マヌエル・ノイアー(Manuel Neuer, 1986年3月27日 - )とは、ドイツのサッカー選手である。
ドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘン所属。元サッカードイツ代表。
概要
FIFAワールドカップ、UEFAチャンピオンズリーグ、FIFAクラブワールドカップ、ブンデスリーガなどの主要タイトルを制した輝かしい実績の持ち主であり、2010年代において、多くのメディアやファンから「世界最高のゴールキーパー」と評されている名GK。それどころか、「歴代最高のゴールキーパー」か否かという議論も盛んに行われている。
高いセービング能力はもちろんのこと、GKとは思えないほどの足元の技術の高さによってビルドアップに貢献し、また最終ラインの背後を幅広くカバーするなどかつて最後尾のリベロが担っていた役割をこなすことができる。このことからGKの概念に変革をもたらした男と称され、現代のGK像を築き上げた第一人者的な選手と位置づけられている。
地元ゲルゼンキルヒェンに本拠地を置くドイツの強豪・シャルケ04のユース出身。20歳にしてシャルケ04で頭角を現し、2011年からはドイツ最高のクラブであるバイエルン・ミュンヘンでプレー。バイエルンでも不動の守護神として長年君臨し、ブンデスリーガ優勝10回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝2回、FIFAクラブワールドカップ優勝2回という数々のタイトル獲得に貢献。2012-13シーズンと2019-20シーズンには主要タイトルの三冠を獲得。あのオリバー・カーンを抜いて、ブンデスリーガでの歴代1位のクリーンシート数を保持している。
ドイツ代表としても、100試合以上ゴールを守っており、FIFAワールドカップでは2010年から3大会連続で正GKを務めている。特に2014 FIFAワールドカップでは、大会中7試合でわずか4失点に抑え、ドイツの4回目の優勝に大きく貢献しており、大会の最優秀GKにも選出されている。ベテランに差し掛かった頃にはマルク=アンドレ・テア・シュテーゲンとのポジション争いが議論されたが、結局は自ら代表引退を表明した38歳まで正守護神の座を守りぬいた。
2017年にはバイエルン、ドイツ代表の両方でキャプテンに任命される。
ニックネームは「マヌ」。日本では、シャルケ在籍時代にチームメイトだった内田篤人と仲が良かったことでも有名である。
経歴
生い立ち
ドイツのゲルゼンキルヒェン出身。1歳年上の兄と両親の4人家族。父親は地元の警察官であり、母親は敬虔なカトリック信者。本人も地元に本拠地を置くカトリック教会のかなり位の高い会員である。
3歳の頃に初めてサッカーボールを蹴り、5歳になるとすでにGKとしてプレーしていた。日本と違ってドイツにおいてGKは人気の高いポジションであり、憧れの選手は地元シャルケの守護神だったイェンス・レーマン。幼少の頃は、自分の体と同じくらいの大きさのテディベアをゴール横に置き、失点すると泣きながらテディベアを抱きしめていたこともあった。
現在でこそ名門クラブと代表チームのキャプテンを務めるリーダーであるが、少年時代は気弱な性格で、とてもリーダーシップを取れる選手ではなかった。サッカーをしている友人たちに「自分も一緒にやりたい」と言い出す勇気がない気弱な少年で、母親が代わりに友達に聞いてくれるまで、30分ぐらいグラウンドの隅に立って皆のことを見ていることがよくあった。
シャルケ
少年時代から週末はスタジアムで声を枯らすほど応援する大のシャルケファンであり、13歳となった1999年からシャルケ04の下部組織に所属する。当時は同年代の子どもと比べて精神のみならず、身体的な成長が遅く、GKとしてはあまりに体が小さいという理由で14歳のときにシャルケを追い出されそうになる。一方、サッカーだけでなく14歳までテニスもやっていたというノイアー。その実力は当時所属していたテニスクラブのトレーナーが「プロを目指してみないか」と説得するほどだったという。しかし、追加の練習に必要な費用を賄うだけの経済的な余裕がノイアーの実家にはなかったため、サッカーの活動が忙しくなるにつれてテニスを辞めてしまった。
