カリグラ(カリギュラ)とは、ローマ帝国第3代皇帝である。12年~41年。在位37年~41年。
彼から派生した物事のうち、カリギュラ表記のものは該当記事参照。
曖昧さ回避
概要
本名はガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。カリグラとは、彼が幼少時に履いていたローマ軍兵士の軍靴「カリガ」にちなんだ愛称であり、「小さい軍靴」という意味である。
初代皇帝アウグストゥスの女系の曾孫であり、2代皇帝ティベリウスの大甥である。4代皇帝クラウディウスの甥であり、5代皇帝ネロの叔父にあたる。
即位前
幼少時は父親のゲルマニクスに付き従ってゲルマニア(現ドイツ)に同行しており、そこで軍団の兵士たちに可愛がられ、彼用に作られた小さい軍靴にちなみカリグラの愛称を得る。
父親がゲルマニアからアジア方面に転戦するとそれにも付き従った。しかし、赴任先で父親が突然の熱病によって死ぬとローマに戻った。ローマでは母アグリッピナに育てられたが、この母と二人の兄が2代皇帝ティベリウスとの関係悪化により追放されると曾祖母のリウィアによって養育された。リウィアの死後は祖母の小アントニアの元に送られたが、その後皇帝ティベリウスの元に送られ、そこで皇帝即位まで過ごしている。
即位
2代皇帝ティベリウスが77歳で世を去った。市民への娯楽の提供も行わず、元老院議員たちともめったに会わず、首都ローマから離れたカプリ島から書簡で指示を出すだけのティベリウスの政治は元老院やローマ市民から非常に嫌われており、この皇帝の死をローマ市民と元老院は喜んだ。
ローマに戻ったカリグラはすぐに元老院と市民によって皇帝と認められ紀元37年、24歳で3代皇帝となった。老帝が死に、若き皇帝が立つことで政治の空気が変わるように思われたのである。
治世初期
3代皇帝となったカリグラは政治を変えてくれという世論に従った。皇帝はローマに住むようになり、ティベリウスが行ってきた政治犯追放を取り消し、減税も行った。兵士たちには先代皇帝が残した遺産から特別ボーナスが振る舞われ、皇帝による娯楽の提供も盛大に行われた。
ローマ市民は若い皇帝の政策を大いに歓迎し、追放先で死んだ母と兄の遺灰をローマに持ち帰った家族思いの皇帝の輝く未来を信じていた。
大病を患う
皇帝についてから7か月後、カリグラは突然の病に倒れてしまう。市民たちは新皇帝の父親も突然の病で亡くなったことを思い出し、皇帝の快癒を願った。
市民の願いのおかげか、カリグラの病は回復した。しかし、この病を境としてカリグラの行動は変わってしまったとされる。ただし、この説には異論もある。
この病以降、カリグラは無意味に人を処刑するようになった。また、先帝ティベリウスの孫であり、次期皇帝候補であったティベリウス・ゲメッルスも殺している。
治世後期
紀元38年、あるいは39年にローマは財政危機に見舞われた。先帝ティベリウスの時代には公共事業・皇帝主催の娯楽などが抑えられた緊縮財政であったものが、新帝カリグラの大盤振る舞いのせいで一気に赤字となってしまったのである。財政再建のためカリグラは次々と無理な課税や法律を作ったとされる。
その中でもカリグラはますます公的事業を拡大し、国家の支出をさらに増やしていった。このときの事業の中には港湾の開発など実用的なものもあり、現在のバチカン市国に現存するオベリスクのエジプトからの輸送なども含まれているが、その中には明らかに不要なものも多く、これらは更なる国家財政の悪化をもたらした。
不要な公共事業の最たるものとしては巨大船の建設が挙げられる。古代世界を見渡しても最大級とされる2隻の船が建設され、その上にはまるで宮殿のような装飾も施されていた。2艘とも沈んでしまったため、その存在は千年以上にわたって伝説の中に眠っていたが、20世紀になってから発見・引き上げられ、その実在が確認された。
紀元40年、カリグラは外征も計画していた。同盟国であったマウレタニアの王をローマに呼び寄せて殺し、マウレタニアを併呑した。さらにかつて神君カエサルも征服しきれず撤退したブリタニア(現イギリス)への遠征も企画している。しかし、ブリタニア遠征を行おうにもどうにも収拾がつかず、兵士たちはガリア(現フランス)海岸で貝殻を集めて遠征結果としたといわれている。
カリグラは自身の神格化も行っている。ギリシアの神々と自分とを同一視させるために神々のコスプレ姿で公の場に姿を現すようになったといわれている。そして、自分の姿をかたどった像を各地に立てさせ、あがめさせた。この行為は帝国東方で一神教を奉ずるユダヤ人たちには到底認められるものではなかった。皇帝即位直後はカリグラを歓迎さえしたユダヤ人たちはローマに反抗するようになっていくのである。
これらの政策などを通してカリグラと元老院との関係は悪化していった。
カリグラの最期
紀元41年、カリグラは近衛兵によって暗殺された。
治世5年足らず、偉大なローマを継ぎながらその財政を破たんさせたまだ28歳の若き皇帝はめった差しにして殺され、彼の放蕩な政治は幕を下ろした。
カリグラの跡を継いだのは彼の叔父であるクラウディウス。すでに50歳を超えた老齢の病弱な人物であったと伝わっている。しかし、4代皇帝になった彼によってローマの財政は息を吹き返し、gdgdになっていたブリタニア遠征も成功させ、ローマは繁栄を取り戻すのである。
…その後の5代皇帝にはローマ史上屈指の暴君ネロが待っているのであるが…
彼は狂っていた
5年と短い治世でありながら、彼のことを記した歴史書では彼はボロクソに言われていることが多い。その原因はやはり財政悪化をもたらしたことに起因するのであるが、それに尾ひれがつき、数多くの醜聞も載せられているのである。
その最たるものが「彼は狂っていた」と狂気の皇帝であったとされることである。同時代に記された歴史書でさえ、彼のことを「狂気の皇帝」と評している。彼の死後数十年、百年以上たってから書き記された歴史書に至っては「妹たちと近親相姦を行っていた」「馬を執政官にしようとした」などの到底信じられないような逸話も含まれている。
これらの醜聞は後世に付け加えられたものと考えられているが、そのイメージはやがて近代にいたって戯曲『カリギュラ』や映画『カリギュラ』などに投影され、狂気の皇帝のイメージはさらに強くなっている。
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関連項目
- ローマ帝国
- ユリウス・クラウディウス朝
- 世界史
- 暗君/暴君
- シスターコンプレックス
- カリギュラ(Fate)
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