概要
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1951年落成。落成当時から2000年までは野球場であった。
翌1952年よりプロ野球の公式戦も行われるようになり、1954年には同年結成された高橋ユニオンズのフランチャイズ球場として使用されることになった。
翌1955年には、共同経営者であった松竹が経営から撤退し、再び大洋漁業の単独経営に戻った大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)もフランチャイズ球場として使用するようになった。
1957年2月に高橋ユニオンズが経営悪化により大映スターズに吸収合併(→大映ユニオンズ)され消滅したため、大洋ホエールズ単独の本拠地となった。
ちなみに、高橋の単独本拠地時代の1954年に大映スターズ対阪急ブレーブス戦で観客動員数100人という最低記録が達成されている。
大洋ホエールズは1960年に見事日本一に輝くが、老朽化が激しく集客力に問題のある川崎球場に徐々に限界を感じるようになり、横浜市への申し入れが実って1977年に横浜スタジアムの建設がスタートすると、翌1978年から横浜スタジアムを専用球場とすることを川崎市に正式に通達した。
この唐突で一方的な発表は川崎市と川崎市民の猛反発を招いたが、結局この決定が覆ることはなかった。この経緯で両者の関係は決定的に悪化し、1978年こそ2試合行われたものの、その翌年の1979年から2000年の川崎球場解体まで、横浜大洋ホエールズ(横浜ベイスターズ)主催の公式戦が開催されることはなかった(1993年に1試合組まれたが、雨天中止になった)。
大洋本拠地時代では、この球場で王貞治が初めて一本足打法を披露したり、阪神の佐野仙好がフェンスに激突して陥没骨折したりするなど、様々な歴史がある。
一方、宮城球場を本拠地とするも、川崎球場など首都圏の球場を間借りする機会の多かったロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)も横浜スタジアムを共用したいと表明する。しかし、大洋側が難色を示したため、ロッテは川崎市の熱心な誘致活動に乗る形で川崎球場への本拠地移転を決定した。
しかし、川崎市は川崎球場の改修を渋り続けたため、球場の老朽化は進む一方であった。人気も低迷し、いつもスタンドはガラガラだった。ところが、今もなお『パリーグの長い一日』としてとして語り継がれる、「10.19」こと1988年10月19日に行われた近鉄VSロッテのダブルヘッダー戦の後、多くの苦情が寄せられたため、ようやく川崎市も重い腰を上げて改修に着手することとなった。
1991年に川崎市が14億円を掛けた改修工事が完了し、ロッテ球団も同年春、「テレビじゃ見れない川崎劇場」をキャッチフレーズとする誘客キャンペーンを展開し、CMも大きな話題を呼んだ。だが、この改修は十分なものとは言いがたく、千葉市からの熱心な勧誘を受け、翌1992年から千葉マリンスタジアム(現:QVCマリンフィールド)を本拠地とすることを正式に発表した。
千葉ロッテマリーンズ主催の公式戦は1992年に2試合開催されたが、これが川崎球場における最後の一軍公式戦となった。その後も細々と二軍戦は行われてきたが、1997年8月20日の巨人-ヤクルト二軍戦がついに最後のプロ野球公式戦となった。
その後もアマチュア野球の試合には使用されていたが、1999年12月に川崎市が実施した検査の結果、耐震性に大きな問題があることが発覚した。そのため、翌2000年1月に「同年3月31日限りで川崎球場を一旦閉鎖し、スタンドの解体、撤去を行う」という発表がなされた。
同年3月26日には、「川崎球場ファイナルシーン」と銘打ち、かつて川崎球場を本拠とした横浜ベイスターズと千葉ロッテマリーンズによるオープン戦が開催され、これが川崎球場で最後のプロ野球の試合となった。そして31日、その役目を終えた。
2001年に営業を再開し、現在はアメリカンフットボールなどの球技場として使われている。
『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』では、『スタンドがガラガラで、外野席あたりでカップルがイチャつく球場』として大変有名であった。その他にも、流しそうめんや麻雀など、数々の伝説を残している。
川崎球場でその他に有名なのが、ラーメンであった。川崎球場にあったラーメン屋のラーメンは絶品だったとファンは言う。
年表
- 1951年 - 社会人野球向けの球場として完成。
- 1954年 - パリーグの高橋ユニオンズが本拠地として使用。
- 1955年 - セリーグの大洋ホエールズが大阪球場から本拠地を移転。
- 1957年 - シーズン開幕前に高橋が大映と合併したため、大洋の単独本拠地となる。
- 1960年 - 大洋が初のリーグ優勝と日本一。球場で日本シリーズが開催された。
- 1977年 - シーズンオフに大洋ホエールズが横浜スタジアムへ本拠地を移転。
- 1978年 - パリーグのロッテオリオンズが宮城球場から本拠地を移転。
- 1980年 - ロッテが前期優勝。
- 1981年 - ロッテが2年連続の前期優勝。
- 1991年 - シーズンオフにロッテオリオンズが千葉マリンスタジアムへ本拠地を移転。
- 2000年 - 球場設備の老朽化に伴い野球設備の大半を撤去。
- 2001年 - アメリカンフットボール用の球技場として整備。
- 2007年 - 第3回アメリカンフットボール・ワールドカップを開催。
- 2014年 - 「川崎富士見球技場」に改称。
- 2015年 - ㈱川崎球場が解散し川崎市へ移管。「富士通スタジアム川崎」に改称。
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関連項目
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