暴君とは、以下のことを表す。
概要
暴虐な政治、乱暴な政治を行った王のこと。また、素行が暴虐で行いが暴力的な王のこと。
似た言葉に暗君があり、暴君と暗君を兼ねるケースが多くて分類が難しいのだが、暗君は能力がなくても温厚で優しい性格がいい人物でもなり得る。例えば、フェリペ3世は全く働かなかったニート王だが、性格は善良で国民からは人気があった。
逆に、国に国王自ら新基軸を打ち立てる場合、人々にはとても受け入れられないので、新しい政策を通すために乱暴な手段に出ることが多い。始皇帝やピョートル大帝がその典型だろう。また、劉邦の韓信粛清のように身内や功臣であっても、君主独裁権を確立する、反乱を未然に防ぐために粛清が行われるケースもある。このように、必ずしも暴君と暗君は同一のものではない。暴君だけど名君ということもあるし、暗君だが暴君ではないという場合もある。
また、新王朝が誕生すると、前王朝を打倒した正当性を主張するため、滅ぼした君主の悪行ぶりを盛る傾向があるので、注意が必要である。
アジア
- 桀王
夏王朝最後の王。末喜のために贅沢の限りを尽くし夏をほろぼしたという。ただし、殷が前王朝を打倒した勢力ではあるようだが、情報があまりないため、紂王の逸話が穴埋として流用されている。
- 紂王
封神演義でおなじみ、殷王朝最後の王。酒池肉林の限りを尽くして周に滅ぼされたが、実際は東方遠征の隙を突かれた説が有力。
- 始皇帝
初めて中原を統一した秦の皇帝だが、行き過ぎた法家思想による締め付け、儒家の弾圧、私欲による建築工事など功罪ある皇帝である。キングダムで秦が統一を果たした後が気になるところ。
- 孫晧
孫権の孫で、孫呉4代目にして最後の皇帝。元々は皇太子の子であったが、父親が政争に巻き込まれて廃位された後に自害を強要と、不遇な青春時代を送る。叔父の3代目皇帝孫休が急死。その息子が幼かったために、帝位につけられけた。孫策の再来であることを期待されたが、実際はとんでもない暴君で、気にいらない臣下を殺しまくった。それでも重臣の陸杭が顕在であった頃は持ちこたえていたが、死去すると破竹の勢いで滅ぼされてしまった。
孫晧が即位した頃は蜀が滅亡していて、三国志から二国志になっていて詰んでいたともいえるが、皇帝次第では持ちこたえられなくもないだけに難しいところである。
- 漢趙(前趙)の傾向
初代の劉淵はまともな人物であったが、兄を殺して後継者になった劉聡は有能であったものの、西晋滅亡後には暴虐な人物になってしまい、降伏した西晋の皇帝を、槍持ちとしてコキ使う、宴会の時に食器の洗い物をさせるなど、屈辱の限りを尽くしたあげくに処刑といった事や、讒言を信じて有能な臣下や無実の身内を殺すなど滅亡への端緒を開いてしまう。
劉聡が亡くなると部下が簒奪、一時的に滅亡するが親戚すじの劉曜が復興。しかし、劉曜もアル中気味な人物であったため、後趙に敗れて滅亡した。
- 劉宋、南斉の傾向
劉宋の始祖、劉裕は卑賤の身から皇帝になったため、肉親を重視しており、即位すると肉親に軍権を与えた。しかし、これは西晋でもやらかした失敗で、皇族たちは手持ちの軍を率いてクーデターを起こす、あるいは皇帝が皇族を殺しまくるといった肉親で殺し合うという皮肉な展開を繰り返したあげくに、部下の簫道成に簒奪されるという顛末を迎えることになる。このため、胸くそ悪い話が多い。
劉宋の後を継いだ南斉も、同じ轍を繰り返さないように勤めたが、結局は繰り返してしまい、梁に滅ぼされてしまう。
- 煬帝
隋の2代目皇帝。公共事業や高句麗遠征で隋を潰してしまった。ただしこのインフラが後の中国を支えたという。
- 海陵王
鬼畜系エロゲの悪役もしくは主人公、もとい金の4代目皇帝。従兄弟の3代目皇帝が酒乱であったことからクーデターでぶっ殺して帝位に就くが、かなり強引な性格で、反抗者や同盟者、更には身内までもを殺しまくって独裁権を確立した。金が華北した有していない現状に不満をもって南宋に侵攻するが、建国まもない南宋の抵抗に苦戦。海陵王の強引ぶりに不満を爆発させた勢力が皇族を擁立。結局、部下に謀反を起こされて殺害された。
この人の特徴は、目をつけた相手が幼女だろうが人妻だろうが構わず強引に愛人にしたこと、その気になれば後宮でも宮中でも何処でもやっちまうなどいった、伊藤誠エロゲ主人公並の性欲っぷりを発揮している事であるが、誇張されている可能性が高い。
- 朱元璋(洪武帝)
明朝を建てた男だが、建国後は独裁権を高めるために、自分を支えた忠臣を粛正祭り。この結果が良くも悪くも明王朝の方向性を左右することとなる。
- 雄略天皇
叔父をぶっ殺して、その后を強引に嫁にしたが、その連れ子に暗殺された。
ヤマト王権を拡大した反面、独裁するためなら肉親を始末し、反抗者を徹底的に殲滅したという事から大悪手天皇ともいわれた。ただし、伝説時代のことなので史実であるどうかは不明。その一方で倭王武ともいわれている。
- 武烈天皇
人を殺しまくることが趣味だという天皇。ただし、史実かどうかは不明。
- 足利義教
室町幕府6代目将軍。宗族の一人で元々は僧籍に入っていたが、前将軍が後継者を残さずに死んだのでくじ引きで選ばれたという経緯を持つ。衰えていた幕府権威の復興と将軍親政のために、反対する守護大名たちを粛清しまくった。里見八犬伝の発端でもある結城合戦もこの治世に行われている。その強引さが周囲の反感を買ってしまい、結局は赤松満祐に暗殺された。日本で天皇と将軍が暗殺されたケースは、前述の雄略天皇と崇峻天皇、源実朝、足利義教、足利義輝といったところである。
暗殺されなければ、中興の主として評価されたかもしれないがこれが限界なのだろう。皮肉なことに彼の死によって足利将軍は傀儡と化すこととなる。
- 光宗
4代目高麗王。名君という評価ではあるが、王権を強化し過ぎるあまりに身内や豪族を粛清しまくったという一面も。
- 燕山君
李氏朝鮮の10代目国王。即位当初はまともに政治を行っていたが、政争に巻き込まれて憤死した生母の死を知って家臣を粛清した。合わせて乱行に及んだことから支持を失い、家臣達のクーデターによって廃位させられた。朝鮮史上最悪の暴君とされるが、その一方で音楽面では評価されている。
- 光海君
李氏朝鮮15代目の皇帝。庶子であったが文禄の役で実績を積んだことを理由に王位についた。ただし、その勢力基盤は不安定で、権力を確立させるためには反対者を粛清せざる終えなかった。幼児であっても粛清などから結局はクーデターにあって廃位された。
ただし、有能な部類に入る国王であり、現実を見ることができていた。彼を廃位した経緯で、李氏朝鮮は反清政策を採らざるおえなくなり、結果として清による過酷な支配を受けることとなった。
エジプト
ヨーロッパ
異名・あだ名・作品
暴君のような人・キャラクターの異名として暴君が用いられることがある。