雪風とは、
- 雪混じりの風。地吹雪、吹雪の異名。平安時代の書物「陽炎日記」の中の「雪風いふかたなうふりくらがりて…」という記述が由来だという話もある。
- 実在した大日本帝国海軍の駆逐艦の名称。
- 実在した海上自衛隊の護衛艦の名称、「ゆきかぜ」。
- 架空の戦闘機。上記駆逐艦に由来する命名。 参照 → 「戦闘妖精・雪風」
- 「宇宙戦艦ヤマト」に登場した駆逐艦「ゆきかぜ」。正式名称:M-21881式雪風型宇宙突撃駆逐艦。
- 「宇宙戦艦ヤマト2199」に登場した駆逐艦「ユキカゼ」。正式名称:DDS-117磯風型突撃宇宙駆逐艦3番艦
→ 「ユキカゼ(ヤマト2199)」
- 「宇宙戦艦ヤマト2199」に登場した駆逐艦「ユキカゼ」。正式名称:DDS-117磯風型突撃宇宙駆逐艦3番艦
- PS用ゲームソフト「アナザーマインド」に登場する猫の名前。
- 「ゼロの使い魔」の登場キャラクター「タバサ」の二つ名。 参照 → 「シャルロット・エレーヌ・オルレアン」
- 「BLAZBLUE」の登場キャラクター「ハクメン」の必殺技「虚空陣・雪風」。
- ユーザー生放送の配信者。参照→「ゆきかぜ(生放送主)」
- 「艦隊これくしょん~艦これ~」にて上記駆逐艦を擬人化したキャラクター →「雪風(艦これ)」
- 「最終戦艦withラブリーガールズ」にて上記駆逐艦を擬人化したキャラクター →「雪風(最ラブ)」
- 「アズールレーン」にて上記駆逐艦を擬人化したキャラクター →「雪風(アズールレーン)」
ここでは艦名としての大日本帝国海軍駆逐艦「雪風」
および海上自衛隊護衛艦「ゆきかぜ」について記述する。
概要
大日本帝国海軍駆逐艦「雪風」
旧日本帝国海軍所属、陽炎型駆逐艦8番艦として命名される。雪風は太平洋戦争の主だった海戦に参加しながら、ほぼ無傷で生還した幸運艦として有名。同型艦の陽炎型、改陽炎型である夕雲型も含め計38隻中、雪風1隻のみが終戦まで生き残った。
艦歴
第三次ソロモン海戦やレイテ沖海戦などの激しい海戦を生き残った他、百数十回の護衛任務や輸送任務に出撃し、そのほぼ全てが成功だったという功労艦で、旧日本海軍の武勲艦について語られる時は雪風の名前が挙がる。
戦艦「大和」が沈没した天一号作戦(沖縄への水上特攻作戦)にも出撃し、ほぼ無傷で生還している。戦闘中の大和を護衛する雪風の写真が何枚か残っており、大和沈没後は乗員を多数救助した。不沈艦といわれた戦艦大和が沈み、真の不沈艦と崇められるようになるとは当時の乗組員は夢にも思わなかったに違いない。
戦後は武装解除され、各地に散った日本兵を回収する復員艦として太平洋を奔走。
雪風が本土へ送り届けた人数は、実に1万3千人を超える。ご先祖や親戚に、雪風と縁のある人も多いかもしれない。ゲゲゲの鬼太郎の作者として有名な水木しげる氏も雪風で復員した。
この頃、潜水艦伊58の艦長だった橋本以行中佐が艦長に任命されたが、伊58が撃沈した重巡洋艦インディアナポリス撃沈を受けてのアメリカ海軍の軍法会議に呼び出されて渡米したため着任しないままに終わっている。
然る後に連合国へ賠償金ならぬ賠償艦として譲渡された際は、その行き届いた整備を賞賛された。賠償の一環として譲渡されたのは蒋介石率いる中華民国(いわゆる後の台湾・当時は大陸に存在)。
雪風は太平洋戦争中ほぼ休みなく働き続け、戦後も復員艦として働き続けた。艦歴とエピソードはとても多いので、詳しくはWikipediaの雪風の記事を参照のこと。
「丹陽」として
海外(中華民国・台湾)に譲渡後は「丹陽」と名付けられ、中華民国海軍の旗艦となった。
