アストラル(競走馬) 単語

アストラル

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アストラルとは、1921年生まれの日本競走馬、繫殖である。栗毛

生産者:下総御料牧場調教師:尾形藤吉馬主:多賀一 → 高井兵衛

な勝ち
1927年:帝室御賞典(東京)、各内外産古競走()

※当記事では馬齢は旧年齢で表記します。

概要

チャペルブラムプトン昭和初期最高の種牡馬と称えられた大種牡馬種義は小岩井農場の輸入基礎の1頭であるビューチフルドリーマー大正時代ダイヤモンドウェッディング旋を巻き起こした名種牡馬。全横浜帝室御賞典を勝ったハクヨシがいる。

という、良血なのだがチャペルブラムプトンのものとも山のものともつかなかった初年度産駒という事でよくわからん血統に貧相な見てくれと思われて、1923年のセリで倉本という商に1350円の安値で落札された。しかし、ここで思わぬ人物がこのを買いたいと名乗り出た。日本競馬史にその名を刻む名調教師尾形藤吉である。倉本1500円を提示したが値段が安すぎることに気づいたのだろう。更に1勝を挙げたら追加で300円を貰うという追加条件を出して商談は成立した。尾形厩舎に入厩したアストラルは体質の弱さから高価な麦を与えられて根気よく育成された。

馬主の多賀一は友人高井兵衛スターリングを喪い嘆き悲しんでいるのを見かねて、そのエリーダツエスと共にアストラルを安値で譲ったため、アストラルカブト馬主名義を使う高井の持ちとしてデビューすることになった。

ちなみに本は重馬場が得意だったが重馬場が苦手であったという。どういうことだよ

5歳 あの星のように

1925年4月4日阪神競馬場の内産新1800mでデビュー暴風雨不良馬場トニーレコード勝利する大波乱の中10頭立ての3着となった。また、同日の各抽籤内にチエリーダツエスも出走しており、この2頭は行動を共にしていたようだ。5日の内産新勝利して、12日の優勝戦約2000mに挑むも再びトニーの3着に敗れた。同じチャペルブラムプトン産駒トニー・チヤペルコンビとは切磋磨しあい一時代を築くことになる。

5月横浜に移動して23日のレースで着外、24日の内1800mではスターリングライバルラシカツターオーキツド対決するも軽斤量の恩恵がありながら全くが立たずオーキツドの3着に敗れた。30日の内2000mでオーキツドと再戦、約19キロ斤量差がありながらもオーキツドに10馬身つけられて2着と敗。31日のレースも3着に敗れてを終えた。

10月3日阪神各内2000mから始動してチヤペルの着外、4日に勝利して10日に阪神連合二哩である各内国産馬連合競走に出走する。このレース優勝補であるトニーとチヤペルのどちらが出走してくるのか注を集めたがチヤペルが出走して優勝し、アストラル尾形が騎乗するも3着に終わった。

11月は7日に横浜の各内2000mで3着、2着にライバルとなるカノウもいた。8日はチヤペルの着外、14日の各内1800mを勝利して、15日の優勝戦約2000mでラレードの2着となった。

22日は東京タマカゼの2着、23日に帝室御賞典に挑むも前日にデビューしたカーネーシヨンに5馬身着けられて2着に敗れた。ちなみにこの直後の濠抽混合でラシカツターカーネーシヨンの最強されていたバンザイを破って優勝している。このレースを見てスターリングに思いをはせたであろうアストラル営は28日にかつてスターリング優勝した東京連合二哩優勝内国産馬連合競走に挑む。トニー・チヤペル時代を終わらせると期待されてアストラルは1番人気に支持された。しかし、期待通りトニーには先着するもカノウに半馬身及ばず2着となった。29日の各内1800mでは1番人気に応えて1着となってこの年を終えた。

