マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター(Martin Otto von Siegmeister)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
外伝『螺旋迷宮』に登場するゴールデンバウム朝銀河帝国貴族・帝国騎士、軍人・大将。
帝国暦419年に銀河帝国から自由惑星同盟へと亡命した人物であるが、その生涯は幾多の謎に包まれている。物語に直接に登場こそしないものの、『螺旋迷宮』におけるキーパーソンの一人である。
帝国暦373年、男爵家の分家筋で帝国騎士の称号を受けた父のもとに生まれる。父は内務省社会秩序維持局の官僚としてきわめて熱心かつ厳格に、あるいは偏執的なまでに職務に精励した人物であり、同時に家庭内では陰気な暴君でもあったという。
彼は士官学校を20歳で卒業し、以後四半世紀にわたり軍人として帝国軍に奉職を続けた。卒業時の成績は中の上という程度だったが、戦闘指揮能力は平凡な範疇であった。また個人的には帝国暦408年に父が死に、その後(おそらく410年代後半)には妻と娘を避暑地のホテル火災で失う不幸に見舞われている。そして419年(宇宙暦728年)、彼は志願して5年ぶりに前線勤務につき、そこから軍のシャトルで20日間の逃避行の末、自由惑星同盟へと亡命したのである。
亡命の理由は定かではないが、軍務省内部での権力闘争の末のこととも、あるいは自身の改革的思想によるものとも言われている。ともあれ、同盟軍は彼を中将待遇の軍属とし、官舎・高給・閣下の称号とともに統合作戦本部の分室ひとつを与えたとされる。しかし宇宙暦745年ごろ、彼はハイネセンポリスから100kmほど離れた地所にある農園の一室に隠棲。そして747年、風邪を引くも医者を呼ばず、そのまま肺炎により65歳で死去した。
のちの時代になって、彼の生涯、とくに謎に満ちた亡命とその前後の活動について興味を持った人物がいた。第二次ティアマト会戦で捕虜となった帝国軍人、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー大佐である。彼は惑星エコニアの収容所で40年かけて資料を収集し、ジークマイスターの活動についてある推測に達した。そしてケーフェンヒラーの死後、当時少佐であったヤン・ウェンリーが遺された資料と示唆をもとに、彼の仮説について語っている。
彼の推測が導き出したのは、「帝国と同盟をつなぐ、壮大で緻密なスパイ網の運営者」という姿であった。
いわく、ジークマイスターの幼少期は、厳格すぎる父親への反発と影響によって形成された。父親は職務の一環として”危険思想”を研究するために多くの発禁書を家庭に持込み、ジークマイスターは父親への反発からそれらの書物に触れ、民主共和主義の思想を培う事になったというのである。そして彼は、長ずるとともに軍人になると、その卓越したオルガナイザーとしての手腕をもって、帝国の内部に巧妙かつ慎重に秘密諜報の網を張り巡らせていった。これは同時に、老いた父親の職務成果を間接的に妨害するものでもあったのだ。
帝国暦408年の父の死の直後、彼はクリストフ・フォン・ミヒャールゼンなる男爵家当主と巡りあった。ミヒャールゼンはジークマイスターの秘密組織でその能力を発揮し、きわめて優秀な反国家的スパイ網を完成させる。かくしてジークマイスターは、スパイ網をミヒャールゼンに任せることが出来るようになり、自身は自由と民主主義の理想の体現者たるべき自由惑星同盟へ亡命することを企図しはじめたのだという。
この亡命が成功し、ジークマイスターが同盟軍に重用されることになったのは既知のとおりである。彼は与えられた分室からミヒャールゼンと協力し、帝国国内のスパイ網の情報を同盟軍に提供した。しかし彼は同時に、自由惑星同盟がけっして理想の国家ではないことを思い知らされたのである。
失望したまま職務を続けていたジークマイスターの前に現れたのは、のちの英雄、ブルース・アッシュビーであった。宇宙暦738年、アッシュビー以下いわゆる”七三〇年マフィア”と呼ばれる面々は、ファイアザード星域会戦で同盟軍を完全勝利に導いて同盟市民を熱狂させ、歴史上にその名を知らしめたのである。ジークマイスターは彼ら”七三〇年マフィア”に希望を見出し、自身の得た情報をそのリーダー、ブルース・アッシュビーに委ねることにした。
そしてアッシュビーは、情報を扱うことにかけては傑出した天才だった。アッシュビーはジークマイスターから得た玉石混淆の情報を選別して活用し、帝国軍に対する赫赫たる勝利を築き上げたのだ。しかしそれは7年後の宇宙暦745年、第二次ティアマト会戦でアッシュビーが戦死したことによって突然の終わりを迎えることとなる。
アッシュビーの死は、ジークマイスターにとって三度目の失望であり、最後のとどめだったのだ、とヤンは語っている。帝国の制度、同盟の現実に続いて訪れた希望の喪失はジークマイスターの精神的な死を意味していた、と。こうして心の折れた彼は引退し、数年後に死を迎えることとなる。
最初に述べたとおり、これらのジークマイスターの生涯は、あくまでヤン・ウェンリーの推測でしかない。「物的証拠はなにひとつないんですよ。蓋然性は高いし、説得力もあります。ですが現在のところ仮説にすぎません」と、ヤン本人も語っている。そしてこの仮説の元となったケーフェンヒラーの資料も、B級重要事項に指定され25年間の封印を受けることとなったのであった。
掲示板
10 ななしのよっしん
2023/02/27(月) 22:08:35 ID: +LuG2baNyS
当時の帝国はまだ門閥貴族じゃないと将官になれなかったのに、地味に下級貴族出身(多分ミヒャールゼンの方も)でしかも後方勤務なのに大将にまで出世した人。
11 ななしのよっしん
2023/09/23(土) 03:12:35 ID: AzT3lUds8e
表向きは帝国に忠誠を尽くす忠臣の様に振舞っていたのではないか?スパイは疑われてはならいのだから。父親は社会秩序維持局の辣腕官僚だったら、銀河帝国とゴールデンバウム帝室とルドルフ大帝の忠臣で、帝国の為だったらなんでもする忠臣が表の顔だったのではないか?。
12 ななしのよっしん
2023/10/01(日) 19:21:47 ID: jp2T2+kpxT
敵国からの機密を入手しても、それを活用した時点で敵に漏洩を悟らせることになる。だから、時には「全く情報を入手できなかったフリ」をしなくてはならない。
第二次大戦時にイギリスがエニグマ解読法を確立した後にドイツ空軍の空爆をわざと見過ごした例もあるし。
敵から漏洩した情報の取り扱いはそれくらいナーバスになるのが情報戦の世界だし、そうなるとジークマイスターのアッシュビー(または730年マフィア内の別の誰か)へのミヒャールゼン情報の横流しは、とんでもない背信とも言える。
第二次ティアマト会戦前夜にミヒャールゼン情報の存在が察知されていたのも、この情報横流しとそれによるアッシュビーの武勲が原因だったんじゃないか?
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最終更新:2024/12/21(土) 21:00
最終更新:2024/12/21(土) 21:00
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