりしないような、おおらかな世界観のこと。
恐怖が幽霊や妖怪に実在感を与えている部分はあり、それはSF的な実在感とはまた別の要素と言えるかもしれない。
戦いや冒険の要素があるファンタジー作品のことをヒロイックファンタジーと呼ぶ。
残酷なシーンがあるファンタジーのことをダークファンタジーと呼ぶ。
主人公がチートを使ったように強く、またそれによってそれまで自分を侮っていた格上を圧倒したり、多くの味方を獲得したりする作品がある。これはweb小説等に顕著である。
掲示板
334 ななしのよっしん
2024/10/02(水) 16:10:31 ID: ww8VrZOx/X
すごい個人的な印象で申し訳ないけど、
「ハンバーグみたいな料理」「サンドイッチみたいな料理」が異世界の食卓に出てきてもサラッと流せそうだけど、
「ハンバーガーみたいな料理」が出てきたら「いや、これ絶対地球人がどっかで一枚噛んでる伏線だろ!」と思ってしまう。
ハンバーグとサンドイッチがある異世界ならハンバーガーが自然発生しても何もおかしくはないはずだけど、やっぱりこれも「異世界らしさ」が薄れて現実世界に寄ってくるラインがどっかにあるんだろうなぁ。
335 ななしのよっしん
2024/10/08(火) 15:24:51 ID: O5AfNfOH7q
(1)
直接的には自分の料理体験から「これくらいどこの家庭でも作れ"そう"、誰が作っても同じになり"そう"」と感じるかどうかだろう
理屈的に異世界にあって自然かどうかとは無関係なのはその通りだが、「自然にありそう」な物が思い込み補正の産物な場合の方が多いと思う
(2)
まず現代日本風の「ハンバーグみたいな料理」や「サンドイッチみたいな料理」が異世界の食卓に出てきてサラッと流せてしまってる所に既に原因がある
そういうのが出るとフライパンや白い食パンが普通にある台所や市場が想像されてしまうので、その世界のそれまでの描写によっては、名前がハンバーグとかサンドイッチとかジャガイモやトマトがあるとかどうとでもなる些細な問題に比べてとても厄介
とはいえその料理の成立背景が物語に関わる事も少ないので普通は見ないフリをするかそもそも想像できない
でも見てないだけでなくなってる訳ではないのでハンバーガーのような更に新しい時代の料理が出た時に真面目に自然な設定を考え直すと保留したハンバーグ問題が全部出て来る、どこであふれ出るかだけの違い(ハンバーグだけならミートローフや肉餅で変換してもいいが、歴史の長さの違いからハンバーガーが簡単には自然発生しなくなる)
(3)
最初のハンバーガーとか各国のハンバーガー的なパン料理を並べてみるとナンチャッテであれ中近世ファンタジー風の料理の中でピンポイントでバーガーチェーン的な形の物だけが発生していたらあまり自然ではないと思う
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
336 ななしのよっしん
2024/10/08(火) 16:51:41 ID: O5AfNfOH7q
ファンタジー宿屋でRundstück的な食べ物が皿に乗せて出されても違和感はないと思うし、西部劇のサルーンで紙に包まれたチーズバーガー出て来たら違和感あると思う
恐らく家庭やレストランの一品料理として収まっていれば何だかんだ閉鎖空間内に説明を隔離できるが、チェーン店や屋台のような画一的食品が安価に供給される体制を想起させると(前近代の)ファンタジー的ではなくなるのだと思われる
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最終更新:2024/10/10(木) 17:00
最終更新:2024/10/10(木) 17:00
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