成長期になると、身長がみるみる伸びていき、長身のGKへと成長。体格とともに選手としてもみるみるうちに成長していき、育成年代のカテゴリーを順調にステップアップし、アンダー世代のドイツ代表にも選ばれるほどになる。そして、19歳となった2005年にシャルケ04とプロ契約を交わす。
プロ2年目となった2006-07シーズンブンデスリーガ開幕戦のアレマニア・アーヘン戦でプロデビューを果たす。その後、ドイツ代表経験もあるフランク・ロストからポジションを奪い、若干20歳という若さで正GKの座を掴む。この年王者となったバイエルンを相手に完封もしており、ドイツの新たなスター候補として注目を浴びることとなる。
翌2007-08シーズンにはリーグ戦全試合出場を果たすとともにシャルケをクラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)ベスト8に導く大活躍を見せ、瞬く間にドイツを代表するゴールキーパーに登りつめる。特にCLラウンド16のFCポルト戦ではPK戦でブルーノ・アウベスとリサンドロ・ロペスのPKをセーブしており、生え抜きであるクラブの象徴として、過激さで知られるシャルカー(シャルケサポーター)から絶大な支持を得るようになった。また、2007年のブンデスリーガ最優秀GKにも選出されている。
2008-09シーズンは怪我のために離脱した期間があり、チームも8位と低迷するなど鬱屈したシーズンとなってしまう。このシーズンにはバイエルン・ミュンヘンへの移籍が噂されるが、結局はシャルケに残留する。
2009-10シーズンは、2シーズンぶりの年間フルタイム出場を果たす。守備に問題を抱えていたチームを神がかり的なセーブで何度も救い、優勝争いに加わったチームに貢献。しかし、またしてもリーグタイトルを獲得することはできなかった。
2010-11シーズンは移籍したハイコ・ヴェスターマンに代わってキャプテンに選ばれる。また、2010年のワールドカップでの活躍に加え、この年加入した内田篤人の仲の良さがクローズアップされたことで日本での知名度が飛躍的に上昇していた。チームはブンデスリーガでは苦戦を強いられていたが、CLで大躍進を見せる。連携面に課題のあった最終ラインを最後尾からフォローしつつ好セーブを連発してチームを救ってみせ、グループリーグ6試合を3失点で抑える。決勝トーナメントでも活躍し、クラブ史上初となるベスト4進出に貢献。ベスト4進出が決定した直後の2011年4月20日にシャルケとの契約を更新せず、移籍することを発表。準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦に敗れはしたが、ビッグセーブを何度も披露し、敵将のアレックス・ファーガソンから称賛を受ける。そして、5月22日のDFBポカール決勝 デュースブルク戦でクリーンシートを達成し、チームにタイトルをもたらしたのがシャルケでの最後の試合となる。
バイエルン・ミュンヘン
2011年6月1日、移籍金1800万ユーロでドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンに移籍。すぐに背番号1と正GKの座を掴む。シャルケサポーターからは「史上最大の裏切り者」として空前の大バッシングを受け、またバイエルンサポーターもあまりにシャルケのイメージが強すぎるノイアーの獲得に対し当初疑念を抱いていたが、1140分間連続無失点を記録するなど高いパフォーマンスを見せてそれらの反応を一蹴。2012年4月25日のCL準決勝2nd legレアル・マドリード戦ではPK戦までもつれ込み、クリスティアーノ・ロナウドとカカの2人のPKをストップする活躍を見せる。また、5月20日のチェルシーとのCL決勝もPK戦までもつれこみ、1人目フアン・マタのPKを止め、さらには自らもPK戦を拒否したアリエン・ロッベンに変わってキッカーを務めペトル・チェフからゴールを決めている。しかし、その後チームは敗れており惜しくも準優勝となった。
