松鳳山 裕也(しょうほうざん ゆうや)は、二所ノ関部屋所属の現役大相撲力士である。
概要
1984年2月9日生まれ、福岡県築上郡築上町出身。本名は松谷裕也。身長177cm、体重134kgと小柄な体格であり、幕内最軽量力士だったこともあるが、得意の突き押しが冴えれば横綱をも押し出せる。
趣味はビリヤード、自転車。炒飯と火鍋が好物。外見は強面の色黒であり、さらに十両に昇進した当初に相撲協会公式サイトに掲載された画像の写りも悪かったために「怖い」というイメージを持つ相撲ファンがいるが(Wikipediaの愛称欄に「悪魔」が入っているのもこのため)、内面はとてもやさしい力士であり、私生活では1児の父である。
来歴
幼少期には多くのスポーツに親しんでいたが、小学校に入学して以降は相撲一本に絞った。この頃はいつもお腹が空いていたようであり、小学校高学年ごろになると炒飯を自炊していたという。中学校に入学すると一旦は相撲から離れて野球や柔道などを経験したが、高校入学後は相撲の競合校からのスカウトを受けて再び相撲の世界へ戻った。高校は自宅から遠い大分県にあったが、本気でスカウトをした監督たちは松鳳山の高校在学中は毎日送迎をしていたという。駒澤大学在学中には国体で個人準優勝などの実績を挙げており、多くの相撲部屋からスカウトを受けたが、一番最初にやってきた元若嶋津の松ヶ根部屋(2014年12月に二所ノ関部屋に改称)に入門した。
2006年3月場所で初土俵を踏むと、同年7月場所は7戦全勝の序二段優勝。2007年3月場所で幕下に昇進するも、なかなか十両には手が届かず、幕下は3年間務めることとなった。ようやく十両に昇進したのは2010年5月場所。この場所は9勝6敗で勝ち越したが、次の場所は負け越した。この時に角界は野球賭博問題に大揺れで、賭博への関与を自己申告した力士らが1場所の謹慎休場処分を下される事態となっていたが、松鳳山は自己申告をせず隠し通そうとした。それが8月になって発覚したため、他の力士より悪質だとして出場停止2場所の処分を受けた(自己申告をして謹慎休場した力士らは1場所の休場で留まっている上に、協会の公式な処分としては「譴責」であった)。これを受けて、当初はこの責任を取って引退することも検討していたが、悔い改めて、純粋な心で再び相撲を取ることを決意した。
土俵に復帰すると2場所全休したため番付が幕下下位まで下がっていたが、2場所連続の幕下優勝で格の違いを見せた。十両復帰後も2場所目に11勝4敗の好成績を挙げて2011年11月場所で入幕した。初めて上位総当りとなった2012年9月場所では大関琴欧洲を撃破。地元福岡で開催された11月場所でも3大関を撃破すると、2013年1月場所では小結に昇進した。この場所から師匠の後援者より送られた黄金の廻しを使用している。
超会議場所トーナメント戦の成績
ニコニコ超会議で行われた大相撲春巡業のワンデイトーナメント大会の結果をここに記す。
大相撲超会議場所
ニコニコ超会議3で開催された。当時の番付は西小結(2014年3月場所)。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | シード | ||
2回戦 | ○ | 寄り切り | 西前頭8枚目 旭天鵬 |
3回戦 | ● | 押し倒し | 東大関2 稀勢の里 |
準々決勝 | |||
準決勝 | |||
決勝 |
大相撲超会議場所2015
ニコニコ超会議2015で開催された。当時の番付は東前頭8枚目(2015年3月場所)。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | ● | 押し出し | 東小結 玉鷲 |
2回戦 | |||
準々決勝 | |||
準決勝 | |||
決勝 |
大相撲超会議場所2017
ニコニコ超会議2017で開催された。当時の番付は西前頭3枚目(2017年3月場所)。1日目のリアルSUMOUで宝富士と対戦した時に押し出しで敗れると、幕張メッセの天井を突き破って空を飛び、鳳凰へその姿を変えた。
取組 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
DAY1 リアルSUMOU | ● | 押し出し | 西前頭3枚目 宝富士 |
DAY1 幕内取組 | ○ | 蹴返し | 西小結 正代 |
DAY2 幕内取組 | ● | 送り出し | 西前頭5枚目 北勝富士 |
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関連項目
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