「怪物と戦う者は、自分が怪物になってはいけないことを知るべきである。地獄を深く覗き込む時、地獄もまた君をじっと見つめているのだ」 by ニーチェ
迷うp主シリーズとは、無意味を通り越して人に不快感をもたらす動画、およびそれを公開する等で不快感をもたらすうp主たちのことである。
概要
主に、鉄道系動画の人気シリーズ「迷列車で行こうシリーズ」における単語である。
このシリーズには本家「迷列車列伝」をはじめ、東日本編、九州編、海外編などクオリティの高い動画が多数存在する。しかしすべてのジャンルに言えることだが、ジャンルのアイデンティティから逸脱した動画が当シリーズでも発生し問題になった(特に阪和線の205系1000番台の作者が有名・・・当たり外れが激しかったな・・・)。その後も、侮辱ONLYに近い内容の動画が投稿され、当のうp主が批判コメント削除・精神的ブラクラURL貼り付けなどの挑発行為をなす、ある作者が著作権侵害を行った上に逆ギレする、など物議を醸す状況が続いている。
「迷うp主シリーズ」のタグは迷列車で行こうシリーズで低クオリティ作品の投稿その他問題行動をとった作者に対してつけられるものであるが、低質というだけでシリーズと無関係の動画にも貼られたり、また気に入らない動画に対する荒らしの目的で悪用されるケースも多い。
……とはいえ、論外としか言いようがない動画・作者は今もなお現れている。
迷列車シリーズにおける傾向
迷列車関係で、迷うp主と槍玉にあげられる理由として以下の事があげられる。
- 迷だと思うのはうp主だけ
- 列車を「迷列車」たらしめる普遍的な根拠はなく、全てはうp主の主観である。
- 「迷」という言葉が悪い意味を持つ以上、槍玉に上げるにうp主は列車の「迷」を周囲に納得させる義務が生じ、それができなければうp主に迷というレッテルを張られても仕方がない。うp主が迷だと思っても他人からすればそうでないこともあり、ともすれば迷だと思うのがうp主だけということもある。
- 先行動画に憧れて動画を作ることはかまわない。しかし、迷列車関係においては自分の好みと独善と偏見で列車にレッテルを張るのだから、その列車で迷列車動画を作っていいのかどうか、「名」を「迷」と言いくるめる力量に自信がなければ尚更、引いた視点から慎重に検討すべきであろう。ステーキを食べる時にこれから犠牲になる牛に祈りを捧げるように、列車にも敬意を持ってほしいところ。バカと罵るようなことがあってはならない。
- 構成に難
- 迷列車動画中に出典を示さずWikipedia等から丸写ししたものもあるが、それは著作権侵害行為である(WikipediaおよびWikipediaから引用する場合には引用規定がある)。
のみならず動画として長すぎる等で視聴者から飽きられ、動画にした意味がなくなる。細かい説明はWikipediaの該当項目を見ればいいのだし。適宜要約するなどしてうp主の言いたいこと(動画全体の2割程度)を冗長さを感じさせず理解させること、創作物として意味を持つにうp主独自の切り口を見出すことが期待される。評論モノであれぱ尚更だ。
- 説明にあたっては、ニコニコ動画を見ている人の70%から90%が、クモハとクロハの違いや、吊りかけ駆動とかVVVFインバーターとか、そういった用語が分からないノンケである事にも注意しよう。
- 視聴者側の問題
- 列車を迷列車たらしめるのがうp主の主観なら、うp主を迷うp主たらしめるのも視聴者の主観である。
価値観は人それぞれなので、ある動画を「迷うp主」と見る視聴者もいれば、そう見ない視聴者もいる(特に東日本の人の関西遠征編の評価が激しい)。迷列車シリーズのカテゴリー自体が気にいらない人やアンチもいるので、作った動画にもし「迷うp主」タグが張られていても直ちに気にする事はない。むしろ、非難や罵倒をスルーする肝の太さがうp主に要求されるものである。
コメントの内容が批判と応援で半ばするようであれば、見解の相違でスルーすることも可能だが、非難タグがたくさん張られたり、批判・非難のコメントだけでカウンターが膨れあがっているようであれば、素直に反省したほうがいい。キツいコメントであろうと次作の動画への糧になるのだから。うp主には作った動画への責任があることを忘れてはいけない。
「迷列車動画を作っていいのは、迷うp主と罵られる覚悟がある奴だけだ」 ルルーシュ・ランペルージ
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- とともに、視聴者が良くも悪くも正直ということも踏まえておきたい。
