李香蘭(りこうらん)とは、1940年代の満州を代表する女優である。
記事の読みは日本式の「りこうらん」にしているが、中国での読みは「リー・シャンラン」である。
概要
1940年代(20歳前後)
1940年代を代表する「満洲映畫協會(まんしゅうえいがきょうかい)」専属の中国女優である。
「親日的な中国人女優」として、日本が掲げていた当時のスローガン「日満親善」「五族協和」を体現するヒロインを演じていたため、中国人・日本人の双方から絶大な支持をうけており、彼女が東京・日劇での公演にきたときには、劇場を七回り半ちかい大群衆が取り囲んだこともある。[1]
日本人の男と中国人の女が恋に落ちるも悲恋に終わる映画『支那の夜』に出演する。映画だけでなく劇中歌・主題歌となる『支那の夜』も併せてヒットし、日本と中国を代表する女優となった。しかしこの『支那の夜』に出演した時期はタイミングが悪く、日中戦争(1938年)のまっただ中だった。日本人男性と恋に落ちる中国人女性を演じたため、中国人女性の価値を落としたとして中国で非難され、日本では「中国人そのものだ」「下層階級のようだ」と嘲笑されたという。
第二次世界大戦後は、日本のプロパガンダに協力し同胞(中国人)を侮辱した映画に協力した漢奸(売国奴・祖国反逆者)として、同胞である中国人から批判を浴び軍事裁判にかけられる……がなぜか無罪となり、日本に協力したことを謝罪し中国を国外追放される。
(以下反転↓)
実は、日中戦争よりも前に中国に移住した家族から生まれた純血の日本人であり、戦争と日中関係の悪化により日本人であることをカミングアウトできなくなったまま活動していた女優であった。日本人名は山口淑子、大鷹淑子。
当初は双方から支持をうけたが、戦争による日中関係の悪化は日中友好のためになると思って活動していた李香蘭にとっても良くなく、中国人からは「同胞なのにどうして日本人なんかの味方をするんだ」と面と向かって罵倒され、どう答えれば良いかと困ったこともある。また、逃げようとしている中国人が日本軍の戦闘機からの爆撃で殺されていく様を目の前で見てしまい、忘れることができないほどのトラウマになっていたらしい(中国の友人などもその爆撃で殺されている)。
戦後の中国の軍事法廷では本来なら死刑になるところだったが、友人のロシア人女性が北京にいる両親からの戸籍を届けてくれたことで、純血の日本人であることが証明され、同胞を罰する漢奸罪を適用できないため無罪となる。しかしこの件で日本人であることがバレたため中国での女優活動を続けられなくなり、日中戦争のプロパガンダ映画に協力した事を謝罪し、国外追放という処分のみで済まされた。[2]
戦後
1981年(61歳のころの姿)
戦後の日本においては、日本名の山口淑子(やまぐちよしこ)の名前で芸能界に復帰。日本と中国の両方を行き来していた実績を元に、日中双方の架け橋になろうと活動していた。
1952~1958年にはイギリス領となっていた香港において、ふたたび李香蘭の名前で映画『金瓶梅』『神秘美人』『一夜風流』など複数の映画に主演。これにより「李香蘭」の名が復活した。また、アメリカ・ハリウッドに渡って「シャーリィ山口」の名前で活動したこともあり、香港女優・イギリス女優・ハリウッド女優として国際的に活躍していた。
1970年ごろには、すでに女優業を引退しており、(過去の経験からか)徹底した反戦・平和を掲げて取材をおこない、中東やベトナム、日本赤軍の取材を行うなどしていた。田中角栄の要請により国会議員(参議院)に転身、「女性のためのアジア平和国民基金」の創立者の一人として従軍慰安婦問題に取り組み、90年代まで国会議員を務めていた。
2014年9月7日に心不全のため死去(94歳)。関係者の話では、老人ホームには入っていないが外出することもなく、自宅で横になって過ごすことがほとんどだったという。[3]
関連動画
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関連項目
関連リンク
- 「李香蘭」山口淑子さん死去 94歳、激動人生に幕 (スポーツ報知 20140915)
- 山口淑子さんが死去 女優「李香蘭」、元参院議員 (日本経済新聞 20140914)
- 山口淑子さん死去 女優「李香蘭」、参院議員として活躍 (朝日新聞 20140914)
脚注
- *ちなみに当時はすでに日中戦争が起きている時期だったため当局の目が厳しく、この群衆に放水して鎮圧・対処したらしい(時代が違っても放水による鎮圧は有効だったようだ)。
- *なおロシア人女性リューバは、李香蘭の出生地である奉天に住んでいた同郷の幼なじみである。李香蘭の自伝によると、彼女は戸籍を届けてくれたあと行方不明となり、再び出会うことができたのは50年以上も経った1998年だという。リューバの兄は日本軍との戦いで殺されており、リューバの夫も戦後にKGBからスパイ疑惑をかけられて国家反逆罪でシベリア収容所送りにされたりと、かなり辛い状況にあったようである。
- *日刊スポーツ 2014.09.15
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