ギロチン 単語

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ギロチン

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ギロチン(仏:Guillotineとは、フランスで用いられていた斬首刑の執行装置である。
おそらくは世界で最も著名な処刑具の一つ。提案者ギヨタン(Guillotinの名にちなむ[1]

概要

二本の柱の間に斜め状になったるし、これを落とすことで柱の下に寝そべって固定された罪人の首を切断する装置。断頭台と呼ばれることも多いが、厳密には斬首刑の執行の際に用いられる台全般をすものであり、ギロチンだけを意味するものではない。
フランス革命の最中に、現在よく知られる形のギロチンが考案・実用化された。

当時、斬首刑に処せられるのは貴族のみで、民は絞首刑や裂きの刑に処せられていた。言わば、一かつ安らかに死ぬことが出来る斬首刑は貴族のみに許された名誉の処刑方法であった。
一方で、肝心の斬首刑自体も死刑執行人の手で行われており、執行人の腕によっては受刑者に多大な苦痛を与えることも多く、斬首刑は熟練の腕を必要とする極めて難しい処刑方法であった。
執行人の腕が悪かったせいで悲惨な死に方をした人物に、イングランドソールベリー伯爵マーガレットが知られている。ヘンリー8世により反逆罪に問われた彼女ロンドンタワーグリーンに引き据えられ、首をではねられた。ところが最初の一撃では死なず、絶叫を挙げてのたうち、処刑台から逃げようとする72歳の老女処刑人は追い回し、でめった打ちにして「処刑」した。一説にはヘンリー8世がわざとヘタクソ執行人を選び、見せしめとして惨殺したと言われている。

このような事例を鑑み、かねてから死刑の方法を斬首に統一するように提案していたフランス議会議員にして内科医のジョゼフ・ギヨタンは、「単純な機械的な作用によるために失敗の可性が低く、かつ身分に関係なく適用される人的な斬首制度」を導入することを訴える。
最初は却下されたものの、再度の訴えと熱意に負ける形で彼の案が採択され、依頼を受けた外科医アントワーヌ・ルイが設計を担当。スコットランドの「スコッチメイデン」、イギリスの「ハリファックス断頭台」などの機械式処刑装置を基に改良を加え、設計を行った。当初は円状のが使うことが考えられていたが、最終的には斜め状のを採用することとなった。
試作品はドイツ人の楽器製作職人トビアスシュミットによって製作。その効果が実されるとすぐに公式な処刑具として採用されることとなった。

その後、フランス革命化と共にギロチンの出番は大幅に増加。ルイ16世マリー・アントワネットを始めとした多くの王族・貴族・反乱分子が、ギロチンによって処刑された。
特に、マクシミリアン・ロベスピエール率いるジャコバが台頭した「恐怖政治」においては、連日ギロチンによって反乱分子が処刑された。多い時はパリだけで1日30人以上が機械的に首を刎ねられたという。
最終的に、テルミドールクーデターによって失脚したロベスピエール自身もギロチンによって処刑されるなど、ギロチンはフランス革命シンボルへと変化していった。

ギロチンによる処刑は近代に入っても欧州の各地で行われていたが、それらの々が死刑制度を止したことをきっかけにその歴史に幕を閉じた。フランスでギロチンによる最後の処刑が行われたのは、1977年のことである。

現在では、斬首刑に対しては悪いイメージを抱いている人が多いとされるが、以上のようにギロチンは苦しむことなく一で死を与えられる的な死刑制度として欧州では受け入れられていた。
特に、ギロチンの導入に関わったギヨタンや死刑執行人であったシャルル=アンリ・サンソンは熱心な死刑論者であったことも注に値する。

斬首後に意識はあるのか?