雪風の戦果や幸運は海外にも知られており、総旗艦に選ばれたのはその縁起担ぎでもあったらしい。
中国共産党に実効支配されていた当時の南京からの脱出のために蒋介石が乗り込んだことも。
その後も共産党と国民党との戦い(八二三金門砲戦や料羅湾海戦など)にて、敵方のコルベットを撃沈させるなど第一線で活躍。
海軍総司令官と共にフィリピンへ訪問するなど、台湾では非常に名の知られ、人気の艦である。
余談であるが、台湾で雪風(丹陽)の半生を描いた擬人化同人誌があったりする。 →こちら
後に乗組員や関係者が台湾に返還を求め、後一歩で返還される予定であったというが、台風の影響で浸水被害に遭い、残念ながら解体されてしまった。唯一残された舵輪と錨が1971年に返還された際、かつての乗員達は「あの雪風がたったこれだけになってしまった」と泣きに泣いたという。
現在、舵輪は江田島の海軍兵学校教育参考館に、錨は同館の庭に、スクリューが台湾海軍士官学校に展示されている。
不死身の幸運艦
ロケット弾が命中したが不発だったなど、雪風は幸運なエピソードが多い。
航行不能の味方を曳航中に磁気機雷に反応してしまったが、遅延爆破したお陰で2隻とも無事だったり、敵航空機の大部隊の空襲を受けたが、スコールが発生したので部隊全員助かったり、珍しく損傷したので雪風だけ先に帰国できることになったら、偶然にも漂流中の筏を発見して乗組員を救助したりなど、雪風だけでなく傍にいた味方も救われたことがある。
雪風は幸運艦として知られるようになったが、その一方で日本海軍の多くの船が太平洋戦争で戦没したため(上記のように味方を救ったエピソードがあるにもかかわらず)、「雪風だけ幸運」、「仲間の運を吸い取る死神」と正反対の扱いをする人もいる。
一部では「護衛対象である戦艦や空母は次々沈んだため仲間から死神として嫌われた」と言う噂があるが、戦闘記録では雪風はほぼ全ての護衛対象を守り切っており噂の内容と合致する証拠がないこと、死神として嫌ったという兵隊の証言が見つからないことから、現在ではこの噂は雪風を死神扱いする人による作り話だとされている。
実際には、戦争中は味方から同じ幸運艦である駆逐艦時雨と共に、どんな激しい戦いでも必ず帰ってくる不死身の船として「呉の雪風、佐世保の時雨」と称えられていた。
また幸運艦として有名であるが、激戦から毎回生還してきたおかげで乗員の練度が向上し続けたこと、戦闘後も入念に整備を行っていたこと、その信頼性から当時の最新装備が次々に投入されたことなどから、裏付けされた実力あっての幸運であったのは間違いない。レーダー逆探知装置が最初に搭載された他、戦争後期は対水上・対空レーダー二基装備し、更にハリネズミのように対空火器を搭載していたという。
海上自衛隊護衛艦「ゆきかぜ」
海上自衛隊の前身、海上警備隊が大戦後、初めて国内で建造した「はるかぜ」型護衛艦二番艦。DD-102「ゆきかぜ」は当初艦名が「しらくも」となる予定であったが、戦争後初の国産護衛艦ということで、関係者が武勲艦であった雪風の名を受け継がせ「ゆきかぜ」と変更した経緯がある。「ゆきかぜ」は自衛艦隊旗艦設備を持ち、1957年から1961年まで自衛艦隊旗艦となった。
1974年、東京湾口でのタンカー火災において撃沈処分した第十雄洋丸事件に参加。
その後幾度か新型の護衛艦名として噂にあがるものの、名付けられたことはない。
(余談だが、海上保安庁のすずかぜ型巡視船に「ゆきかぜ」がある)
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