メジロアシガラ 単語

メジロアシガラ

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メジロアシガラとは、1972年生まれの日本競走馬メジロ牧場最大の功労である。

……えっと、誰? 名前も聞いたことのないそんなメジロ牧場の功労? メジロマックイーンメジロラモーヌあたりじゃないの? と思った方は大多数であろう。でもこのが居なかったら、マックイーンもラモーヌも生まれてなかったんだよ。

な勝ち
1977年:新潟障害ステークス

概要

1972年に誕生し1974年競走馬としてデビュー1976年から障害に転向して1977年まで競争生活を送る。重賞勝ちはないがオープン戦で4勝を上げた。通算成績48戦10勝。

……事実だけを連ねるならばこの程度で終わってしまう、タフさが売りのマイナーの1頭にすぎない。だがメジロ牧場歴史る上で、こののことはどうしても外せないのである。

平々凡々だった時代

*インディアナ(代表産駒ダービータケホープ春天勝ちベルワイド)、メジロイズミ*ワラビー(代表産駒春天勝ちメジロムサシ)という血統から生まれたメジロイズミの19721974年にメジロアシガラと名付けられ[1]々と競走馬デビューした。デビュー年の1974年は4戦走って勝ちなし。1975年1976年に1勝ずつあげて、地での成績は26戦2勝というな、いやはっきり言って見所がない成績を残した。

の代表産駒を見れば分かる通り距離が長ければ長いほど活躍するというメジロ牧場好みのスタミナ血統なのだが、いかんせんそれは地でのスピード勝負にはいまいち向いていなかったのかもしれない。じゃあ距離の長い障害レースに出せばもうちょいなんとかなるんじゃね? と思ったメジロ牧場の関係者は1976年アシガラ障害に転向させる。この年は障害レースに4度出たものの未勝利ではあったが、二着と三着が一度ずつあったため「お、これは行けるんじゃないか?」と何となく予感させるものであった。

そして……。

メジロ牧場の救世主

1977年8月メジロ牧場は経営の危機に至っていた。メジロ牧場の近くにあった有珠山噴火し、牧場に大量の火山が堆積したのである。牧場火山が積もる……それは牧は全部ダメになるわ運動はろくにできなくなるわとの育成計画が全部ボロボロになる大事件なのである。ついでに言うとここで言うメジロ牧場は「1971年に出来たばっかりのメジロ牧場洞爺支部」であり(この頃は伊達にあったメジロ牧場が本部扱いだった)、大資を投入したばかりの支部が建設してすぐ経営危機に陥るという大ピンチであった。当然蓄えは建設費に使ってしまってほとんどい。自分のレースで賞を稼いでもらって修繕すればいい? いや、この時期のメジロ牧場タイミング悪く重賞レースに出るようながみんな引退しちゃっていて、ろくな稼ぎ頭なんて居なかったのである。オーナー北野ミヤおばあちゃんですら「おしまいだな」と諦めかけたレベルのひどい状況だった。

そんな存亡の危機を救ったのがメジロアシガラ。それまでの通算2勝1977年に18戦8勝(うちオープン4勝)の成績を収め、約9700万の賞を荒稼ぎした。特に有珠山噴火以降の成績は8戦5勝であり約8000万を稼いだというから泣ける話。さらに勝ちの内の1つは同年の障害王者・バローネターフを相手にして勝ち取っているのだから大したものである。この頃は障害レースの賞地以上にあったため、重賞勝利でもこんな額を稼げることが出来たのである。

現代の価値観でも9700万円稼ぐと聞いたら馬主孝行に思えるが、アシガラの生きていた時代を考えて欲しい。当時の大卒初任給は10万円ほどだったそうなので現在の判断基準にすると約二億を荒稼ぎしたことになる。(え? 現代の価値にして8億はある?うーん、アカギの時代からは15年近く経過してるし既に高度経済成長後のお話だから……そこまでじゃないと思うよ?)かくしてメジロ牧場アシガラが稼いでくれたお金のお陰で経営危機を乗り切り、一年にしてアシガラメジロ牧場としての救世主としの地位を確立したのである。

