矢野貴之(やの たかゆき、1984年8月3日 - )とは、大井競馬場東京都騎手会所属(フリー)の騎手である。
1984年8月3日、群馬県に生まれる。競馬一家ではなかったが競馬ファンであった兄の影響で徐々に競馬に興味を持っていった。
地方競馬教養センターに入学し騎手課程第75期生として卒業。同期には吉村智洋が、一期上は真島大輔らがいた。
2002年3月末に地方競馬騎手免許取得、地元群馬県の高崎競馬の丸山務厩舎所属騎手として騎手としてのキャリアを歩み始める。
2002年4月12日高崎競馬第3レースにてデビューし8着。デビューから27戦目の5月3日高崎競馬第2レースにて初勝利を挙げる。
2004年には地方重賞の奥利根賞をエフケーアニカで制覇し重賞初制覇。だが、この年に高崎競馬の廃止が決定、年末には12月31日第7レース騎乗が高崎競馬最後の騎乗となった[1]。
2005年1月29日の根岸ステークスにサンエムキングに騎乗。これが中央競馬における高崎競馬所属騎手の最後の騎乗となった。
2月2日、大井競馬の高橋三郎厩舎への移籍が発表され5月9日に初騎乗、13日に移籍後初勝利を挙げる。
2007年には通算100勝を達成。だが、年間10~20勝前後の成績が続くなど中々勝ち星に恵まれなかった。
2012年12月末に東京都騎手会(フリー)に所属変更、これが転機となり2013年は自己ベストとなる41勝を挙げると、翌2014年には前年の2倍強の99勝を挙げるなど、一躍南関東のトップジョッキーの仲間入りを果たす。
2015年には通算500勝を達成。年間201勝、地方重賞6勝を挙げTCK(大井競馬)リーディングジョッキーとなった。
2016年は195勝で全国リーディング8位。2017年は238勝で全国リーディング3位、初の南関東リーディングジョッキーとなった。
2018年はハセノパイロで東京ダービー制覇など239勝で全国リーディング4位、2019年は270勝で全国リーディング3位。2月22日には通算1000勝を達成した。
2020年はサルサディオーネでマリーンカップを勝利しダートグレード競走初制覇を達成すると、クイーン賞でも勝利、また、サブノジュニアでJBCスプリントを制覇しGⅠ級競走初制覇など、ダートグレード競走で目覚ましい活躍を見せ、NAR殊勲騎手賞も受賞した。年間勝利数は237勝で全国リーディング4位。
2021年も引き続きコンビを組むサルサディオーネでスパーキングレディーカップ、日本テレビ盃を制覇。また、珍名馬として注目を浴びていたママママカロニで地方重賞ゴールドジュニアを快勝するなど活躍。全国リーディングは238勝で5位。
2022年2月1日に通算2000勝を達成した。この年もサルサディオーネでさきたま杯を勝利するなど順調に勝ち鞍を伸ばしていたが、7月には騎手控室に通信機器を持ち込んだことで10日間騎乗停止処分を受けている。
2023年、ヘルシェイクの主戦騎手を任され、鞍上と併せて「ヘルシェイク矢野」が完成するということで話題となり、初勝利の際にはヘルシェイク矢野のコスプレをして口取り式に参加するなどノリの良さも垣間見せている。
スタートのセンスが良く、好位置でレースを進める先行スタイルを得意としている。
伸び悩んでいた時期に先輩の戸崎圭太から「(もう一段上に行くには)きっかけヒトツだな」とアドバイスされたことや結婚したことをきっかけに状況が好転したと戸崎との対談で語っている。
高橋厩舎所属時には実戦での騎乗はなかったものの、フジノウェーブの調教パートナーを担当していた。
※近年の騎乗馬を中心に記載。( )は主な勝鞍。ニコニコ大百科の記事のある競走馬は太文字表記。
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最終更新:2023/03/22(水) 22:00
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