第十六駆逐隊(だいじゅうろくくちくたい)とは、旧日本海軍の部隊の一つ。
第十六駆逐隊(1911年~1918年)
概要
所属駆逐艦 | ||
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型 | 艦名 | 転入出・損失 |
海風型駆逐艦 | 海風 [I] | |
海風型駆逐艦 | 山風 [I] | |
浦風型駆逐艦 | 浦風 [I] | 1915.12/15 編入 1917.4/1 離脱 |
編成時、横須賀水雷団に所属。
二隻のみ建造された海風型駆逐艦によって編成された。
1914年8月、第一次世界大戦勃発直後に編成された第一水雷戦隊に所属したが、日本の協商国側参戦によってわずか一月後には巡洋戦艦<鞍馬>を旗艦とする第一南遣枝隊を編成。ドイツ領南洋諸島方面で活動する。
翌1915年2月、第一南遣枝隊解隊により第一水雷戦隊に復帰。
12月には一隻だけ建造(二番艦は進水前にイタリア海軍へ売却)された浦風型駆逐艦<浦風>を編入し、第二水雷戦隊へ籍を移した。
1917年4月、<浦風>が編制から外れ、翌年4月には第二駆逐隊に改称された。
主な駆逐隊司令
時期 | 名前 | 備考 |
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編成時 | 大島正毅 大佐(海兵15期) | |
第一水雷戦隊編成時 | 桑島省三 中佐(海兵20期) | 1914年12月1日大佐昇進 |
<浦風>編入時 | 森本義寛 中佐(海兵22期) | 1915年12月13日大佐昇進 |
第二水雷戦隊編成時 | 柴内豪吉 中佐(海兵26期) | |
<浦風>離脱時 | 田中吉太郎 中佐(海兵24期) | 1917年12月1日異動 |
年表
年 | 日付 | 出来事 |
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1911年(明治44年) | 9月28日 | (舞鶴海軍工廠にて<海風>竣工。) |
11月21日 | (三菱重工業長崎造船所にて<山風>竣工。) | |
1912年(明治45年) | 6月25日 | 横須賀水雷団隷下に第十六駆逐隊を新編。 |
1914年(大正3年) | 7月28日 | (ドイツによる対セルビア宣戦。第一次世界大戦勃発。) |
8月18日 | 第一艦隊第一水雷戦隊(旗艦<音羽>)を編成。 | |
8月23日 | (日本、対ドイツ宣戦。第一次世界大戦に協商国側で加入。) | |
9月14日 | 第一南遣枝隊(旗艦<鞍馬>)を編成。 | |
1915年(大正4年) | 2月1日 | 第一南遣枝隊解隊。第一水雷戦隊に復帰。 |
12月1日 | <浦風>編入。 | |
12月12日 | 第二艦隊第二水雷戦隊(旗艦<出雲>)を編成。 | |
1917年(大正6年) | 4月1日 | <浦風>離脱。 |
1918年(大正7年) | 4月1日 | 第二駆逐隊に改称・消滅。 |
第十六駆逐隊(1923年~1939年)
概要
所属駆逐艦 | ||
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型 | 艦名 | 転入出・損失 |
若竹型駆逐艦 | 朝顔(第十号) | |
若竹型駆逐艦 | 芙蓉(第十六号) | |
若竹型駆逐艦 | 刈萱(第十八号) | |
若竹型駆逐艦 | 夕顔(第十二号) | 1931.7/12 離脱? |
若竹型駆逐艦 | 若竹 | 1931.7/12 再編 |
編成時、呉鎮守府所属。後の若竹型駆逐艦3隻あるいは4隻で編成。
1923年、<第十号駆逐艦>、<第十六号駆逐艦>、<第十八号駆逐艦>の3隻で編成され、翌年<第十二号駆逐艦>を編入。1929年8月1日を以って正式艦名が付与され、それぞれ<朝顔>、<芙蓉>、<苅萱>、<夕顔>となった。
1931年7月、<若竹>、<芙蓉>、<朝顔>、<苅萱>で再編され、11月から防護巡洋艦<平戸>を旗艦とする第二遣外艦隊に所属。翌年3月まで中国方面で活動する。
1934年11月、新編された第三艦隊第五水雷戦隊に所属。
1937年12月、第五艦隊の新編にあわせ第五水雷戦隊ごと第五艦隊へ異動。
1939年11月、籍を舞鶴鎮守府に移し、第三十二駆逐隊に改名され消滅した。
主な駆逐隊司令
時期 | 名前 | 備考 |
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1934年10月22日 - | 大森仙太郎 中佐(海兵41期) | 1934年11月15日大佐昇進 |
1935年11月15日 - | 木村昌福 中佐(海兵41期) | |
移籍・改名時 | 江口松郎 大佐(海兵40期) |
年表