在籍2年目の2012-13シーズンは、大型補強を敢行したチームは開幕8連勝を皮切りに圧倒的な強さでリーグ首位を独走。攻撃力の高いチーム構成の中、最後尾で安定した守備を続け、クラブ史上初となるブンデスリーガ、DFBポカール、UEFAチャンピオンズリーグの三冠(トレブル)制覇に大きく貢献し、一躍レジェンドの仲間入りを果たす。この年、ブンデスリーガでは31試合に出場して失点数はリーグの最少記録となる18失点に抑え、新加入組が多く、開幕当初は不安視する声もあったディフェンスラインを最後の砦として支えた。CLでは準決勝でリオネル・メッシを擁する世界最強を誇る攻撃陣のFCバルセロナを2試合合計180分間完封。決勝でもドルトムントを1失点に抑え勝利に貢献。自身にとってプロになってからのキャリアで初めてブンデスリーガとCLのビッグタイトルを同時に獲得した記念すべきシーズンとなった。そしてドイツのみならず、世界的にも№1のGKと認識されるようになったのもこの頃だった。
2013-14シーズンからはバルセロナの黄金期を築いたジョゼップ・グアルディオラが監督に就任。ポゼッションスタイルをチームに導入するグアルディオラは、足下の技術が高いノイアーにビルドアップに関与することを求め、また高く押し上げたバックラインの背後をカバーするためにゴールから大きく飛び出すことも多くなる。そのため、近代的なGK像としての側面がよりクローズアップされることに。ブンデスリーガ史上初となる19連勝を達成したチームは、史上最速での連覇を達成。しかし、CLでは準決勝でレアル・マドリードを相手に2試合合計5失点を喫し、敗れている。
2014-15シーズンでも、カウンター対応に脆さを見せたチームにあって1対1での抜群の対応を見せ、何度もピンチに救い世界最高のGKの名に恥じない活躍を見せバイエルンのブンデスリーガ3連覇に貢献。リベロ的な振る舞いでビルドアップの起点としても機能し、GKとは思えないプレーエリアの広さは話題になる。一方、CLではグアルディオラの古巣であるバルセロナと準決勝で対戦。2nd legではMSNトリオの圧倒的な個人技に翻弄されるチームを救っていたが、後半にメッシの異常な能力の前に次々と失点を許し敗れている。
2015-16シーズンからは副キャプテンに就任。ブンデスリーガ新記録となる開幕9連勝を飾り、10月4日のドルトムントとの直接対決で5-1と圧勝したのを皮切りに首位を独走。守備のリスクが高いチームにあって神懸かり的なスーパープレーを連発。正確なキックでビルドアップにも貢献し、攻撃的GKとしてペップ・バイエルンを支え、ブンデスリーガ4連覇を達成。まさに別次元の存在となっていた。一方、CLではグループステージ第3節のアーセナル戦でバックパスをまさかの空振りをするミスを犯し、オリビエ・ジルーにゴールを許してしまう。2016年4月20日、バイエルンと2019年の夏まで契約を結んでいたが、期限を待たずに2年間の延長を決断。また、このシーズンは久々にリーグ戦フルタイム出場を果たしている。ちなみにこの年のCLでの総パス本数がトーマス・ミュラーを超えていた。
2016-17シーズン最初の公式戦となったドルトムントとのDFBスーパーカップにおいて「クライフターン」を使ってピエール・オーバメヤンのプレッシングをかわす場面が話題となる。監督がカルロ・アンチェロッティに変わったことでペップ時代と比べてゴールから大きく飛び出す場面は減ったが、シュート阻止率は76%と例年に比べるとやや大人しめの活躍となっていた。2017年4月22日、CL準々決勝2nd legのレアル・マドリード戦では延長戦までビッグセーブを連発し奮闘するが、試合後に左足中足骨を骨折し早めにシーズンが終了。キャリアで初めての怪我による長期の戦線離脱となる。
2017-18シーズンからは現役引退したフィリップ・ラームの後任としてキャプテンに就任。2017年8月26日のブンデスリーガ第2節ヘルタ・ブレーメン戦で4か月ぶりにピッチに復帰するが、9月にまたもや左中足骨骨折の大怪我を負い、今度は前年以上の長期離脱となる。結局シーズン中に復帰はできず、リーグ戦出場がわずか3試合にとどまるなど、ほぼ1年を棒に振ることとなる。
2018-19シーズン開幕には復帰し、正GKの座に返り咲いたものの、長らくピッチを離れていた影響もあって本来のパフォーマンスを取り戻すには至らず、2019年4月15日のデュッセルドルフ戦で足を負傷しシーズン終盤を欠場することとなる。2019年5月26日のDFBポカール決勝のRBライプツィヒ戦で復帰し、クリーンシートを達成してタイトル獲得に貢献する。
