在特会愛知支部とは、右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」の愛知県における地方支部である。
なおこの記事では、愛知支部の前身として2010年1月12日まで存在した名古屋支部についても解説する。
概要
2007年10月1日、中部地方での活動を統括する名古屋支部として設置されたのが始まりである。その後、2010年1月の第一次支部再編に伴い地方支部を都道府県単位で編成することになったため、愛知県のみを管轄とする愛知支部に名称を改め、そのまま現在に至る。
関西支部(現大阪支部)・福岡支部に次いで3番目に設置された地方支部であり、全国で最も活動が活発な支部の一つ。支部再編後も中部北陸地方の基幹支部と位置づけられており、近隣他県への遠征も少なくない。現在は支部長の美藤一樹と、元支部長で中部地方を担当する副会長の長尾旭の両名が支部活動を主導している。
愛知県内での活動は地元の右派系市民団体「愛国倶楽部」と連携して行うことが多い。愛知県内には他にも様々な右派系市民団体の本部や地方支部が存在しているが、しばしば幹部らの間で批判合戦が繰り広げられてきた経緯もあり、それらの団体との関係は必ずしも良好とは言い難いのが実情である。
パチンコが盛んな土地柄もあってか、他支部と比べてもとりわけ熱心に反パチンコ活動に取り組んでいる。支部に所属する会員・メール会員は公称で748人(2014年6月30日時点)。人数では47都道府県中5位だが、人口比で見ると12位に留まっている。
歴史
支部再編前
福岡支部の設立から遅れること半年、2007年10月1日に初代支部長・佐倉一二三ら5人を運営に任命して設立された。そのわずか3ヵ月後に会計の加藤優が辞任したため、運営の岩橋未子(当時は水野宗子)が会計に昇進。以後佐倉・岩橋の両名を中心とする体制が3年間に渡って続くことになる。
同年12月の講演会で活動をスタートさせると、翌2008年3月の初街宣を皮切りに街宣活動を主体に切り替え、2009年5月には外国人参政権反対をテーマに初のデモを決行した。また同年7月には右翼芸人として有名な鳥肌実と桜井誠会長の演説会・トークショーを名古屋で開催し、話題を集めた。
支部活動が活発化する一方で、この頃になると他の右派系市民団体との軋轢が表面化し始める。特に「日本世論の会」愛知県支部や愛知のローカル団体「若宮会講塾」との関係は険悪なもので、在特会側のデモ当日に田母神俊雄の講演会をぶつけられるという一幕もあった。また岩橋が副代表を務めるなど当初は良好な関係を築いていた維新政党・新風愛知県本部とも、方針の相違から次第に対立する場面が増えていた。
そこで鳥肌実演説会の開催を機に、若者や女性を主なターゲットとした緩やかな連絡組織として「愛国倶楽部」を立ち上げ、岩橋が初代代表に就任。動員力の強化を図った。設立後間もない2009年12月に起きた分裂騒動[1]が原因で岩橋が代表を退くという事件もあったものの、その後も愛国倶楽部は独自の発展を遂げつつ在特会愛知支部との共闘関係を維持しており、結果的に岩橋の試みは成功を収めたと言える。
なおこの時期は中部地方全体を担当する支部という扱いだったため、三重県や岐阜県でも活動を行っていた。
支部再編後
佐倉・岩橋時代
2010年1月12日の第一次支部再編で名称を愛知支部に変更し、これ以後は愛知県を管轄とする中部地方の基幹支部という位置付けとなった。
再編直後の1月17日に開催した反民主党デモにおいて現在も愛知支部のレコードとなっている動員数180名を記録するなど、街宣・デモ等の糾弾活動はますます活発化し、4月には従軍慰安婦問題の講演会会場に「会場使用を断るか自決するか選べ」と凄むなどの圧力をかけ、講演会を中止に追い込むという「成果」を挙げた[2]。
その一方、上記講演会の中止を記念して開催した従軍慰安婦糾弾パネル展において、パネリストとして招待した元軍人の老人が意に沿わない発言をしたことに腹を立てたメンバーらが暴言を吐くなどして会を紛糾させるという事件が起き、「いくらなんでも無礼だ」「学級崩壊状態じゃないか」と各所から批判を受ける羽目に陥った。
ともあれ順調に活動を続けていた愛知支部だったが、10月の副会長人事で岩橋会計が佐倉支部長を飛び越す形で中部地方担当の副会長に昇進したのを機に両者の間に軋轢が生じ、互いの仕事ぶりを公然と批判するなど険悪な雰囲気が漂い始める。ちょうどこの頃、若宮会講塾は運営内部の不和からリンチ事件を起こし解散に追い込まれるという醜態を演じていたが[3]、愛知支部も同じ轍を踏むのではないかという心配の声も聞かれるほどだった。