年 | 日付 | 出来事 |
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1923年(大正12年) | 3月16日 | (藤永田造船所にて<第十六号駆逐艦>竣工。) |
5月10日 | (東京石川島造船所にて<第十号駆逐艦>竣工。) | |
8月20日 | (藤永田造船所にて<第十八号駆逐艦>竣工。) | |
9月20日 | 呉鎮守府に第十六駆逐隊を新編。 | |
1924年(大正13年) | 5月21日 | <第十二号駆逐艦>竣工、編入。 |
1928年(昭和3年) | 8月1日 | 駆逐艦名命名。 |
1931年(昭和6年) | 7月12日 | <若竹>、<芙蓉>、<朝顔>、<苅萱>四隻に再編。 |
11月12日 | 第二遣外艦隊(旗艦<平戸>)所属。 | |
1932年(昭和7年) | 3月 | 第二遣外艦隊から離脱。 |
1934年(昭和9年) | 8月1日 | 第三戦隊第五水雷戦隊(旗艦<龍田>)を編成。 |
1937年(昭和12年) | 12月1日 | 第五水雷戦隊、第五艦隊(新編)隷下に異動。 |
1939年(大正7年) | 4月1日 | 舞鶴鎮守府へ移籍。第三十二駆逐隊に改称・消滅。 |
第十六駆逐隊(1940年~1944年)
概要
所属駆逐艦 | ||
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型 | 艦名 | 転入出・損失 |
陽炎型駆逐艦 | 黒潮 | 1940.11/15転出 |
陽炎型駆逐艦 | 雪風 | |
陽炎型駆逐艦 | 初風 | 1940.2/15編入 1943.11/2戦没 |
陽炎型駆逐艦 | 天津風[II] | 1940.10.26編入 |
陽炎型駆逐艦 | 時津風[II] | 1940.12/15編入 1943.3/3戦没 |
陽炎型駆逐艦4隻で編成。太平洋戦争中には南方で活動したが、各艦が別々に行動することも多かった。
1940年1月、<黒潮>、<雪風>で新編(5月、第二艦隊第二水雷戦隊に所属)。2月に<初風>を、10月に<天津風>を編入して4隻体制となったが、11月には<黒潮>が第十五駆逐隊に転出。翌月竣工した<時津風>を編入して4隻に戻る。
1941年、太平洋戦争が勃発。1942年7月、空母機動部隊として新編された第三艦隊の第十戦隊に編入され、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加。翌1943年3月、ビスマルク海海戦で<時津風>が戦没。11月、ブーゲンビル島沖海戦で<初風>が戦没する。
1944年1月に<天津風>が大破し、<雪風>一隻のみが残った第十六駆逐隊は同年3月に解隊・消滅。<雪風>は第十七駆逐隊、修理中の<天津風>は第一南遣艦隊附属に移動となった。
主な駆逐隊司令
時期 | 名前 | 備考 |
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編成時 | 島崎利雄 大佐(海兵44期) | |
太平洋戦争開戦時 | 渋谷紫郎 大佐(海兵44期) | |
最終時 | 古川文次 大佐(海兵49期) | <天津風>大破時戦死。後任無し。 |
年表
年 | 日付 | 出来事 |
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1940年(昭和15年) | 1月20日 | (佐世保海軍工廠にて<雪風>竣工。) |
1月27日 | 藤永田造船所にて<黒潮>竣工、<雪風>とともに第十六駆逐隊を新編。 | |
2月15日 | <初風>竣工、編入。 | |
5月1日 | 第二艦隊第二水雷戦隊(旗艦<神通>)に編入。 | |
10月26日 | <天津風>竣工、編入。 | |
11月15日 | <黒潮>、第十五駆逐隊へ転出。 | |
12月15日 | <時津風>竣工、編入。 | |
1941年(昭和16年) | 12月8日 | (太平洋戦争勃発。) |
1942年(昭和17年) | 7月14日 | 第三艦隊第十戦隊(旗艦<長良>)に編入。 |
10月26日 | 南太平洋海戦に参加。 | |
1943年(昭和18年) | 3月3日 | ビスマルク海海戦。<時津風>戦没。 |
11月2日 | ブーゲンビル島沖海戦。<初風>戦没。 | |
1944年(昭和19年) | 1月16日 | 船団護衛中に<天津風>被雷大破。駆逐隊司令古川文次大佐戦死。 |
3月20日 | <雪風>、第十七駆逐隊に転出。 | |
3月31日 | 第十六駆逐隊解隊。<天津風>は第一南遣艦隊附属へ異動。 |
関連項目
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