ギロチンによる処刑において、必ずといっていいほど出て来る命題の一つ。果たして、人は首をり落とされた後も意識はあるのだろうか。

フランス革命期、マラーの殺を実行した「暗殺の天使」ことシャルロット・コルデーは、ギロチンによる処刑後に死刑執行人の助手に首を持ち上げられ、罵倒されて手打ちにされると、にわかみが差して怒ったように見えたという。他にも似たような話は伝わっているが、いずれも都市伝説の域を出ない。

1956年フランスにおいて死刑囚に対する実験が行われた。この実験依頼したのは議会というからコワイ斬首後に瞳孔の反応および条件反射を確認したが、15分は反応があったという。
もっとも意識の有については確認のしようがなく、結局のところは「実際にられてみないと解らない」といったところだろう。

でも想像するとめっちゃ怖い

豆知識

  • 前述の通り、ギロチンの名はギヨタンにちなむが、正式名称は「Bois de Justice(ボア・ドゥ・ジュスティス)」。「正義の柱」を意味する。
  • ギヨタンの族はこの処刑装置を不名誉と考え、ギロチンという名の使用を止めるように政府に嘆願したが、あまりにも認知度が高まりすぎていたためにやむなく姓を変更したという。
  • 古い本では、ギヨタン自身もギロチンで処刑されたと説明されているものもあるがこれは誤り。実際のギヨタンの死因は、肩の腫れ物による病気であり75歳まで長生きした。
  • 当時の公開処刑市民にとっては重な娯楽で、時には屋台が出るほど賑わった。ところがギロチンによる最初の処刑はあっさりと終わってしまった為、「最新の機械による新たな処刑方法」に期待していた群衆は拍子抜けしてしまったという。
  • フランス革命期、党を問わずに多くの政治家がギロチンで処刑されてゆく様は、当時の人々によって「ギロチンの嘔吐」と呼ばれた。
  • ルイ16世マリー・アントワネットロベスピエールなどが処刑されたことが有名だが、質量保存の法則を発見した化学ラヴアジもギロチンによって処刑されている。
  • ギロチンは、処刑される様子が周りから良く見えるようにと、人間の背丈よりも高い台の上に設置されていた。ところが1870年、当時の法務大臣がギロチンを台から下ろし、地面に直接置くよう命を下した。これに対して市民激怒して「々はのように地面に這いつくばって死ぬこと拒否する」と叫び、ギロチンを破壊してしまった。ギロチンによる死刑は人的であり、身分を問わず最後の名誉であったという当時の認識がい知れる。
  • ギロチンのミニチュア子供たちの玩具として好されたようで、捕まえてきたネズミなどの首を切り落として遊んでいたらしい。かのゲーテも自分の子供のためにギロチンの玩具を買ってくれるように母親に頼んだ手紙が現存している。
    ちなみにゲーテのはその手紙に対して「あなたの為ならなんだってしてあげたい...そんな恥ずべき機械を買ってあげる事以外はね。製造業者を逮捕して、その玩具を火にくべてやりたいくらいです。子どもにそんな事をさせていい訳がありますか!と、断固として断ったそうな。カーチャン強い。
  • ギロチンを製作したシュミットは後にギロチンの製造独占権を獲得。一時は利権争いも起こるほどの人気商品だった。現在でもその工房は存続しており、楽器製造の傍ら、ギロチンの模型などの特殊なインテリアの生産を行っている。
  • PCゲームDies irae -Acta est Fabula-』ではギロチンの下で生まれ、ギロチンによって生涯を終えた「触れるものすべての首を飛ばす呪い」を持つヒロインマリィが登場。主人公藤井蓮彼女との縁により、右腕からギロチンを生やして戦う。世にもしいギロチンを武器とするキャラクター……なのだが、どう見てもにしか見えないのはご嬌。
    なお2017年アニメ化を記念し「おそらく世界初」と称して全長250cm、重量約100kgのギロチンのプレゼント企画が発表。参加条件には「ギロチンを置くスペースをお持ちの方」「後日都内にギロチンを受け取りに来る事が可な方」(お渡し会を開催)とある。おそらくじゃなくて紛れもなく世界初だよ。

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関連項目

脚注

  1. *後述の通り、ギヨタンはあくまで機械による人的な斬首制度の導入を提案した人物であり、ギロチンの考案者でも発明者でもないことに注意。
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