真の功労馬

同年限りで引退したアシガラ種牡馬にはなれなかったものの、メジロ牧場運動相手をしつつ々自適に暮らしていたらしい。サラブレッドは生きているだけでがかかる生き物である。引退後は乗、あるいは処分という話もしくはないが、それでも大切にメジロ牧場で繋養されていたのはメジロ牧場救世主を尊重しようという動きがあったのだろう。

しかしながらの相手もできなくなるほど高齢になると、アシガラメジロ牧場を出ていくことになる。今度こそ処分か……?いやいや、彼はオーシアンファームという所に引き取られていった。

ここはメジロ牧場のような生産牧場ではなく、高齢のを引きとる養老院のような場所である(他メジロ出身以外の有名どころとしては、タケノベルベットイブキダイハーンなんかがいたらしいよ)。ちょうどミヤおばあちゃんがこういった事業に協的だったこともあってか、繁殖が終わった後のなんかがよく預託されていたようである。

ここに預けられた新旧メジロを並べていくと、メジロボサツメジロ牝系の始祖とも言える存在)、メジロサンマン(メジロイーグルメジロパーマーの祖)、*シェリルメジロティターンメジロライアン祖母)、メジロリュウメジロラモーヌメジロアルダン 上の脚注にある通りアシガラ同期だったりする)、メジロラモーヌなどなど……。

っておい!名ばっかりじゃねえか!

つまりメジロアシガラの貢献度はG1母親牝馬三冠のそれと匹敵するもの、と認められていたのである。子孫は1頭たりとも残していないのにこんな扱いをされるオープンアシガラくらいであろう。

かくしてメジロアシガラは重賞勝利の功労という不思議な立ち位置のまま余生を過ごした。その後2002年時点(30歳)に生存報告exitがされており、翌年の2003年に亡くなったようである。31歳の大往生であった。オーシアンファームはその後2017年閉鎖されてしまったらしく、どのように過ごしていたのかなど、詳しいことは判然としない。

メジロ牧場残念ながら既に閉鎖されてしまったが、アシガラがいなければメジロ牧場1977年の時点で潰れていたであろうし、そこからマックイーンやラモーヌが生まれることも、またマックイーンがドリームジャーニーオルフェーヴルになっていることもなかっただろう。

血統表のどこかにメジロ名前が入っているを見つけたら、時々メジロアシガラのことも思い出してあげて欲しい。日本競馬歴史に大きなを与えた、冠の名と言えるアシガラのことを……。

血統表

*インディアナ
1961 鹿毛
Sayajirao
1944 黒鹿毛
Nearco Pharos
Nogara
Rosy Legend Dark Legend
Rosy Cheeks
Willow Ann
1942 栗毛
Solario Gainsborough
Sun Worship
Court of Appeal Apelle
Brown Princess
メジロイズミ
1967 鹿毛
FNo.14-b
*ワラビ
1955 黒鹿毛
Fast Fox Fastnet
Foxcraft
Wagging Tail Tourbillon
Foxtail
メジロマドンナ
1962 黒鹿毛
*ティエポロ Blue Peter
Trevisana
リアトリス *トリプリケート
*オデツト
競走馬の4代血統表

クロスPharosFairway 4×5×5(12.5%)、Foxhunter 5×5(6.25)

関連動画

の功労者らしく、そんなものは一つもなかった。youtubeにすらかったよ……。

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *同期メジロ冠名たちもメジロリュウ(空母の飛龍?)だのメジロアカギ(空母の赤城?)だのメジロウンリウ(空母の雲龍?)だのメジロユウギリ(駆逐艦の夕霧?)だのと名付けられているため、メジロアシガラも重巡洋艦足柄にちなんだ名前と思われる。大元の足柄山の方かもしれないが。
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