良い動画・面白い動画には賞賛のコメントを送り、つまらない動画や喧嘩を売っているような動画には容赦なく文句や罵倒のコメントを送る。つまらない動画を面白いと世辞を使うこともなければ、良い動画をけなすこともない。コメントというのは投稿者の作品に対する評価なのである。
- なお、車両擬人化+本社呼び出しというネタを使う際に「北陸の人の真似をするな!」というクレーマーが出るが無視して構わない。車両擬人化は北陸の人の前に海外編の人も使っているし、迷列車動画自体、ゆっくりさん使用の時点で本家の人のオマージュともいえる。盗作とオマージュとは別物であり(盗作の言い訳としてオマージュという言葉を使うことはあるが)オマージュをしてはいけないということはない。
- うp主の逆上または悪態
- 逆上も悪態も結果としてその場に居合わせ、また矛先となった視聴者・他作者その他関係者を不快にさせる。批判コメントを濫りに削除することや他者を不快にさせる動画を故意に投稿したと(本人の判断とは別に)思われる行為もこれに含まれる。逆上の場合はまだしも、悪態についてはうp主の人間性が疑われる、迷列車うp主に限らずうp主一般において最もやってはいけない行為である(一部の行動はもはや荒らしである)[1]。
うp主も人間でありときには逆上する。とはいえ、明らかな荒らしへの反発は別として、受けとめるべき批判に対しても「他の人もやっている」「嫌なら見るな」「(強弁的に)その批判は的外れ」といった態度をとるのは作成動画への責任ないし自身の道徳心欠如を棚に上げた逆ギレであって、厳に慎むべきものである。批判的なコメントが寄せられるのは結局のところ作品のまずさやうp主の態度によるのであって、そのコメントを削除しても動画が面白くならないどころか意見を聞かない人と評価され事態は悪化する。
また、どのジャンルにも言えることだが、参入者の増加に伴い自己満足のためなら手段を選ばない問題児も紛れ込む。迷列車シリーズが多くの人を包含し発展したこと自体は慶ばしくとも、不届き者を放置すると台無しになりかねない。一部の者の悪態により作者間視聴者間の円滑・穏健なコミュニケーションが妨げられ、多くの人がニコニコできず実質的に崩壊してしまった後味の悪い領域は後を絶たない。迷列車シリーズもまたニコニコできるかどうかの試練に直面している。
不幸にも迷うp主評価を得てしまっても返上の機会はある。最悪なのは批判・忠告を受けたにも拘らず問題のある動画を量産したり視聴者等に喧嘩を売り続けたりした結果、迷うp主ブランドを確立してしまうことである。名前を聞いただけで作品のクオリティ関係なく忌み嫌われるようになってしまったら最後、引退するしかない。引退を拒み往生際悪く居座るヤクザまがいの行為も不可能ではないが、それはシリーズ崩壊の原因にしかならない[2]。
- ネタに走りすぎ
- 迷列車動画においてネタや毒舌は重要なスパイスになる。が、あくまでもスパイスであってメインではない。視聴者は列車の話を聞きにきたのであって、列車たちを擬人化した茶番を見にきたわけではないのである。列車たちの漫才や本社呼び出し、二次元等のネタが無駄に充実しつつ肝心の中身がない動画は叩かれても仕方がなく、「そのネタがウケるのはうp主だけ」という可能性を考慮しなければならない。また、毒舌は共感を得なければ罵倒でしかないので、ネタと同様に注意する必要がある。
- 尤も、シリーズ初期の動画にはネタ要素が濃厚でも評価が悪くないものも少なくなかった。しかしこれはスタイル形成のために少ない動画を参考に試行錯誤が繰り返されつつ、当時の視聴者がその結晶に真新しさを感じていた結果である。昨今のうp主はネタで動画を埋めるに限界があることを多数の参考動画から知ることができる。従って、初期の動画を引き合いに出しながらネタ尽くしの動画をゴリ押しすることは時代錯誤であり、先人の努力に対する不適切な報いとなろう。
なお、 ネタを作品に組み込むにあたり注意点が二点ほどある。
- ・ネタは基本的に本筋から外れているので、話の流れを乱すおそれがある。
- ・ネタを入れるのはネタ抜きでも面白い作品をより面白くするためであって、ネタを入れるだけで面白くなるわけではない。昨今のATSCの乱用のように逆効果になることもある。
- 著作権侵害
- 迷列車シリーズでは主に鉄道写真を外部サイトから盗用することを指し、作品の面白さに拘らずうp主の質が疑われる問題行動とされる。シリーズ初期から少なからず盗用があったが当時の関係者はあまり問題視していなかった。権利者の追及本格化に伴い写真盗用は先人の失敗と認識され、その教訓に従う作者は①自ら撮影した写真②使用許諾済の写真等を使用している。また、③権利者が予め使用を認めた写真やWikipedia上の写真については許可こそ不要だが、出典元の明示が原則必須である。使用許諾のない写真盗用があったときはその写真を含む動画ごと権利者削除を受けうる。