6歳 晨星

1926年5月1日東京の各内1800mから始動してトニーの着外となった。2日は濠抽混合こと各内国抽籤濠州産馬混合競走に出走、ラレードとカノウの2強に対して現役最強の座を狙うも九州からはるばる遠征してきたレンド空前絶後の勝利を挙げた後ろで着外に敗れた。8日の各内2000mもカノウの着外。

15日は横浜の各内2000mでラレードの着外。16日の帝室御賞典に挑戦するもイワの3着と負けが込むが、22日の各内2000mでトニーを3着に破り2着のフクゾノに10馬身つけて圧勝し気を吐いた。しかし、23日の優勝戦約2400mはタマカゼ、ラレードに先着されてタマカゼの3着とこの後も苦戦が続く。

11月6日横浜の各内2000mをイージーの3着と取りこぼし、7日の帝室御賞典アスベルに4馬身着けられての2着。13日は勝利して、14日の優勝戦に出走するもラレード、アスベルカノウに先着されて着外。

21日には東京帝室御賞典に再び挑むもカーネーシヨンのコウエイに敗れて着外となり、この年を終えた。

7歳 その名は綺羅星が如く

1927年4月30日東京の各内2000mから始動して着外。5月1日帝室御賞典岩佐五郎で挑み、2着に6馬身つけて快勝。ついに1流仲間入りを果たした。8日の優勝戦はクモカゼ、イージー、コクホウと改名したカーネーシヨン、アストラルアスベル等5頭の戦いとなったが「虎の皮」クモカゼの着外に敗れた。

5月14日横浜名物のオールカマーハンデ2000mに出走するもカノウと共にコクホウの着外に敗れた。21日は各内2000mでクビ差いで勝利

6月8日は初めての新潟特ハン2000mに出走して着外。9日の内産古2000mと12日の優勝戦を2連勝して次は福島に移動。

22日の特ハンで着外からの23日の各内2000mと26日の優勝戦を2連勝。この辺りから斤量が約63.5キロを下回らなくなっている。

9月1日新潟特ハンでチヤペルに先着してクンフロラ―の2着。2日の各内は2着に10馬身つける圧勝。優勝戦もヤレバワカル、モーニングデーの2頭に快勝して2連勝。ちなみにヤレバワカルは冒頭の倉本が名付け運命が少し違えばアストラルもこのような珍名馬になっていたかもしれない。

14日は福島福島市賞典に出走するも着外。15日は各内スズカゼの3着。17日は各内ハンデキャップ2000mを勝利して18日の優勝戦に挑むもチヤペルスズカゼに先着されてグローリヤスダイヤの着外に敗れた。

11月20日は最後の忘れ物である各内外産古競走に改名した東京の濠抽混合3400mに出走。覇者アキラにこの大競争を後に制するクモカゼと強を抑えて3分4758のレコード勝利し、昭和2年の現役最強として引退を飾った。

通算成績は49戦16勝[16-7-10-16]

競走成績も素らしかったが繫殖成績も素らしくカブトヤマガヴアナーダービー兄弟天皇賞ロツキーモアを出し、第参アストラルの系統からオーマツカゼ牝系、オーハヤブサ牝系へと分岐し活躍を書き出したら枚挙に暇がい。かくしてアストラルの名は血統表の中でも然とき続けていくことになるのである。

血統表

*チャペルブラムプトン
Chapel Brampton
1912 栗毛
Beppo
1903 青毛
Marco Barcaldine
Novitiate
Pitti St.Frusquin
Florence
Mesquite
1904 栗毛
Sainfoin Springfield
Sanda
St.Silave St.Serf
Golden Iris
種義
第二ビューチフルドリーマー
1912 栗毛
FNo.[12]
1905 鹿毛
Diamond Jubilee St. Simon
Perdita
Wedlock Wenlock
Cybele
Enthusiast Sterling
Cherry Duchess
Reposo Amphion
Monotony

クロスSt. Simon 5x5x4(12.50%)、Wenlock 5x4(9.38%)

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