丙型海防艦とは第二次世界大戦中、大日本帝国海軍によって計画・建造された軍艦である。艦名は大量建造が計画されたため、それまでの海防艦(「択捉」「占守」など島の名前がつけられていた)とは違い「第○○号海防艦(○○には一桁から三桁の数字が入る)」と名付けられた。同型艦には「第一号海防艦」以下「第三号海防艦」「第五号海防艦」「第七号海防艦」・・・といった具合に奇数番号がつけられているのが特徴。なお、偶数番号は同時期に建造された「第二号海防艦」から始まる「丁型海防艦」に名付けられている。一番艦の名前から「一号型海防艦」とも呼ばれる。昭和18年・19年に132隻の建造が計画され終戦までに53隻が完成、12隻が建造中、さらに戦後に復員輸送艦として3隻が追加で竣工している。
太平洋戦争が始まると帝国海軍は海上護衛の問題に直面することとなった。帝国海軍としても開戦前に海上護衛問題について全く考えていなかったわけではないが準備不足は否めず、とりわけ護衛艦不足に悩まされ続けていた。戦争前に護衛艦のテストベッドとして建造された占守型海防艦はたった四隻しかいなかったし、北方漁業警備艦としての性格も持っていた占守型が凝った設計であったためにそれをベースにした択捉型・御蔵型も簡略化したとはいえ建造は遅々として進まなかったからだ。そこで帝国海軍は更に設計を簡略化した日振型・鵜来型の建造を進めたが、それでも必要な護衛艦の定数を満たせるとは当事者である帝国海軍自身が思っていなかった。一方でガダルカナル攻防戦以降、わが国の船舶の被害はうなぎのぼり、護衛戦力の整備は焦眉の問題であった。こうして帝国海軍は極端に構造を簡略化し電気溶接を多用しブロック工法をも駆使し、主機(エンジン)も量産のきくものに換装した護衛艦を建造することになった。それが丙型海防艦である。
丙型海防艦は前述の通り昭和18年に計画された、占守型・択捉型・御蔵型・日振型・鵜来型に続く5世代目の海防艦であるが、逼迫する海上交通事情からとにかく早く・たくさん作ることをコンセプトに建造された。勿論、鵜来型以前の海防艦も大量生産を念頭に置いて建造されていたが、これら海防艦の大元となった占守型が凝った設計であった事もあり(経緯は「占守型海防艦」参照)思うように量産がかなわなかったからだ。また、船体の複雑さもだが主機の製造能力も低かったことも問題だった(鵜来型の量産性が上がらなかったのは船体の問題というよりも主機の製造能力が原因とも)。そこで丙型ではまず量産性を確保できるエンジンとして当時すでに一三号型駆潜艇で量産実績に定評のあった二三号乙八型ディーゼルをベースに出力を向上させた二三号乙八型ディーゼル(それまでの低出力型は甲八型と改称された)を採用した。その上で船体も刷新、ブロック工法・電気溶接の採用、曲線部分の廃止、使用部材も軍艦用の特殊品でなく一般船舶用で代用できるものは代用し徹底的に簡略化を図った(これらの施策は鵜来型ですでに導入済みではあったが丙型ではさらに先鋭化され実施された)。この結果、丙型はこれまでにないほどに生産性が向上し、第一艦は昭和18年9月に起工、翌年2月には最初の数隻が竣工するという帝国海軍としては驚異的な建造スピードであった(ちなみに前型の鵜来型1番艦は起工から竣工まで約9カ月かかった)。その後、造船所側も建造に慣れてくると概ね丙型は3カ月ほどで建造できるようになったが、これは建造された時期が戦争後半以降、という事を考えると、船体の簡略化は成功であったと言える。また、船体の簡略化は建造時間の削減だけでなく、建造できる造船所を増やすことにも貢献した。それまでの軍艦というものはたとえ駆逐艦のような小型艦でもその特殊性から海軍工廠を除くと建造できる造船所は限られていたが、船体の簡略化によりそれまで軍艦の建造には携わる事の出来なかった中小の造船所も加わる事が出来たのである。
一方の装備面については小さな船体にできるだけ充実させる事が試みられた。なかでも重視されたのは爆雷で、前型である鵜来型より船体が小型化したにも関わらず、同数の120個の爆雷と三式爆雷投射機12基、爆雷投下軌条1基が搭載された。備砲はもちろん高角砲で、25mm機銃とともに搭載された。さらに、艦橋前には8cm迫撃砲も搭載され対潜弾を発射したが、こちらは効果が微妙で取り外されたものもあるらしい。また、この時期水中聴音器や音波探信儀、電探の搭載は一般的になっていたが丙型も装備し、特に新型の三式探信儀などは優先して装備され、竣工時に間に合わなくとも、聴音器や一三号電探などを後日追加装備した艦も多い。
以上のような経緯で建造された丙型海防艦は、前線から一隻でも多くの護衛艦を求められていた事もあり、竣工するとすぐに前線に投入されていった。船体小柄で速力もあまり速くない丙型は遠距離の護衛任務は少し難があったが、(帝国海軍としては)優秀な対潜能力とある程度の数が揃った(或いは揃う見込み)であることから艦隊からは重要な戦力とみなされた。実際、他艦との共同ではあるが米潜4隻を撃沈破しており、地味ではあるが大戦末期の殊勲艦といっても差支えないだろう。一方で損耗も激しく終戦までに32隻が戦没している。また、建造した造船所にとっても丙型量産の経験は戦後造船王国の礎の一つとなったことに疑いの余地はなく、丙型はまさに戦中から戦後にいたるまで、我が国を支えてくれた艦ともいえるだろう。
基準排水量 | 745t |
公試排水量 | 810t |
全長 | 67.5m |
全幅 | 8.4m |
喫水 | 2.9m |
主機 | 艦本式二三号乙八型ディーゼル2基2軸 1900馬力 |
速力 | 16.5kt |
航続力 | 6500nm/14kt |
兵装 |
三式爆雷投射機12基 爆雷投下軌条1基 |
乗員 | 125名 |
※但し追加・改装あり
掲示板
3 ななしのよっしん
2019/09/19(木) 21:10:26 ID: M12v5CFoHb
20ノットにまで上げられなかったのか
の間違いだった、スマソ
4 ななしのよっしん
2020/09/04(金) 12:20:14 ID: K1ILxV4HCM
5 ななしのよっしん
2021/07/19(月) 05:00:20 ID: C9qWgX4jXU
>海上護衛問題について全く考えていなかったわけではない
まるで評価すべきことのように書いてあるが、これ「警察が警らについて全く考えていなかったわけではない」というレベルの話なんだが。
艦隊決戦志向とは「敵の海上侵攻兵力の迎撃が海軍の存在意義」ということで、「警察が大規模テロ事件への対策にリソース全振り」しているようなもの。
そりゃ陸軍が自前の海軍を作ろうとしますわ。
なお大本営の運営も実質的に陸軍がしていたので、民間船舶の管理も陸軍が把握していた。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/24(水) 16:00
最終更新:2024/04/24(水) 16:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。