ドリームジャーニーとは2004年生まれの日本の競走馬で、現在は種牡馬である。
主戦騎手は池添謙一、調教師は池江泰寿、馬主はサンデーレーシング、生産は社台の白老ファーム
愛称はジャーニー、ドリジャ。
主な勝ち鞍
2006年:朝日杯フューチュリティステークス(GI)
2007年:神戸新聞杯(JpnII)
2008年:朝日チャレンジカップ(GIII)、小倉記念(JpnIII)
2009年:宝塚記念(GI)、有馬記念(GI)、産経大阪杯(GII)
2006年JRA賞最優秀2歳牡馬
2009年JRA賞最優秀4歳以上牡馬
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「ドリームジャーニー(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
父ステイゴールド、母オリエンタルアート、母父メジロマックイーン。
ステマ配合の先駆馬で三冠馬オルフェーヴルの全兄に当たる。
馬名の由来は父名の香港表記「黄金旅程」からの連想で意味は「夢のような旅路」、ジャーニー自身の成績も、そしてこの先の未来を考えると父と弟に夢への旅路を開いたと言ってよく、成績以上にその影響は極めて大きい。
ステマ配合の活躍馬は血統のどこかに元ネタがあるが(オルフェはサッカーボーイ、ゴールドシップだとマックイーン)ジャーニーは毛色こそ違えど父ステゴにソックリで、暴れる、嫌がる、ヨレるなどの気性難は当たり前として馬体重は420kg前後と牡馬としては超軽量、またほとんど怪我なく30戦近く走り丈夫だったところもよく似ている。
2歳時は蛯名正義騎手を鞍上に新馬戦と芙蓉Sを順調に勝ち上がり。初の重賞挑戦の東京スポーツ杯2歳Sでは出遅れが響き、ネタ馬として有名なフサイチホウオーの3着に敗れる。しかし当時中山開催の朝日杯FSではまた出遅れをやらかしたものの最後方から直線で全馬をゴボウ抜きにする圧巻の走りで見事に優勝。池江厩舎に初重賞・初GI、そして父に国内で初のGIタイトル(父の競走馬時代も含めて)をもたらした。ちなみに上がり3Fは最速、でも歴代優勝馬の中で最も軽い馬体重。とステゴ産駒のネタっぷりはこの頃から変わっていないようである。まあ勝つたびに最軽量記録がついて回るような競走馬ではあったが。
3歳のクラシック戦線では当然主役となるはずであったが、朝日杯FSの勝ち馬はクラシックで目立たないけど、初戦の弥生賞でケチが付いてから勝ち切れないレースが続き、皐月賞、日本ダービーは良い所なく終えてしまう。
秋競馬では武豊騎手へ乗り替わり。菊花賞トライアルの神戸新聞杯こそ勝利したものの肝心の本番では掲示板に乗るのがやっとで結局クラシックに皆勤し好走はするが見せ場を作ることはできなかった。
まあ、これが弟オルフェーヴルへの布石になった訳なんですけどね。
ちなみに菊花賞後は父が制した香港ヴァーズに向かう予定であったが、馬インフルエンザが原因で遠征は中止。代わりに鳴尾記念に出走するも、8着に破れている。
4歳、陣営は小柄な体格と切れる脚を考慮してマイル路線へ進むが、マイラーズカップ14着、安田記念10着と惨敗続き。「小回りがよい」という武の進言により小倉記念に向かうが、肝心の武が騎乗停止を喰らってしまう。代わりに前走で騎乗した池添謙一騎手が手綱を取り、ほぼ一年ぶりに勝利を手にする。以降池添とのコンビが引退まで続くことになる。次戦の朝日チャレンジCも勝ちGIIIを連勝、久々にGIでも期待できるかな?と思わせたが秋天10着と惨敗、有馬記念は4着と惜敗してしまう。まあ秋天は東京競馬場だし仕方ないね。
そして5歳になり初戦のAJCCこそ敗れるが、中山記念で2着好走、次いで大阪杯で勝利と陣営はジャーニーの調子の良さを感じ取り菊花賞以来の3000m超となる春天へ果敢に出走し、レースでは最後の直線で鋭く末脚を伸ばすもちょっと距離が長かったのか3着に惜敗する。そして宝塚記念、ディープスカイに人気が集中するメンバーの薄い年ではあったが4コーナーでまくり上げ、ラスト3Fでメンバー最速の末脚を繰り出し、直線で追いすがるディープスカイを競り落とし優勝、2歳以来2年半ぶりのGI勝利は過去にほとんど例がなく、息の長い活躍が出来る血統の奥深さを証明したことになった。
秋競馬でも調子の良さは変わらずオールカマーで中山マイスターのマツリダゴッホの2着とした後、秋天は東京競馬場なので当然の如く休憩惨敗するが、春秋のグランプリ連覇がかかった有馬記念では道中ハイペースと先行馬が潰れるジャーニーに向く展開となり、直線で好位から抜けだした3歳のブエナビスタ(ちなみに斤量差は4kgとかなり違う)を外から一気に差しきる強い競馬で優勝、春秋グランプリの連覇を達成した。タイムは2分30秒0。2004年にレコードを叩き出したゼンノロブロイの時計に0.5秒差まで詰めている。