迷列車シリーズは鉄道写真に支えられていると言っても過言ではない。しかし盗用に憤る権利者がシリーズを信用せず別作者への写真提供を拒むケースも生じ、後進の作者・投稿に悪影響が及んでいる。一度失った信用は回復しがたいが、少なくとも新たな信用失墜を防ぐことが先行作者に求められる。また、迷列車作者は概ね鉄道趣味者として扱われる。権利者も鉄道に関心を持つゆえに写真を公開し、人によっては数少ないチャンスをモノにした結晶も公開する。趣味上の事情も含む写真を権利者の意に沿わない形で使うのは同じ鉄道趣味者として配慮に欠けるのではと問われるようにもなった(自分は鉄道趣味者じゃない、と人によっては都合のいい時だけ言い張る作者もいるが、他の趣味者の足を引っ張ることのなきよう。鉄道動画参入も何かの縁なので撮影者の気持ちを察しておこう)。
このような事情から、昨今の迷列車シリーズでは現役作者の鉄道写真盗用に厳しい目が向けられている。
盗用を指摘された作者はそれを認め、該当動画を削除または作り直すことが求められる。権利者削除を複数回受けたにも拘らず信用回復への行動を示さない者は迷列車作者として致命的であり、引退が求められる。なお、非難を受けたときに「他のうp主もやっているのになぜだ」「権利者以外が口を出すな」と自身の行為を棚に上げ横柄な態度をとる、あるいは他作者を道連れ的に攻撃するのは単なる盗用問題を超え、うp主の人間性が疑われる悪態として扱われることになる(ましてや昨今の鉄道趣味者批判に便乗した権利者攻撃などは愚の骨頂)。初期の動画を引き合いに出す行為は時代錯誤でもあろう(その作者にも責任があるけれども、「お前が言うな」)。
なお、鉄道写真以外の著作物の扱いにつき多くの作者はニコニコ動画作者一般の風潮に影響されているが、この風潮が常に正しいというわけではないので権利者の追及があればそれは自己責任と思っていただきたい。「権利者」の項目を参照。
- 「信者」の問題
- ニコニコ動画では主に元の意味から転じた意味(特定個人等の熱狂的支持者)で「信者」の語が用いられ、迷列車シリーズにおける信者もこれにあたる。そして当シリーズにも時折カルトばりの排他的な空気を作る動画・作者が現れる。
信者は動画内外で批判封じ・宣伝、酷い場合は他作者攻撃を行いしばしば暴言を伴う。しかし動画に問題があるから批判があるわけで、批判封じは問題の先延ばしにすぎず作者の動画改善の動機を鈍らせる原因にもなる。排他的態度がただでさえ問題であるのに加え、批判者に益々不満を募らせるだけである。
ニコ動上の信者はしばしば「嫌なら見るな」などと罵るが、ナンセンス。動画・キャプションを見なければ問題があるかどうか判るはずがないからである。なお、信者が同様の(他作者の動画を批判しない)態度を貫けるかというと、排他の性質上先ず期待できない。
信者の問題は教祖=うp主が信者(なりすまし)の行動を否定して解決すればよい。ファンの有無に関係なく動画改善へ努力すること、センシティブな話題を扱う際に少数でも反対者を想定したフォローをすることも円満化のために重要である。信者を放縦させれば人を不快にする投稿者として迷うp主の非難を免れない。尤も、うp主が信者を煽りまたは自作自演しているようであれば、改善する気がハナからないのだろうけど。
- 論外
- 「ニコニコ動画の投稿規約
」の重大な違反。迷列車の名を冠した、性的表現、暴力的表現、プライバシー侵害をなす動画投稿を指す。ニコニコ動画一般に対する宣戦布告であり、もはや迷列車を超えた、怪物のなす業である。
以上に列挙した事項は飽くまで迷列車シリーズに関して他人を不快にさせる行動をまとめたものであって、迷列車動画作成に際し参考になっても明文ルールにはならない。動画作成および動画批評は責任を伴う自由なもの。迷うp主であるという評価・非難は各視聴者が動画・うp主の各問題部分の程度・複合性を総合的に判断した結果にすぎない[3]。
従って視聴する際に「ルールに従い違反動画を非難する義務」など存在せず、一方で例えばサハリン氏のリスト(後述)で取りあげられていることを笠に着て該当動画に落書き・卑猥コメなどを残す権利も存在しない。非難の目的・方法を誤れば視聴者様・迷視聴者かそれ以前の問題となり、コミュニティの一生のうちつまらない人がマジョリティになるという末路に加担することにもなる[4]。
関連動画
アイデンティティ逸脱の現状を解説する総統閣下シリーズ動画、この作者は、下記の問題の動画の内容を改善した動画を作成している。現在は削除されて視聴できない。
アイデンティティ逸脱の問題源となった動画。言わば、迷列車の面汚し。現在は非表示に設定されている。
