河原綱家(かわはら・つないえ ? ~ 1634)とは、信濃国の戦国武将である。苗字に関しては「かわら」とも読む。
概要
河原隆正の四男として誕生(三男とも)。叔母・恭雲院が真田幸隆(幸綱)に嫁ぎ、のちに一門衆として列された。信長の野望では生年は1556年となっているが、父が1509年生まれであること、列伝が『従兄』表記もあること、綱家の子・河原左京が1580年の沼田城攻めで19歳で初陣していること(但し、河原左京を名乗っている他の一門もいるため、混同されたのか?)、これらの理由から昌幸よりも年上ではないかと思われるがよくわからない。
河原氏は元々は海野氏の家臣であったが、村上義清に攻められて居城を捨てている。この時真田氏は武田氏へ、河原氏は海野氏に従って上杉憲政のところへと逃走した。のちに武田信玄の家臣となると、縁戚となっていた真田幸隆に仕える。
1575年の長篠の戦いで兄たちが真田信綱・真田昌輝兄弟と共に戦死する。この時点ではまだ父・隆正は存命だったが、その没後は末っ子の彼が家督を継いだ。綱家の「綱」は信綱より賜ったものであろう(あるいは先代の幸綱か)。
真田昌幸からの信頼は篤く、家老も務めた。織田信長の甲州攻めで新府城を捨てて岩櫃城へと逃れる時は山手殿(昌幸の妻)らを護衛する任務を遂行した。また、関ヶ原の戦いでも大坂の真田屋敷にいた山手殿を救出するという活躍も見せている。
救出する前の出来事にこういうことがあった。下野国の犬伏というところで真田親子が極秘の会談をしていた。それは東軍につくか西軍につくかであった。昌幸は家臣たちに「親子3人の会談ゆえ、誰も入るな」と厳命。しかし、会談が長時間に及んだ上、内容が気になった綱家は覗き見をしてしまい、これに気がついた昌幸が激怒、持っていた下駄を綱家目がけて投擲! 見事綱家にHit!!!! 綱家の前歯は折れてしまい、これ以降一生すきっ歯となってしまった。
(※初めから大坂の留守居だったという説もある)
この後は昌幸の長男・真田信幸(信之)に仕え、長寿を全うした。但し、信幸より24年早く亡くなった。
子孫も代々松代藩真田家に重臣として仕え続けた。前述の前歯を折られるエピソードは幕末期の子孫・河原綱徳の手により現代に伝えられている。
創作作品
大河ドラマ「真田丸」
演:大野泰広。第5話という早い段階から登場するが、ほぼモブキャラ状態(※本能寺の変後に真田家を訪れた明智の使者を拘束するシーンで初登場)。その後も上田合戦に従軍したり、真田信幸配下で登場したりするも一貫して名前のある脇役状態。しかし、上述の彼のエピソードを知っていた視聴者ならば「あの瞬間」が訪れる事を確信していたと思われる。
なおインタビューによると歯が欠けた後の演技に関しては、声優でもある高木渉(小山田茂誠役)にレクチャーを受けたり、長州小力の喋り方を参考にしたりしたとの事。
戦国大戦
信長の野望
内政官として使える能力である。昌幸の従兄弟だが前述の通り母方の親族であるため、一門ではない。列伝は殆ど前歯の件である。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | 58 | 武勇 | 61 | 知略 | 76 | 政治 | 80 | ||||||
創造 | 統率 | 62 | 武勇 | 60 | 知略 | 74 | 政治 | 76 |
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関連項目
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