在特会福岡支部とは、右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」の福岡県における地方支部である。
概要
2007年4月1日、福岡県とその近隣県での活動を統括する地方支部として設置された。2010年1月の第一次支部再編以後は福岡県のみを管轄とする、九州地方における基幹支部という扱いになっている。福岡市最大の繁華街である天神地区で活動することが多い。ちなみに福岡県は桜井誠会長が上京前に在住していた県でもある[1]。
関西支部(現大阪支部)に次いで2番目に設立された支部であり、かつては最も活動が活発な支部の一つだった。反・反原発運動にとりわけ力を注いでいるほか、沢村直樹が支部長を務めていた時代には主に経済政策を理由とした橋下徹・安倍晋三糾弾など、本部や他支部とは異なるカラーの活動に取り組む場面も見られた。
ところが2014年3月に沢村以下全運営が一斉に辞任して新団体を設立し、先崎玲副会長との確執から離反・新団体設立に至った元広島支部運営らと共闘するようになった[2]。当面は先崎・藤井義行両副会長の下、少人数でもできる行政交渉を活動の主体に据えて支部の立て直しに努めるとしている。
支部に所属する会員・メール会員は公称で622人(2014年6月30日時点)。人数では47都道府県中9位、人口比で見た会員数では7位となっている。
歴史
中島支部長時代
街宣・デモのほか、朝鮮人関連の公金支出に対する住民監査請求を視野に入れた活動を展開していく福岡支部だったが、この時期に中央で生じた日護会との抗争(在特・日護抗争)が支部運営に一抹の影を落とすことになる。
前述の通り在特会福岡支部と日護会福岡支部は協力して街宣やデモを行う関係にあり、両団体をかけもちする参加者も少なくなかった。そのため本部同士の関係が急速に悪化する中でも、福岡支部では中立を保って日護会批判をなるべく差し控え、話し合いでの和解を勧めるなどの対応が取られた。だが結局在特会と日護会は全面抗争に突入してしまい、日護会側から在特会員への退会勧奨が行われるようになっていく。
この影響か在特会側からも退会者が現れ始め、2011年1月には元福岡支部運営で山口支部長の高山が退会し、公然と在特会執行部を批判するようになる。そして地方支部と本部の温度差に悩んでいた中島支部長もこの頃から活動に姿を見せなくなり、最後は先崎副会長からの解任宣告を受け入れ、会を去って行った。[3][4]。
支部崩壊と再建への道
紆余曲折を経ながらも順調に活動を重ねてきた福岡支部だったが、2014年になって最大の試練を迎えることになる。同年3月19日、沢村支部長を含む運営陣6人全員が一斉に辞任し、沢村が設立した新団体「日本人が本気で怒る会」に集団移籍するという事件が起きたのである[5]。
さらに同月18日に一斉辞任した大分支部の元運営陣が設立した「トンスラー撲滅委員会」、前年12月に一斉辞任した広島支部の元運営陣が設立した「反日と闘う会」との連携組織「日本保守同盟_チーム零」の結成が発表され[6]、早速この枠組みでの共同街宣が広島や福岡で展開された。
一方の在特会はこの集団移籍によって中国・四国・九州地方における主力メンバーの大半を失い、活動規模の縮小は避けられない情勢にある。先崎副会長が責任を取っての辞任を申し出たが慰留され、当面は新運営陣と共に支部の再建に努めていくことになった。 当初は活動の主体を少人数でも実行しやすい行政交渉等に切り替えるとしていたが、実際には従来通りの街宣活動を回数を減らして行っている。 |
歴代運営一覧
太字は現職。なお支部長のみ不在期間も掲載している。
支部長 | ||||
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名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
先崎玲 | 07/04/01 | 10/10/02 | 副会長就任 | |
中島隼 | 10/10/02 | 11/02/07 | 解任・退会 | |
沢村直樹 | 11/02/07 | 14/03/19 | 辞任 | |
(空席) | 14/03/19 | (現在) | ||
会計 | ||||
名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
高山正憲 | 07/04/01 | 10/01/12 | 山口支部長就任 | 11/01/17に支部長辞任・退会 |
塚田博保 | 不明 | 13/05/04 | 解任 | |
運営 | ||||
名前 | 着任日 | 退任日 | 退任理由 | 備考 |
塚田博保 | 07/04/01 | 不明 | 会計就任 | |
鵜飼淳 | 07/04/01 | 13/05/04 | 解任 | |
阿川ハルコ | 07/11/21 | 不明 | 不明 | 08/12/24以降に退任[7] |
藤井義行 | 07/11/21 | 11/11/08 | 副会長就任 | |
山下 | 不明 | 不明 | 不明 | 通称「アラレちゃん」 少なくとも09/08/15~10/04/18の間は在任[8] |
岩本はるみ | 不明 | 13/03/29 | 辞任 | 10/02/07までに着任[9] |
中島隼 | 10/03/29 | 10/10/02 | 支部長就任 | |
沢村直樹 | 10/05/25 | 11/02/07 | 支部長就任 | |
萩尾健一 | 11/07/23 | 13/05/04 | 解任 | |
神田剛 | 11/09/14 | 13/03/29 | 辞任 | |
梅木ひろみ | 11/09/14 | 14/03/19 | 辞任 | |
石上ねねこ | 12/03/20 | 14/03/19 | 辞任 | 在特会九州婦人会元代表 |
石上はな | 12/03/20 | 14/03/19 | 辞任 | |
重藤翔太 | 12/04/13 | 14/03/19 | 辞任 | 着任時は「茂島翔太」 |
西宮桂代 | 12/11/24 | 14/03/19 | 辞任 | |
松下成文 | 13/01/22 | 13/03/24 | 辞任 | |
小川ジョージ | 14/03/23 | (現職) | ||
田中義男 | 14/03/23 | (現職) | ||
中村旭日 | 14/03/25 | (現職) | ||
山本拓郎 | 14/06/20 | (現職) | ||
若戸八幡 | 14/06/26 | (現職) |
最盛期には12名(先崎・藤井両副会長を含め実質14名)もの運営陣を擁していたが、2013年に入ってから古参メンバーを中心に辞任や解任が相次ぎ、2014年3月の一斉辞任により一時は運営不在の状態に陥った。また中島・高山・沢村など幹部による分派行動が他支部よりも多く見られる傾向にある。
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関連項目
関連リンク
脚注
- *1997年まで福岡県北九州市八幡西区で暮らしていた。安田浩一「ネットと愛国」24~30頁。
- *3月16日「反日と闘う会」 HnnichiBustersHiroshima 始動街宣! : 反日と闘う会 hannichiBustersHiroshima
- *応援していただいた方々へのお知らせとお詫び
- *後に高山と中島は在特会に批判的な立場に立つ右派系市民団体「正しい日本をつくる市民の会」(正日会)を設立して独自の活動を展開したが、現在は活動を休止している。
- *ご挨拶 - 日本人が本気で怒る会
- *チーム零の代表者 - 日本保守同盟_チーム零
- *Internet Archiveのウェブアーカイブより
- *Internet Archiveのウェブアーカイブ・広島支部発足記念街宣の動画より
- *2・7外国人参政権反対署名活動 第一弾
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