開幕前には退団の噂も流れた2019-20シーズンでは、久々に大きな怪我も無く1年間をフル稼働。ハンジ・フリック監督が就任した後、ディフェンスラインを高く押し上げるスタイルを打ち出したチームにあって、ハイラインの後方のスペースを埋める重要な役割を果たし、ブンデスリーガ8連覇とDFBポカール連覇に貢献。さらに、2020年8月23日におこなわれたCL決勝パリ・サンジェルマン戦では、ネイマールやキリアン・エムバペといったワールドクラスのアタッカーたちの決定的なシュートを何度もストップする活躍を見せ、自身2度目となるビッグイヤー獲得、そしてチームにとってもシーズン2度目となる三冠達成(トレブル)を経験。開幕前には限界説が囁かれたが、以前のようなパフォーマンスを取り戻し世界中に世界№1GKの復活を印象付けるシーズンとなった。
2020-21シーズンでは守備陣に怪我人が続出し、前年の疲れを抱えていた一部の主力のコンディションが上がらなかったこともあり、例年と比べてディフェンスラインの不安定さが目に付いたが、最後の砦として奮闘。特に大一番の試合になると抜群の集中力を見せ、ビッグセーブを連発するあたりは圧巻。2020年12月にはFIFAが選定する世界最優秀GKに選出される。また、2021年1月24日古巣であるシャルケ戦においてオリバー・カーンの記録を抜く197回目のクリーンシートというブンデスリーガの新記録を樹立。正確なキックでビルドアップにも貢献し、かつて見られた不用意なミスも見られず、ブンデスリーガ9連覇に貢献。円熟味を増した守護神として充実したシーズンを過ごす。
2021-22シーズンからは自身よりも1歳年下のユリアン・ナーゲルスマンが監督に就任するが、ハンジ・フリック同様に絶対的な信頼を寄せられる。35歳となっても衰えは見られず、怪我人が続出して苦しい台所事情となったバックラインを守護神として支える。2022年2月に左膝半月板の負傷によって手術をし、1か月ほど戦線を離れることになるが、復帰後はCLこそ準々決勝で伏兵ビジャレアルを相手に不覚を取ったものの、不安定なバックラインを70%以上のセーブ率でカバーし、バイエルンの前人未到のブンデスリーガ10連覇に貢献する。
2022-23シーズンでもバックラインの不安定さを最後尾でカバーすることが多くなる。2022年10月には右肩を負傷し一時はワールドカップ出場が危ぶまれるが、11月5日のブンデスリーガ第13節ヘルタ・ベルリン戦で復帰する。しかし、2022 FIFAワールドカップ敗退後にスキー事故によって右足を骨折したことでシーズン中での復帰が絶望的となる。
2023-24シーズンも怪我の影響で開幕から数試合を欠場。2023年10月28日のブンデスリーガ第9節ダルムシュタット戦でほぼ1年ぶりに実戦に復帰。2024年1月12日の第17節ホッフェンハイム戦ではバイエルンでの通算500試合出場を達成。しかし、2月10日の第21節レヴァークーゼン戦との首位攻防戦では3失点を許して完敗。結局この敗戦が大きく響き、バイエルンの連覇が11で途絶える。CLでは、ラウンド16のアーセナルFC戦との2nd legを完封し、CL新記録となる58回目のクリーンシートを達成。だが、5月8日の準決勝2nd legレアル・マドリード戦では再三に渡ってビッグセーブを見せたものの、試合終了間際にヴィニシウス・ジュニオールのシュートをキャッチミスし同点ゴールを許す。さらに直後に逆転ゴールを奪われ、敗退。結果、バイエルンは12シーズンぶりのシーズン無冠が確定する。
ドイツ代表
2008年にドイツ代表デビュー。2009年6月2日のUAEとの親善試合で国際Aマッチ初出場を果たす。長年にわたりドイツのゴールマウスに君臨してきたオリバー・カーン、イェンス・レーマンの2人が揃って代表を退く中で、新世代のGKとして早くから期待を受けた。
U-21ドイツ代表の頃も正GKを務め、2009年6月に開催されたUEFA U-21欧州選手権では大会を通して4失点しか許さず、優勝に貢献。このときのチームメイトにはメスト・エジル、ジェロム・ボアテング、マッツ・フンメルス、サミ・ケディラといった後にワールドカップ優勝を共に達成したメンバーが多く含まれていた。
