P!NKとは、アメリカの元R&Bシンガーで、現シンガーソングライター。
親友のゲイの男の子に、『女の子のアソコを見たことがないから、見せて』とせがまれて、仕方なく見せたら、"女の子のはピンクなんだ"と言われた事から、現在の芸名に。それまでは髪の色がピンクだからなどと語っていた。
(註: 以上はウィキペディアにも載っているエピソードであるが、ありがちなことに残念ながらソースが一切不明である。確実なソースのある情報としては、2ndアルバム「M!ssundaztood」をリリースした際、CNNのインタヴューの中で芸名の由来を問われて以下の様に答えたものがある。ここで言われている「ピンク」を素直に赤面のことと捉えるか、はたまた上記のようなことと捉えるかは各自にお任せしよう(ちなみに該当箇所の原文は "She's pink!" であり、ピンクが下着の色を指していた可能性はほぼ無い)。なお件の映画の公開は1992年であり、彼女が12歳以前のエピソードであることが判る。)
「ただのあだ名よ。まあ一生付いて回るモンだけど、由来は大したコトないの。キャンプの時にね、他の子たちが私のズボンを引きずり下ろしてきたモンだから、恥ずかしくて真っ赤になっちゃって。そしたらその子たちが 〝ハハッ、見てみろよ、あいつピンクだぜ!〟 って。で、映画の『レザボア・ドッグス』が公開された時、ミスター・ピンク(スティーヴ・ブシェミ)って口の悪いのが出てきたから、また(ピンクと呼ばれてたことを)蒸し返されたってワケ。」
参考: Quote of the Day: Pink on how she got her name - Hollywood.com
本名はアリシア・ベス・ムーア(Alecia Beth Moore)。1979年にペンシルベニア州南東部の街アビントンで、アイルランド系カトリック教徒のベトナム帰還兵の父親と、ドイツ=リトアニア系ユダヤ教徒の看護師の母親の家庭に生まれた。元々は父がギターを弾いたり、ロックを流したりしていた影響で物心つく頃からポップス歌手を志した少女で、その夢を父は理解し、娘であるアレシアも父を尊敬していた。が、彼女が5歳になる前に両親は離婚。尊敬する父が家を出て、夢を理解してくれない母と住むことに(その母親は後に追い出したらしいが)。
ハイスクール時代にバンド「Middleground」を結成しシンガーソングライターとして活動していたが、コンテストに入賞できなかったことが原因で解散。母親曰く「初期に書いていた歌は非常に内省的というか、幾つかはとても暗くて小難しく、大半は聴いてて心配になるようなものでした」。
14歳頃からフィラデルフィアのクラブ等で「Pink」名義で活動を開始(※「P!nk」という表記は一種のデザインであり、あくまでも正式には「Pink」)。その頃に加入したガールズバンド「Basic Instinct」はCDを出さずに解散。16歳の時にR&Bトリオ「Choice」を結成して売り込みを続け、晴れてアトランタのレコード会社からのデビューが決まったものの、売り込んだデビュー曲『Key of My Heart』が、NBA選手シャキール・オニールが魔神役として出演するコメディ映画『ミラクルアドベンチャー/カザーン』(Kazaam ※日本未公開)のサントラに収録されただけで、やはり1枚もCDを出さずに解散、と多難なアーティスト人生を送る。
しかし「Choice」解散の裏には、プロデューサーのL.A.レイドが彼女のスター性を見込んで「ソロで行くか、実家に帰るか」という二者択一を迫っていたという事情があり、何はともあれ2000年にソロデビューを果たす。初期は豪華プロデュース陣によるR&Bを歌っていたが、2ndアルバムからはファンクを取り入れたロックを歌うようになる。同時にプロのシンガーソングライターとしてのキャリアもスタートさせ、以降は順調にヒットを飛ばしている。
'07年にはホラー映画『カタコンベ』(Catacombs)に本名のアリシア・ムーア名義で出演している。 '08年にはシングル『So What』で自身初となる全米1位を獲得。
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最終更新:2024/05/02(木) 05:00
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