この問題における、正しい内容の動画。上述の閣下動画の作者様作成。
「構成に難」の例。悪意がないのは認めるけれど、何を言いたいのかまったく理解できない動画。
ただ、これから迷列車動画を作る人には参考にして欲しいと思う。
もちろん、反面教師として。
「迷だと思うのはうp主だけ」の例。関東の人が「1度も本籍地を走っていない」という理由で、迷認定しないと思うのだが。
「ネタに走り過ぎ」の極北。
ここまでくれば「建具はナラ材」とどうでもいい事は書いているのに、肝心のスペックが真っ白な○倉軌道の提出した書類のようである。当局の気分なんて味わいたくもないのだが。
「うp主の悪態ないし逆上」の例。批判を受け入れず、都合の悪いコメント・批判系のタグの非表示・削除を頻繁になすとともに、投稿者コメントにて悪態をついた。なお、「迷列車(走ルンです)の人」は迷うp主シリーズにリダイレクトされている。[5]
「著作権侵害」の例。以下は著作権侵害の氷山の一角に過ぎないが、迷列車うp主の中で最も多く権利者削除を受けたうp主の削除動画群(7回)である。これから動画を作ろうとする人は反面教師としてこれを直視されたい。また、【→このうp主】は動画を悪用し視聴者一般および他うp主を攻撃する(8つ目の動画:sm18514819がその跡)、先述の走ルンですの人と同様複数の投稿動画で自身に不都合というだけでコメントを削除する、などの悪態もついている。
文法もおかしく、どこが「迷」なのか触れられていない論外な動画。お話にならない。
「論外」。動画共有サイトは個人を攻撃する場ではない。
詳しくは【→こちら】。
サハリン氏の迷うp主マイリスト
ただし、あくまでもサハリン氏個人の見解なので注意
関連項目
脚注
- *うp主が悪態をつく媒体としてはA:自ら投稿した動画内・生放送内またはそれぞれのキャプション、B:視聴者として他作者の動画等にコメント・タグを残す方法、C:ブログ・ツイッターその他ニコ動外SNS、D:某巨大掲示板・大百科掲示板その他電子掲示板、が挙げられ、悪態等が問題視された当初から投稿動画内に限られなかった。掲示板は原則として匿名であるものの特定の迷うp主(自分)を擁護しつつ決まって掲示板利用者や他作者を攻撃し不快にさせる(迷うp主への批判抑制や迷うp主・信者の自己満足以外に利益がなくその他の者が投ずるはずのない)粗暴なレスが後を絶たず、迷うp主の関与が常に疑われている。固定ハンドルで突撃するケースがあるほか、いちうp主が本記事付属の掲示板を荒らしたという証拠が残るなど足が付いている場合も少なくない(荒らしID: spj6w8LXreについては、【→こちらのレス】から大百科関係の削除依頼掲示板上にある証拠を参照されたい)。
- *うp主が悪態をついただけでどんな作品にもマイナス補正がかかる。リアル世界では舌禍が失敗の引き金となった例が星の数ほどある。決してリアル世界から隔離されたわけでないニコ動の世界でも、作者個人と作品とを切り離して評価すべきといった主張はほとんどの者にとって無理な要求だということを肝に銘じなければならない。なお、人の評価に一々構いたくないがために仮面を外し「横柄な」態度を通すことも不可能ではないが、問題なのはその態度に起因する評価に不満を述べることである。それは結局のところ他人の評価を気にしているわけであって、自己責任を果たしていない単なるワガママでしかない。
- *迷列車関係者を否応なしに従わせる意味でのルールの作成権は何処にも属さない。この意味でのルール作成の動きがないのは、多くの迷列車関係者が所属するニコニコミュニティ「迷列車で行こうシリーズ
」も同じである。もちろん当該コミュニティに属していなくても自由に迷列車動画を作成でき、また所属の有無を問わず自分以外の人を不快にさせない責任が存在する。 - *最近は「問題動画を作らないことはルールだ」と勝手に決め付け、問題状況が起こるたびに有名な迷うp主を引き合いに出し対極作者を口汚く罵るほか、「●●(有名な迷うp主)を叩き××(他作者)を叩かないお前らの正義はおかしい」と「ルール」の順守を強要するような迷うp主らしき道連れ目的の悪態も数多く飛び交っている(前注の掲示板荒らしID: spj6w8LXreはその一例である)。こういった荒らしに付け入る隙を与えないよう動画視聴上の行動について気をつけなければならない。
- *迷列車(走ルンです)の人は現在ニコニコ動画への投稿動画・投稿用アカウントを削除しているが、Youtubeでは現役(ユーザー名:kasiwa1999)で、ニコ動撤退後も悪態をついている。走ルンです編 第1回
および走ルンです編 第3回
の「投稿者のコメント」を参照。