菩薩メンタルとは、どんなに裏切られようと、どんなに酷い目に合おうと、海よりも深く、空よりも高い慈悲深き心で相手と向かい合う、かっとビングでハートがキュンキュンなメンタルを持つ者たちのことを指す。
約束を破られたり、悪い噂を流されたり、親友になれたと思ったらジャネジーを注ぎこまれて悪に染まって愛を捨てられたり、町も住民も壊滅寸前に陥っても決して諦めず、怖くなるぐらいの笑顔で親友の心を救い、自分がジャネジーを注ぎこまれても一瞬で回復してシリーズ初のラスボスソロ撃破を果たした少女がニチアサにいた―少女の名前は相田マナ。
物語開始前に両親が行方不明になったり、相棒や仲間が幾度も闇堕ちしたり、2クールにわたる友情ごっこの末盛大に裏切られたり、仲間が次々と散っていったりしても決して諦めず、視聴者から改心不可能と称され自分の境遇を棚に上げて「そいつに心はない!」とまで言われたゲス野郎をも最期には根負けさせたシリーズ最年少の少年が深夜42時アニメにいた―少年の名は九十九遊馬。
この単語は、そんな彼らの驚異的なメンタルを称える称号である。
日常生活の中で、他人に対して誰しも不快な思いをしたり、そのせいで「二度とその人とは関わり合いたくない、自分じゃどうにもならない」と、どうしても拒絶する気持ちが大きくなる。それを相手が故意にやってきた行いなら尚更である。しかし、そういった不快な気持ちをものともせず、そんな悪意を持った相手と悠然と向き合い、どんなに拒絶され、裏切られようとも自分の信じた道を突き進み、ついには相手の心を改心させ、信頼を得る、そんな信念と心意気を併せ持つ事で初めて菩薩メンタルの持ち主と言えるだろう。
菩薩メンタルに必要なスキルは、
特に下二つは重要な要素で如何に屈強な精神を持つ者たちといえど、時には心が折れそうになり、部屋に引きこもったり、思い出の地を無意識に徘徊するなどメンタルに多少影響が及ぶことがある(この人達の場合、大概AパートかBパート中に回復するけど)。そういった彼らを支えてくれるのが 今までそのメンタルの影響を受けてきた仲間たちである。菩薩メンタルの持ち主は自分一人しかいない状況でも大概すぐさま復活しそうなものだが、傍に仲間がいるとあら不思議、たった1話で、時には心が折れたと思った数秒後に回復どころか逆に強化されて復活してしまうのである。
そして、同じぐらい相手を信じぬく心も非常に重要だと言える。人は「孤独」「誰にも理解されない」という境遇に置かれると際限無く歪んでしまうものである。そんな他人…時には自分自身すら無意識に拒絶して心を閉ざした相手に自分の心と気持ちを届かせるためには「どんな事があっても相手を絶対に信じる」という前提条件が必要である。この辺が単なる鋼メンタル・形状記憶メンタルと決定的に異なる点である。
そんな菩薩メンタリストの行きつく先は、大概その作品においてラスボスをものともせず宇宙空間までぶっ飛ばす圧倒的なスペックを手に入れたり作中でも最強の存在に成り上がってることが多い傾向がある。
劇中での彼らの突き抜けた行動を指して、「ほとんどキチガイ」「先生、本当に中学生…もとい人間か!?」「クレイジーサイコレズ予備軍」などと若干引いてしまう人も少なからず存在すると思われる。
実際問題、聖人と呼ばれる領域に達するためには真っ当な感性では絶対に不可能であり、それを為せると言う事は常人ならぬ感性の持ち主…すなわち狂人の類とも言える。
とは某金ぴか英霊の言葉である。
そもそも菩薩と言う単語は「悟りを啓くために修行し、人々に教えを伝え、共に歩んでいく者」を指す言葉であった。両者とも悟りだのなんだの深いことは全く考えていないだろうが、決して諦めず、よりよい高みにチャレンジし、人々に己の言葉と意思を伝え、仲間達と共に歩むその姿はまさに「菩薩」と呼ぶにふさわしいだろう。
もう1つ、気付いた人も多いと思われるが例に挙げられた二人とも同年代の中学生である。一見、破れかぶれにも見える言動が出来てしまう・許されてしまうのは「子供向けの作品で子供の主人公」という点も大きいと思われる。
中高年以上を対象とした作品の主人公だと、読者層の共感を求めた結果、主人公が「大の為に小を切り捨てる」といった現実的なリアリストになりがちである。わかりやすさと、共感を得るためにテーマの象徴のようなキャラクター像になり、全くぶれないのは子供向けの作品ならではと言える。加えて、相手への説得のセリフは子供だからこそあくまでも純粋な子供の目線とこれまでの体験の両方に基づいた素朴な言動になって現れることが多く、「諭されているのに不思議と説教臭くない」印象を視聴者に与える。
願いと祈りによってJCが神様になったり悪魔になったりするぐらいだし、思春期の少年少女のメンタルティは無限の可能性を秘めているのだ。っていうか後者は直ちに彼らのカウンセリングを受けたほうがいいと思う。
菩薩たる彼と彼女が許さない相手など基本的に存在しない。
まさに「正義の味方は助けられるなら悪をも救う」を地で行く彼らにそんな相手はない――のだが。
極極々稀にだが悪逆非道を行い反省もせず、しかも説得も聞く耳持たず上から目線で強大な力でもって更なる悪事に手を染めんとし世界に、人々に災いをもたらそうとする様な、そんな大魔王みたいな輩は存在する。
さすがの菩薩メンタルといえどもその時は遂に怒りが有頂天、「絶対に許さねぇ、○ン・サウザンドォオオオオ!!!!」 と宣言されてしまっては最早その人物が助かる見込みは0であろう。
神でも仏でも悪事をなあなあにしてくれるわけではなく、「許す」のである。
したがって遊馬・マナに本気で絶許認定されてしまった人物の救済は不可能であると言える。
普段優しい人を怒らせるとどうなるか、という良い例である。
掲示板
402 ななしのよっしん
2022/11/23(水) 21:55:20 ID: MD/jDF8vtO
この二人のメンタルの強さ自体は否定しないが、環境や相手(敵)に恵まれてたのもあるわな正直
同じような強さを持った主人公は世の中いくらでもいる
だがそれで万事収まる物語ばかりじゃないんだ
403 ななしのよっしん
2024/12/15(日) 22:08:13 ID: xnrKa/eks2
遊戯王だと遊星が結構仏というか、カウンセラー的な精神をしてる気がする
一見ひどい事してる人に対して「お前は本当はこうじゃないのか!?」って相手の本心見抜きつつ
当人が救われるための手伝い、的なデュエルしてく感じが多かったと思うし
404 ななしのよっしん
2024/12/17(火) 14:02:52 ID: y9jz1Yr+gX
>>400
勝てるはずのない相手に勝手にコンプレックス抱いてぶつかって来てるだけなのを争いとは言わない
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/21(土) 23:00
最終更新:2024/12/21(土) 23:00
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