結局この対立関係は佐倉が支部長を辞任し会を去ることで解消したものの、支部内の不穏な空気、殊に岩橋に対する不満まで解消されたわけではなかった。そのため在特会が東日本大震災後の電力不足を奇貨として反パチンコ運動を展開する中、岩橋がご法度とも言えるパチンコ店通いを告白すると、一部のメンバーが岩橋の排斥に動き出すことに[4]。こうして2011年9月、4年間に渡り支部を牽引してきた岩橋もまた、運営から去ることになった。
長尾支部長以後
岩橋の辞任で中部地方担当の副会長が不在となったため、無任所の筆頭副会長である八木康洋が当面は中部地方を担当する運びとなった。だが茨城県在住の八木が毎回遠征するのは難しかったため、佐倉の後任として愛知支部長に昇進していた長尾旭が実質的に中部地方を統括することになった。
この時期は反パチンコが最大のテーマとなり、2011年10月から2012年7月までほぼ毎月、計10回もの反パチンコ街宣・勉強会が開催された。また南京大虐殺を否定する河村たかし名古屋市長の発言が問題になった際には、市長を支援する趣旨の街宣を複数回行っている。
2012年6月に長尾が中部地方担当の副会長に昇進すると、後任には平会員の加持浩が抜擢された。2013年2月には東京以外では初めてとなる在特会の全国大会が名古屋市内で開催され、約50名が参加した。同年11月になって加持は多忙を理由に支部長から平運営に下がり(後に辞任)、代わって美藤一樹が支部長に昇格した。
歴代運営一覧
太字は現職。
支部長 | ||||
---|---|---|---|---|
名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
佐倉一二三 | 07/10/01 | 11/02/22 | 辞任・退会 | |
岩橋未子 | 11/02/22 | 11/03/09 | 副会長専任のため | 副会長兼任 |
長尾旭 | 11/03/09 | 12/06/22 | 副会長専任のため | 12/06/19から副会長兼任 |
加持浩 | 12/06/22 | 13/11/10 | 辞任・降格 | 業務多忙のため |
美藤一樹 | 13/11/10 | (現職) | ハンドルネーム「B-BOY」 | |
会計 | ||||
名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
加藤優 | 07/10/01 | 08/01/12 | 辞任 | |
岩橋未子 | 08/01/12 | 10/10/01 | 副会長就任 | 在任当時は「水野宗子」名義で活動 09年2月まで維新政党・新風愛知県本部副代表 |
運営 | ||||
名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
岩橋未子 | 07/10/01 | 08/01/12 | 会計就任 | 在任当時は「水野宗子」名義で活動 |
古川英敏 | 07/10/01 | 08/03/03 | 辞任 | 後に維新政党・新風名古屋支部長などを歴任 |
小笠原健太郎 | 07/10/01 | 13/05/01 | 解任 | |
飯島紫苑 | 09/09/22 | 不明 | 不明 | 10/06/26以降に退任[5] |
伊島英斉 | 10/03/01 | 12/06/22 | 辞任 | |
長尾旭 | 10/12/01 | 11/03/09 | 支部長就任 | |
古見屋行一 | 11/12/01 | 12/06/22 | 辞任 | |
美藤一樹 | 12/06/22 | 12/11/10 | 支部長就任 | |
島興二 | 13/05/01 | (現職) | ||
加持浩 | 13/11/10 | 13/12/24 | 辞任 | 支部長からの降格 |
現職の支部運営は2名(長尾副会長を含め実質3名)、運営経験者は12名と第一次支部再編前に設立された主要4支部の中では最も運営の登用が進んでいない支部となっている。
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関連項目
外部リンク
脚注
- *愛国倶楽部の組織化を主張して岩橋と対立した宮地憲康(救う会愛知代表)・嘉門太郎(同副代表)らのグループが、賛同メンバーを引き連れて別団体「桜名会」を設立したという一件。その後桜名会の勢力は伸び悩み、結局2010年2月に愛国倶楽部に謝罪した上で「日の出の会 日本」と改称。現在は在特会愛知支部や愛国倶楽部とも良好な関係を築いている。
- *保守系団体が抗議、慰安婦講演会キャンセルに 名古屋
- *傷害:市民グループ代表ら、会員大学生への容疑で逮捕--愛知県警
- *パチンコ: バカモヤスミヤスミなら言った方が面白いじゃん
- *Internet Archiveのウェブアーカイブより
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