穢れ(東方project)とは、元は神道の概念である。忌まれる物、悪い状態、理想的で無い状態を指す。
日本神話における黄泉の国の穢れ等、古くから「死」と関連付けられていた。神祇信仰(神道)においては「死」「病気」はもとより「出産」「月経」も穢れとする。また、「触穢」により穢れは伝染するとされ、穢れた者に直接触れる他に一緒に食事をしたり同席しただけでも穢れるとする。
東方projectでは月の都が穢れを強く嫌っているが、月の都が地上を穢れた場所と蔑む設定自体は、原典である竹取物語からすでにある。竹取物語の終盤、かぐや姫を迎えに来た天人は地上を「穢き所」、地上の食べ物を「きたなき所のもの」と発言する。
東方の穢れも神道の穢れと基本は同じだが、ZUN氏による部分的なアレンジ(解釈)が垣間見える。
神道以外では、仏教における「浄土」の概念(浄土の対義は「穢土」)、キリスト教における「原罪」の概念と関連性がある。
月の都が嫌った穢れとは、生きる事と死ぬ事。
特に生きる事が死を招く世界が穢れた世界なのだと。
生きるために競争しなければならない地上を穢れた土地、穢土と呼び、月の都を穢れの浄化された土地、浄土と呼ぶ者もいる。
生も死もない世界が限りなく美しい。だが何もない世界が理想というのも違う。
生きるために他人から搾取したりせず、自分たちが生み出した物だけで全ての者の生活が賄える世界が理想なのだと言う。
地上は生きることが最善であるが故に、死の匂いが強くなるのだと言う。その死の匂いが生き物に寿命をもたらす。
だから地上の生き物には全て寿命があるのだと言う。
元来、生物に寿命という制約などはなかったらしい(生物が寿命で死ぬことはありえなかった)。
しかし現在地上を蝕んでいる「穢れ」という概念は、物質・生命から永遠をはく奪する性質を持っていた。
神代から争いは絶えず続き、海の生命は自身を育んだ海を穢した。勝ち残った者は地上に進出したが、今度は他者を食料とする為の壮絶な戦いとなった。ある者は闘争の無い世界を求め空を飛び、またある者は海へ戻った。こうした生物の血塗られた歴史が地上に「穢れ」を生んだという。
つまり生物の生死(闘争の歴史)こそが穢れの源だったようだ。
この「穢れ」に最初に気付いた者は、現在の月の都の開祖「月夜見」であった。月夜見は自らが信頼のおける親族と共に、寿命を捨てるべく月への移住計画を発案、後に実行したと言われている。
また、妖精は穢れの象徴であり、生命の象徴でもある。(東方紺珠伝より)実際、東方紺珠伝では純狐が月に妖精を大量に発生させ、さらに純化の能力で妖精のエネルギーを増幅させたところ、穢れを苦手とする月の都は手を出せず窮地に陥った。(通常では、妖精程度の穢れは月の民も怖くないらしい)東方世界において、妖精とは自然と一体の存在である。
つまり生命の存在自体が穢れであり、自然こそが穢れそのものということになる。
「穢れ」は東方Projectにおいては「罪」と表現されることもある。東方儚月抄においては綿月豊姫によれば、地上に住む生き物に罪がないはずがなく、地上に住む、生きる、死ぬ。それだけで罪であるとのことであり、地上に住む生き物には一生地上に這いつくばり、生きて死ぬという「罰」が与えられるとしている。
神道における罪の概念としては、「天津罪」「国津罪」がある。高天原で始まった罪を「天津罪」、葦原中国で始まった罪を「国津罪」とする。
「天津罪」とは記紀神話においてスサノオノミコトが高天原で起こした行為に関連した内容の罪をさす。具体的には、「畦を壊すなどして、田に水を張るのを妨害する行為」「祭事場を糞尿で汚す行為」など。
「国津罪」には「他人を傷つける」「死体を損壊する」「近親相姦」「瘤など跡が残る病気に罹患する」「虫による被害をうける」「天災で被災する」など。(一説には国津罪は「穢れ」により発生する、との解釈もある)
「国津罪」には本人には責任がない(どうしようもない)事柄まで「罪」としてしまう内容が含まれており、東方Projectの「罪」の概念と通じる部分がある。ただし、神道には「罪」に対する「罰」という概念はない。
「罪と罰」は善悪を明確に定義した非常に二元論的な用語であり、「罪」に対して「罰」が与えられるという構図は仏教や神道というよりどちらかというと絶対的な神格を置く一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など)に見られる発想である。ここでいう「罪」とは生命に普遍的に存在するものとされており、四季映姫・ヤマザナドゥが勧善懲悪しているような世俗道徳を超えた一神教的原罪意識(旧約聖書における楽園追放による)を垣間見ることができる。これにより東方の「穢れ」概念がインド以東の思想にとどまらず、さらに西方の宗教からの影響も受けている可能性が考えられる。
穢土に住む民が寿命に縛られた身であるのは上述した通りだが、月人とて不老不死ではない。
大前提として月人もわずかな穢れを持つ。月人は穢れ無き浄土(月)に住むから長い時を生きられるのであって、穢れた地上で暮らすと寿命も地上人に近づいてしまう。
これを克服できるのは「蓬莱の薬」なのだが、薬を月人が飲むと穢れが発生するとの事。このため月では薬の服用は重罪である。その理由について「不老不死の誘惑に負けたから」という説明がなされたことがあったが、単行本ではこの記述が削除されており、この理由は破棄されている可能性がある。東方紺珠伝では月人は生死を拒絶する存在とされている。
掲示板
35 ななしのよっしん
2020/07/01(水) 07:21:48 ID: UMKcNmPaUs
月の民に穢れ(性的な意味で)を注ぎ込む系薄い本は非常にシコい
36 ななしのよっしん
2022/01/17(月) 23:46:28 ID: 6lawnIGwzS
現代的な見方だと、物の腐敗は微生物の活動だったりする(あと、腐食は空気中の酸素等の元素との化学反応だったり)。そういう意味では、自然界の生存競争そのものが「穢れ」だとする発想は判らなくもない。
実際、缶詰とかは大多数の微生物の殺菌と、外部環境からの隔離によって長期間の保存を実現している訳だし……。ただ、缶詰レベルの環境だと人間も生きられないので、穢れ除染には月の民の「秘術」が不可欠かと……。
37 ななしのよっしん
2022/05/23(月) 23:11:18 ID: 0gUXhbIuX5
しかし、むしろこれを進化の過程と歓迎するものもいた
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最終更新:2024/04/19(金) 08:00
最終更新:2024/04/19(金) 08:00
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