はてなダイアリーより
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ググレカス [ Gugurecus ] ( 生没年未詳 ) ※ 生年を西暦2006年とする説もある。 |
帝政ローマの時代に現在のアルバニアあたりで生まれたといわれている。父は役人で、家の巨大な書斎にはあらゆる本が並べられていた。このため物心つ いた頃から興味を持ったものは何でも検索する習慣がつき、13歳頃からはほぼ一日中図書館で過ごすようになった。それ以来さまざまな発見をしては、それを 地元の図書館で検索するという日々を続けていた。
だが20代になると、故郷の図書館の蔵書はすべて制覇したのか、図書館通いに飽きてしまいローマに移住する。ローマでも毎日多くの事柄を発 見しては図書館で検索しており、その探究心と教養を買われて役人として出世する。何でも知っていたググレカスは人々の注目を集めたが、やがて図書館で少し 調べればわかるような事柄を質問されると即座に「ググれカス」という返答をすることが習慣となってしまった。このため人々の反感を買い、ググレカスはロー マで孤独に一生を終えた。
このことから、“自分で調べろ”を“ググレカス”と言うようになった。
当時の人々からは憎まれたが、人が多様な物事に興味関心を持つことの自然さや、それらの物事について検索する楽しみを見出した思想家として知られている。 なお、その祖父、モックーログ(mokuron 生没年未詳)は、目録が脳の構造と似ていることを発見し、それが意志を持つのではないかと警戒した。
インターネット上の電子掲示板やチャットにおいて、予め自分で調べることを全くorほとんどしないまま、初歩的なことをあれこれ質問するユーザに対して、「ググれカス(または"ググレカス"、"ggrks")」と返答を浴びせるのが一般的な用法である。
ググレカスとは「それぐらい自分でググれ※1、カス野郎」の略。
この事態に触発されたふたば☆ちゃんねるの住人がネタとして“ググレカス”というローマ時代の人物をでっち上げた。
その後、同様の発想による亜種が幾つも生み出されるほどの一大ムーブメントとなる。・・・と言われているが、真偽は定かではない。
考えてみよう。
「消えろ/氏ね」などという排除ではなく、「半年ROMれ」という突き放し気味のアドバイスでもなく、「ググレカス」という『具体的な解決方法までも親切に教えてあげている完璧な助言』なのである。
ネット住民は基本的にツンデレなので、アドバイスもこのような言い方になるわけである。
※1 Google等の検索サイトにおいて適当な検索ワードを入力し、自分が求める情報を調べていく行為を「ググる」と呼ぶ(狭義には"Googleで検索すること"。広義には"インターネットを用いて調べる行為全般"を指す。)
ググレカスがネット上で生まれ、上記のような解釈が生み出されて、十数年が経過した令和の時代になって、状況は変わりつつある。
かつてネットで検索して正しい知識を得るというのはそう難しい事ではなかった。だからこそ、気軽にこの言葉が飛び交う余地があったのである。
しかし、令和の世においてはググるのにも多くの障害が立ちふさがるようになった。
まず第一に、インターネットを使うための機器が変わった。かつてはインターネットにつながるにはパソコンが必須だったが、令和の時代にはスマートフォンやタブレットで気軽にネットに接続できるようになっており、こちらのユーザーの方が多数を占めるようになっている。
この機器の違いで一番大きいのが、画面の大きさである。せいぜいが手のひら程度の大きさの画面しかないスマートフォンでは必然的に一画面で多くの文章を読むことができず、余計な移動拡大縮小などの手間がかかるようになった。結果、裏取りのために複数のサイトやニュースを巡るのがやりにくくなっている。
さらに調べものを邪魔する広告への対策や、広告を無視する難易度も大きく違う。ちゃんと目当てのリンクをクリックしたつもりが広告を押してしまったというのはスマートフォンやタブレットではよくある。
次に問題になるのが、ネット上の環境の移り変わりである。もはや死語となったネチケット、および、その代替となったインターネットリテラシー。これらの言葉が言われ続けてなお、インターネットの環境は決してよくなってはいない。
例えば、「いかがでしたか?」でお馴染みの解説してない解説や、デマに誹謗中傷、丁寧口調で取り繕った無神経かつ無理解な記事・動画は以前と比べより目につくようになった。さらに、SNSなどの普及によって、たとえデマでも一度バズってしまえば誤った情報が一気に拡散するようになってしまっている。
一例として「読むのが困難 障碍」でググってみれば即座に分かることだが、文字や文書を読み取るのが先天的に難しい人々がいる。
もし仮に、いずれかの学説がゲーム脳のごとく捏造だったとしても、他の学説や障碍の存在そのものが虚構になるわけがなく、「文字を読むのが不可能ではないが困難な障碍があっても不思議じゃない」と考えるのが現実的である。
当然ながら、それを背負った人々にググることを強制する権利なぞ誰にもない。
なお、ググレカスを愛用する人間はことごとく、この手の障碍には絶対に触れないのが特徴である。
「薩摩の教え 男の順序」が一例として分かりやすい。
端的に言えば「行動しろ!」という説教なのだが、これを得意げに紹介したり賞賛する者は決まって、行動するリスクや行動しないことの価値には触れない。さらにこれをTPOを弁えずに引用(乱用)すれば順序に入れるのも憚られる人間に成り下がる・・・という話もしない。
先述した治安悪化と少々被るが、このように掘り下げの甘いものは当事者からすると侮辱的で、底知れない憎しみと怒りを抱くこととなる。もはやなんのためにググっているのか分からなくなる。
障碍等が無かったとしても、パソコンで検索する環境を持っていても、仕事・家事・育児・休息・冠婚葬祭が最優先事項なのは言うまでもない。
先述したとおりのことがあれば、うかつにググって日常生活に支障をきたす恐れがあるゆえ、結果としてググるのを避けるのも無理ない。
以上の状況を踏まえると、話題の単語をググってたどり着くのがデマを拡散するサイトであり、それを安易に信じ込んでしまうという事態が発生しやすくなっている。このような時代において、安易にググれといっても相手が正しい情報を得られるとは限らない。むしろググらず、いっそ話題に触れないままでいるのがマシという逆転現象が起きている。
このような令和の世において、知識が不足している相手と対話しようというなら「ググレカス」などと書く前に確かな情報源を自分が紹介すればよい。相手の私生活を脅かすデマ等を見せずに済むし、調べればちゃんと見つかるという証明にもなる。しかし、それを実践している自称情報強者がどれだけいるのかも疑問である。
ググレカスという言葉はもはやその使命を終え、このまま消え去るべきものとなっているのかもしれない。
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最終更新:2024/05/26(日) 15:00
最終更新:2024/05/26(日) 15:00
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