2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では当初第3GK扱いだったが、大会半年前に正GKだったロベルト・エンケが鬱病により自殺するというショッキングな出来事が発生。更に第2GKで同世代のライバルだったレネ・アドラーも怪我で離脱し、急遽正GKとして大舞台に臨むことになったが、大活躍を見せてドイツの2大会連続となる3位入賞に貢献。ラウンド16のイングランド戦では正確なロングフィードによってミロスラフ・クローゼのゴールをアシストしたこともあり、その名が世界的にも知られるようになる。
以降、ヨアヒム・レーヴ監督からの信頼を得るようになり、ドイツ代表の不動の守護神としての地位を手に入れる。2012年6月に開催されたUEFA EURO2012では、準決勝のイタリア戦でマリオ・バロテッリの2ゴールを許して敗れたものの、大会優秀選手に選出されている。
2014年6月には、自身2度目のワールドカップとなる2014 FIFAワールドカップに出場。決勝までの7試合全てでゴールを守り、4度の完封勝利を含む4失点に抑え、ドイツの1990年イタリア大会以来24年ぶりのワールドカップ優勝に貢献。大会通算で86.2%という高いセーブ率を記録。また、高い足元の技術を駆使してビルドアップでも貢献するなど、新しい時代のGK像を示す。大会の最優秀GKにも選ばれ、世界最高のGKという呼び声も高くなる。この活躍によって自身2度目となるドイツ年間最優秀選手に選ばれ、GK初のバロンドール獲得への期待も寄せられるが、結果は2位とわずか1ポイント差の3位という結果になる。
2016年6月、UEFA EURO2016に出場。ラウンド16までの4試合を無失点で終え、準々決勝のイタリア戦では初失点を喫したものの、1失点に抑えてPK戦に突入。同じく世界的名手であるイタリアのジャンルイジ・ブッフォンとのハイレベルなPK戦では9人目まで突入する死闘となるが、相手の5人目と7人目のPKを片手一本でセーブし、勝利に貢献。しかし、準決勝のフランス戦では、アントワーヌ・グリーズマンに2ゴールを奪われ、敗れる。
EURO2016終了後、代表を引退したバスティアン・シュバインシュタイガーの後任としてドイツ代表のキャプテンに就任する。GKのドイツ代表キャプテンは、オリバー・カーン以来2人目。しかし、2017年9月に負った中足骨骨折によって長期離脱を強いられ、ロシアW杯予選はほぼ欠場となる。その間にこれまで第2GKだったFCバルセロナで守護神を務めるマルク=アンドレ・テア・シュテーゲンが急成長を遂げる。
2018 FIFAワールドカップのメンバーに選出されたものの、1年近く公式戦出場の無かったノイアーではなく、好調のテア・シュテーゲンを起用するべきという声も多くなっていた。しかし、レーヴ監督は、これまで通りノイアーを正GKとして起用することを明言。その通り、大会ではグループリーグ3試合全てでピッチに立つ。ところが、グループリーグ第3戦の韓国戦では、パワープレーに出たところで敵陣でボールを奪われ、ソン・フンミンのゴールを許す失態を犯してしまう。試合に敗れたドイツはグループリーグ敗退が決定。自身はもちろん、ノイアー起用を決めたレーヴの判断にも批判が集まり、一部では「ノイアーの時代はもう終わった」という声も出始める。
ワールドカップ後もレーヴからの信頼は揺るがず、引き続き正GKを任される。テア・シュテーゲンとの関係がクローズアップもされるが、ピッチに立つのはノイアーだった。2019年6月11日、EURO2020予選エストニア戦でクリーンシートを達成し、これまでゼップ・マイヤーが保持していたドイツ代表の最多クリーンシート数を37に更新。2020年11月18日のスペインとの親善試合では自身のキャリア初となるよもやの6失点を許し20、屈辱的な大敗を許してしまっている。2021年6月11日、EURO2020直前のテストマッチとなったラトビア戦でドイツ代表のGK史上初となる100試合出場を達成する。
2021年6月に開催されたEURO2020では、LGBTIなど多様性を支持するレインボーカラーのキャプテンマークを着用して出場。これが禁止されている試合中の政治的サインに該当するのでは?という指摘があったが、UEFAは、レインボーカラーのアームバンドは多様性のシンボルであり、正当な理由があると判断する。大会では強豪揃いの死のグループで奮闘するが、ラウンド16でイングランドに敗れている。
