1938年(昭和13年)
前回の寅年 | 前年 | 当年 | 翌年 | 次回の寅年 | |
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年 | 1926年 | 1937年 | 1938年 | 1939年 | 1950年 |
干支 | 寅 |
丑 |
寅 |
卯 |
寅 |
1938年の事柄
日中戦争2年目。前年12月に首都南京を占領した日本軍だったが、中国側の抗戦が続く。国内では5月に国家総動員法が施行、7月には1940年東京オリンピックの開催が返上され、戦時体制が強まった。
近衛声明
日中戦争のさなか近衛文麿首相がこの年何回か声明を発表。結果ことごとく裏目に出てしまう。
第1次近衛声明で「国民政府を対手(あいて)とせず」という発表をし、和平工作の道を途絶。別に出てきた中国代表者と和平を結ぼうとする目的があったのだが、結果そうならず日中戦争を解決する唯一の機会を失う。
第2次近衛声明では「日本の戦争目的は東亜永遠の安全を獲得し得る新秩序建設」にあると発表。東アジアの従来の秩序であったワシントン体制を否定する形となり、イギリスとアメリカとの関係が悪化する。米英は中国に支援物資を送るようになり、日中戦争はますます長期化した。
ちなみに日中戦争では、日中両国とも宣戦布告せず「事変」という体裁で全面戦争を行っていた。これはアメリカからの軍事物資に両国が依存しており、戦争状態となると軍事物資の供給が絶たれてしまうためである。
事変では賠償金が発生しないため、日中戦争が長期化すると「金も出ないのに何のためにこんなのやってるんだ」感が国内に漂い始めたので近衛文麿は声明で戦争の目的を発表したのである。
1938年の出来事
1月1日 | 積雪により新潟県十日町の映画館で崩壊事故が発生、死者74名 |
1月11日 | 健康な強い兵士を生む健民健兵作を推進するため、厚生省が発足 |
1月16日 | 第一次近衛声明。「国民政府を対手とせず」と述べ、中国との和平交渉は完全に決裂した。 |
2月5日 | アメリカで映画「モダン・タイムス」公開 |
2月15日 | 警視庁が戦時体制下に余裕のある暮らしをしているとして、盛り場で「学生狩り」 |
3月13日 | ナチス・ドイツ、オーストリアを併合 |
3月18日 | 学習院初等科で外国語教育が禁止となる |
4月6日 | 電力管理法公布、国家が電力を管理するようになる |
4月10日 | 灯火管制規則が実施 |
5月1日 | 重油、ガソリンの購入に「ガソリン券」が必要になる |
5月5日 | 国家総動員法施行 |
5月19日 | 日本軍が徐州を占領 |
5月31日 | 桜ヶ丘研究所(現:エーザイ)がビタミンE剤「ユベラ」を発売、産めよ増やせよの時流に乗りヒット |
6月9日 | 日本軍の進軍阻止のため、中国国民党が黄河の堤防を爆破(黄河決壊事件) |
7月15日 | 1940年東京オリンピックの開催返上 |
11月3日 | 第二次近衛声明。「東亜新秩序」が提唱される。 |
11月20日 | 岩波新書の刊行が開始 |
1938年生まれの著名人
1938年に亡くなった著名人
11月10日 | ムスタファ・ケマル・アタテュルク | トルコ初代大統領 |
12月25日 | カレル・チャペック | 劇作家 |
関連動画
関連項目
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