6歳も現役続行するが、ここから父にソックリな惜敗を繰り返し、秋競馬の後半から翌年の7歳の春競馬で急激に成績を落とし、ファンが熱望していた弟オルフェとの対決は実現できずに現役を引退、札幌競馬場で引退式が行われ、現在は種牡馬として繁用されている。
このドリームジャーニーは本当にチビな競走馬だった。親父も小さかった(約430kg)がドリームジャーニーは親父に輪をかけて小さい(約420kg)のだ。それでも最後の直線、ピッチ走法でコロコロと転がすように足を回転させ鋭い末脚で駆け上がってくるさまは本当に可愛かった。(筆者主観)
が、チビすぎて巨躯な白いの(500kg超え)とは対照的に種付けが超下手クソであり、種牡馬としての活動は難航。2019年~2021年には種付け料が非公表(Private)となった。要するに繋養先(社台スタリオンステーション)が他の種牡馬を相手にするよう宣告しているに等しく、弟のオルフェーヴルが複数頭GI馬を輩出しているのも理由の1つである。
2022年以降は社台スタリオンステーションの種牡馬一覧からも抹消されている。
一応後継種牡馬候補には屈腱炎を乗り越え2022年のJCで3着に付けたヴェルトライゼンデがいる。ワールドエースやワールドプレミアの弟で血統は申し分ないが、2度目の屈腱炎を起こしてこれ以上キャリアを上積み出来るか怪しい。
牝馬産駒には2023年の凱旋門賞で4着に入ったスルーセブンシーズがいる。
今でこそ絶大なニックスと認識されているステマ配合だが当時は知る由もなくドリームジャーニーが出てきた当時のステイゴールドはサンデーサイレンスの後継種牡馬の末席だったし、メジロマックイーンは産駒の成績も残せぬまま天国へ逝ってしまい、直仔はまだ現役だったもののそれまでの繁殖成績から考えてもGIを勝てるような産駒を残せる可能性は限りなく低かった。そんな中であのステゴの仔がGIを勝った!マックの孫からGI馬が出た!こんな渋い血統が並み居る良血を押し退けGIタイトルを獲った!!とステゴファンもマックファンも嬉しさでお腹いっぱいだったのだ。
そして朝日杯FSの勝利からGIタイトルが遠のき、ジャーニーが種牡馬になれるか血が繋がるかどうかの瀬戸際に立たされ、やっぱり無理なのか…と諦めかけた時に春秋グランプリを連覇しステゴとマックの後継種牡馬の地位を確定させた時は本当に血の奇跡を感じたものである。
まあ2年後に全弟の破天荒な三冠馬ここでは兄貴の名誉のため凱旋門賞2年連続2着馬と言うべきが、その翌年には気分屋にも程がある芦毛の二冠馬記事内では白いのと呼ばれてるが誰のことかはまあバレバレであろうが出るわけだがその道を開いたのは間違いなくドリームジャーニーだった。
ちなみに東京競馬場では一度も勝てておらず最高で2歳の3着のみと壊滅的な成績である。これは左回りでは内にもたれる癖があったためと言われており、もしそれでレースをサボれる思っていたのなら間違いなくステゴが原因である。これはオルフェーヴルにも影響し、皐月賞のトライアルを勝っても本番で人気を落としたのは東京競馬場が苦手だったジャーニーのイメージが強かったといえる。
まあオルフェも泥んこダービー以外では東京競馬場で無残な大敗していたのが一番の原因だけど。
ちなみに白いのも3歳時はともかく古馬になってからの府中での勝ちはなかったりする。
ステイゴールド 1994 黒鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
ゴールデンサッシュ 1988 栗毛 |
*ディクタス | Sanctus | |
Dronic | |||
ダイナサッシュ | *ノーザンテースト | ||
*ロイヤルサッシュ | |||
オリエンタルアート 1997 栗毛 FNo.8-c |
メジロマックイーン 1987 芦毛 |
メジロティターン | メジロアサマ |
*シェリル | |||
メジロオーロラ | *リマンド | ||
メジロアイリス | |||
エレクトロアート 1986 栗毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer | |
Lady Victoria | |||
*グランマスティーヴンス | Lt. Stevens | ||
Dhow | |||
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最終更新:2024/11/09(土) 08:00
最終更新:2024/11/09(土) 08:00
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