高田誠 単語

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タカダマコト

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高田誠とは、

  1. プロ野球選手捕手)。本項で解説する。
  2. 洋画(故人)。文化功労者。
  3. 声優。「王様ゲーム The Animation」の高田役など。
  4. 市民団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会会長桜井誠の本名[1]。 → 桜井誠

経歴

プロ入り前

1964年東京都江東区に生まれる。法政二高では3年時に正捕手と4番を任され、21年ぶりとなる夏の甲子園出場に貢献。甲子園でも9打数5安打2打点4四死球の好成績を残したが、チーム3回戦で敗れた。

卒業後はそのまま法政大学に進学。2学年上には後にヤクルトスワローズなどで活躍する秦真司がいた。その引退後に頭を現し、3年時・4年時と2年連続で日大学選手権の代表チームに選ばれた。

また4年時には将として東京六大学リーグでの優勝にも貢献したが、ベストナイン慶應将・石井章夫[2]らに阻まれて一度も受賞できなかった。

1986年ドラフト会議巨人の3位名を受け、入団を決める。なお2013年時点では法政大学巨人ドラフト名を受けた最後の選手となっている。

巨人時代

入団当時の巨人で正捕手を務めていた山倉和博1988年頃から急速に衰え始めたため、高田もその後継者補として期待を受けた。

ライバルは既に盛りを過ぎた移籍組の有田修三中尾孝義や肩に難のある村田真一らで、高田にも割って入るチャンスはありそうだったが、如何せん打撃が非力に過ぎたため二番手捕手にもなれず、二軍暮らしの日々が続くことに。

結局巨人では活躍できないまま、1991年オフ藤田浩雅とのトレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍することになった。

オリックス時代

移籍当時のオリックスは強肩強打の若手捕手中嶋聡が正捕手として台頭したばかりで、高田には厳しい戦いが予想された。ところがこの頃から中嶋が打撃不振に陥り、逆に高田は課題の打撃面である程度改善を見せたため、次第に中嶋と併用されるようになり、1993年1994年には中嶋を押しのけて正捕手の座を確保するまでになった。

ところが翌1995年に起きた阪神大震災で自宅が損壊するという不幸に見舞われると、グラウンドでも復調した中嶋に正捕手の座を奪い返されたばかりか、二番手捕手の座も三輪隆に奪われてしまう羽に。仰木マジックの一環として一塁手指名打者としても起用されたが結果には繋がらず、チームリーグ優勝を果たしたものの、高田にはやや不本意な一年となった。

辱を期した翌1996年も当初は三番手捕手に甘んじていたが、後半戦は再び正捕手に返り咲き、チームリーグ二連覇に貢献。古巣・巨人との対決となった日本シリーズでも全試合でマスクを被り、巨人打線を抑え込む好リード日本一を手繰り寄せた。捕手として出場したのは66試合と中嶋より少なかったものの、後半戦の活躍を評価されこの年のゴールデングラブ賞に選ばれている。ちなみに捕手部門の表[3]オリックスの選手が選ばれたのは2013年時点でこれが最後となっている。

だが翌年以降はまた三番手捕手に逆戻りしてしまい、1998年中嶋FA移籍と脱税事件による三輪の出場停止で得たチャンスも極度の打撃不振で掴むことができなかった。この年のオフ戦力外通告を受け、現役を退いた。

引退後

現役引退後は導者として巨人に復帰。1999年から2003年まで二軍バッテリーコーチを務め、2004年2005年堀内恒夫監督の下で一軍バッテリーコーチとして入閣を果たした。

その後はいったんユニフォームを脱ぎ、ジャイアンツアカデミーヘッドコーチチーフスコアラーを務めていたが、2012年2013年は一軍ブルペンコーチとして再び現場に復帰し、リーグ二連覇に貢献した。2014年からは二軍ファームディレクター補佐に転じている。

2016年からは再び二軍バッテリーコーチを務め、2019年二軍監督に就任したが、阿部慎之助二軍監督就任に伴い同年限りで退任した。2020年からは再びファームディレクター

通算打撃成績

通算:12年 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 467 1190 1011 98 236 45 6 10 101 2 48 10 114 7 178 21 .233 .313

雑記

基本的に専業捕手だったが、仰木彬監督の下では時折一塁手指名打者としても起用されていた。1996年には1試合だけ三塁の守備に就かされたこともあったが[4]、さすがに不慣れだったためか1失策を献上している。

スイッチヒッター捕手としてはNPB歴代でもトップクラスの実績を残しているにもかかわらず[5]、「歴代スイッチヒッターベストナイン」などの考察ネタでは大抵存在を忘れられている。これはチーム日本一となり自身もゴールデングラブに選出されるなど注を増した1996年シーズンを前に左打者に転向していたためと見られる。

1997年シーズンオリックスで一軍捕手として起用されたのは中嶋三輪高田の3人だけだったが、シーズンオフ中嶋FA移籍し、さらにオフ中に発覚した脱税事件で三輪が出場停止となったため、1998年3月に発売された実況パワフルプロ野球5コナミN64)ではオリックスの登録捕手高田一人だけという惨事になった。貧打の高田代打を出せない上に故障離脱が即投手の崩壊に繋がるため、いささか使いにくいチームになっていた。

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関連項目

脚注

  1. *時事ドットコム:「在特会」会長ら8人逮捕=新宿排外デモで暴行容疑-警視庁exit
  2. *西武ライオンズで活躍した石井貴の実ドラフトでは高田より先の二順横浜大洋ホエールズ名を受けたが、庭の経済的事情を理由に名を拒否して社会人野球に進んでいる。
  3. *ベストナイン捕手部門・ゴールデングラブ賞捕手部門・最優秀バッテリー賞の3つ。
  4. *1996年9月28日オリックス日本ハム25回戦。
  5. *捕手もできる」というレベルも含めるなら木村拓也の方が実績は上だが、「スイッチヒッター捕手として残した実績」では高田が勝っている。
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