基礎データ | |
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正式名称 | パラグアイ共和国 República del Paraguay(スペイン語) Tetã Paraguái(グアラニー語) |
国旗 | 表: 裏: |
国歌 | パラグアイ人達よ、共和国か死か Paraguayos, República o Muerte |
公用語 | スペイン語、グアラニー語 |
首都 | アスンシオン(Asunción) |
面積 | 406,752 km2(世界第58位) |
人口(’22) | 約678万人(世界第109位) |
通貨 | グアラニー(PYG) |
パラグアイ共和国、通称パラグアイ(Paraguay)は、南アメリカ中央部に位置する共和制国家。漢字表記は巴羅貝。腹具合ではない。
ブラジル、アルゼンチン、ボリビアに囲まれた内陸国。公用語はスペイン語と、南米先住民語であるグアラニー語で、グアラニー語を公用語に定めている国はこことボリビアのみ。国民の90%が先住民とスペイン人の混血。
数少ない、デザインが表と裏で異なる国旗を使っている国のひとつ(表の中央は国章、裏の中央は国庫証印)。
概要
16世紀にスペイン領となり、1811年にラテンアメリカ初の正式な独立国となった。しかし1864年から1870年の三国同盟戦争で国土の1/4と人口の6割を失い(52万人→21万人)、成人男性は9割を失ったとも言われ、大きく衰退してしまう。
その後は軍事政権下で、1930年代にボリビアとのチャコ戦争に勝利したものの、40年代にはパラグアイ内戦が起こるなど混乱が続き、ますます国は疲弊していく。1954年、ブラジルに支援されたストロエスネル将軍が軍事クーデターで政権を奪取し、以降35年間にわたって独裁体制を敷いた。ストロエスネル将軍は経済成長や治安の回復を成し遂げて国を安定させた一方、少数民族の虐殺などの問題も大きかった。
1989年にクーデターでストロエスネルが失脚すると、以降は民主化が進んだが、軍の政治介入やクーデター未遂なども続いた。現在もまだ政治的に安定したとは言い切れないが、徐々に安定に向かってはきている。
内陸国で資源にも乏しく、主要産業は農業と畜産。大豆の輸出量は世界第4位、牛肉の輸出量は世界第8位。また電力の輸出も多く、隣国のブラジルとアルゼンチンに依存した経済である。経済的な格差が大きく貧困層が多いため、ブラジルやアルゼンチンに出稼ぎに行く労働者も多い。
スポーツは他の南米諸国と同様にサッカーが非常に盛ん。南米では中堅国といったラインで、FIFAワールドカップ予選ではコロンビア、チリ、エクアドルあたりと出場枠を争う立場であることが多い。ワールドカップの最高成績はベスト8で、2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会のベスト16で日本と対戦したことを覚えている人は多いだろう。
日本との関係は古くから良好で、1930年代や1950年代に多くの日本人が移民として入植した。日系移民は同じ畑で作れる大豆と小麦、またトマトなどの生産を発展させ、パラグアイの経済発展に大きく貢献したと高く評価されており、そのため南米屈指の超のつく親日国である。現在も約6000人の日本人および日系人が暮らしている。また、人件費の安さやブラジル・アルゼンチンに無関税で輸出できることもあって、パラグアイに進出する日本企業も結構ある。
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