EURO2020後には、バイエルンで共に三冠獲得を経験したハンジ・フリックが代表監督に就任。共にドイツ代表で戦ってきた仲間が次々と代表から引退するが、引き続きキャプテンとしてチームを牽引。フリック就任で息を吹き返したドイツのワールドカップ出場権獲得に貢献する。
4度目の出場となった2022 FIFAワールドカップでも開催国カタールの非人道的な差別に抗議する立場を取るが、レインボーカラーのキャプテンマークの使用はFIFAから禁止とされる。グループリーグ初戦の日本戦では後半に堂安律と浅野拓磨のゴールを許し、逆転負けを喫する。この敗戦が大きく響き、最後は得失点差でスペインに及ばず2大会連続でのグループリーグ敗退となる。3試合で5失点を許し、大きく評価を下げた大会となった。さらに、早期敗退後の休暇中にスキー事故によって右足を骨折。敗退のショックをリフレッシュするためのスキーで残りのシーズンが絶望となる大怪我を負うというさらなる悪夢に襲われる。
2024年3月23日のフランスとの親善試合で1年4が月ぶりに代表に復帰。2024年6月に自国開催となったEURO2024ではキャプテンの座はイルカイ・ギュンドアンに譲ったものの、ユリアン・ナーゲルスマン監督からは本大会の正GKに指名される。38歳という年齢に加え、直前のギリシャとの親善試合でミスから失点を許したことから起用を疑問視する声も出たが、本大会では全試合でゴールを守り、安定した守備を披露。グループリーグ第3戦のスイス戦終盤ではチームを救うビッグセーブを見せている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2005-06 | シャルケ | ブンデスリーガ | 0 | 0 | |
2006-07 | シャルケ | ブンデスリーガ | 27 | 0 | |
2007-08 | シャルケ | ブンデスリーガ | 34 | 0 | |
2008-09 | シャルケ | ブンデスリーガ | 27 | 0 | |
2009-10 | シャルケ | ブンデスリーガ | 34 | 0 | |
2010-11 | シャルケ | ブンデスリーガ | 34 | 0 | |
2011-12 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 33 | 0 | |
2012-13 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 31 | 0 | |
2013-14 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 31 | 0 | |
2014-15 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 32 | 0 | |
2015-16 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 34 | 0 | |
2016-17 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 26 | 0 | |
2017-18 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 3 | 0 | |
2018-19 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 26 | 0 | |
2019-20 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 33 | 0 | |
2020-21 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 33 | 0 | |
2021-22 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 28 | 0 | |
2022-23 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 12 | 0 | |
2023-24 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 23 | 0 | |
2024-25 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ |
個人タイトル
- FIFAワールドカップ最優秀GK (2014年)
- ドイツ年間最優秀選手:2回 (2011年, 2014年)
- UEFA U-21欧州選手権最優秀ゴールキーパー(2009年)
- 欧州最優秀ゴールキーパー賞:5回 (2011年, 2013年, 2014年, 2015年, 2020年)
- FIFA最優秀ゴールキーパー賞:1回(2020年)
プレースタイル
キャッチングやハイボールの競り合い、コーチングなど、GKに必要とされるあらゆる強さを兼ね備えているが、ノイアーのプレースタイルで群を抜いて際立つのが、果敢な飛び出しと圧倒的な足元の技術である。
そのプレーエリアはゴールキーパーとしては異常に広く、的確な判断力で、ピンチとみれば躊躇なくペナルティーエリアを飛び出し足や頭でボールをクリアする。もちろん1対1にも強く至近距離では神技のようなシュートストップを見せるが、ノイアーはむしろ、そうした決定的得点機が発生する前にその芽を摘み取ってしまうGKである。更に正確無比なキック精度を有し、前線へのロングフィードはもちろんショートパスの組み立てにも参加して攻撃の基点となる。
ノイアーのスタイルはGKというより「GK兼リベロ」「11人目のフィールドプレーヤー」と呼んだ方がしっくりくるものであり、単なるシュートストッパーではなく攻撃能力が求められる、現代的なGKの理想を体現した選手であると言える。
また、至近距離からのシュートへの鋭い反応や、強肩を生かした素早いフィード等の従来のゴールキーパーとして求められる能力も持ち味の一つである。
エピソード
- 2010年からシャルケでチームメイトになった内田篤人とは非常に仲が良く、練習中やプライベートでしょっちゅうイチャイチャしている。その様子はその手のお姉さま方から非常に人気があったとかなんとか。
- 2011年3月11日日本で東日本大震災が起きた際、シャルケのチームメイトであり、仲の良かった内田篤人がチームのジャージに日本へのメッセージを書きこんでいることを目撃。その際内田に「それを見せるのか?」と質問。内田が「勝ったら見せる。負けたら見せない。」と返答。すると、「俺が守って勝ってみせる。問題ない」と答えると、翌日のフランクフルト戦で自らのフィードによって逆転ゴールをアシスト。有言実行を果たし、試合後メッセージを掲げる内田をカメラの前へと連れて行き、内田が日本へのメッセージを送るのを協力する。
- 長年愛したシャルケを去る決断の理由は「最高レベルでプレーするために一歩踏み出したい」とし、会見では目に涙を浮かべた。
- バイエルンの監督を務めていた頃のペップ・グアルディオラは、足元の技術の高さを高く評価しており、フィールドプレイヤーとしてノイアーを起用することを本気で考えていた。
- ドイツ代表でのポジション争いでなかなか勝てずにいたテア・シュテーゲンは2019年9月に「少しイライラすることもある。GKというポジションについても改革が行われてほしいと思っているし、その気持ちを隠しもしない」と宣戦布告と取れる発言をする。これに対しノイアーは「チームの助けにならない」と応戦したことで二人の舌戦が騒動となる。
- 2014年ワールドカップ優勝後に交際をスタートさせたニーナさんと2016年に結婚。ちなみに交際をスタートさせた時期は、その前の彼女と破局した直後だった。しかし、2020年に妻と別居状態であることが報じられ、19歳のハンドボール選手との交際が噂される。
関連動画
関連書籍
関連項目
親記事
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兄弟記事
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