正式名称はコートジボワール共和国。
国名はフランス語で「象牙海岸」という意味。日本でもこの漢字表記で記されていたことがあったが、フランコフォニー国際機関が1985年にこの意訳を使用しないように求めたことをきっかけに現在ではほぼ使用されていない。
首都はヤムスクロだが実質的にアビジャンがその役割を担っている。
国旗はオレンジが北部サバンナ、白は平和と結合、緑は南部処女林を表す。
60以上の民族が暮らしていることもあってマナーに寛容と言われている。
近代化に成功したことから経済的には優等生で周辺諸国からの労働者も多い。
サッカーの強豪国と知られている。というか多くの日本人はコートジボワールについての知識はサッカーが強いくらいしかないらしく、ニコニコ動画で検索してヒットする動画のほとんどがサッカー関連であり、ニコニコ大百科でもサッカーコートジボワール代表の記事は2010年に作成されている。
国土の多くはサバンナ気候だが、北部と南部で気温と降水量が異なり、北部は寒暖の差が激しく、乾燥も厳しい。
一方、南部は年間を通じて25℃から28℃ほどで安定しており、雨季が年二回ある。
ギニア湾に面した平坦な地形を持ち、ガーナとブルキナファソ、マリ、リベリア、ギニアと隣国関係にある。
コートジボワールとギニア、リベリアの三ヶ国にまたがってそびえるニンバ山(1752m)が国内最高峰で、その麓に広がる熱帯雨林は希少動物が数多く生息することから世界自然遺産に登録されている。しかし近年は密猟や難民による生態系の破壊が小さくない。
多くの国立公園を有し、特にコモエ国立公園とタイ国立公園は世界自然遺産に登録されている。いずれも貴重な野生動物の宝庫だが、やはり密猟者に悩まされている。
主な産業は農業。主な名産品はカカオで世界総生産のおよそ35%を占めている。当然ながら第一位。
その他ではカシューナッツやゴムノキ、コーヒー豆の栽培も盛ん。
カカオ豆の生産は、独立後、カカオ豆の需要拡大に眼を付けた政府が力を入れ出し、現在の地位を確立。輸出で得た収入を元に工業の発展を推し進め、積極的に外国企業を呼び込んだ結果、コートジボワールは1960年代から1970年代にかけて「象牙の奇跡」と呼ばれる目覚ましい経済発展を遂げた。
1980年代以降は農作物の需要が減って経済が悪化したものの、ギニア湾で海底油田が発見され、1993年から採掘が開始。現在、石油や石油製品はカカオ豆と並ぶ輸出品となっている。
60以上の民族が暮らす中、最も多いのは約4割を占めるアカン人。
公用語はフランス語だが、それぞれの民族独自の言語も日常的に使われている。
約4割の人々がイスラム教を信仰し、約3割はキリスト教を信仰している。約1割の人々は地域や民族に伝わる伝統的な宗教を信仰する。
儀式に使用される独特な木彫りの仮面が世界的に知られており、美術品として取引されることもある。
古来より、現在コートジボワールがある地域の北部では、サハラ砂漠を超えてやってくる遊牧民との間で盛んに交易が行われており、イスラム教を始めとした北アフリカの文化がそこから伝わった。
14世紀以前は様々な部族によるグリシャボ、ベチェ、アンデニュ等の王国が栄えていたとされる。
15世紀になるとヨーロッパ人の商人がギニア湾沿岸部にやってくるようになり、奴隷や象牙の貿易が行われた。象牙を積みだすための港があった地域はフランス語で「象牙海岸」を意味するコートジボワールと呼ばれ、これがそのまま国名となった。
17世紀にはフランスの勢力下に入り、1893年、フランスの植民地に編入された。
フランス領西アフリカの一部となったが、第二次世界大戦後、独立を求める運動が盛んになり、1960年に独立を果たした。
しかし、フランスからの独立は、独立運動を率いたフェリックス・ウーフエ=ボワニ大統領率いるアフリカ民主連合コートジボワール支部・コートジボワール民主党の独裁政治の始まりでもあり、政府に反対する者への逮捕や拷問が日常化した。
1993年にボワニが亡くなった後は何度もクーデターが起こり、2002年には政府と反政府勢力との間で大規模な内戦に突入した。
2007年に和平合意が結ばれ、2010年には10年ぶりに大統領選挙が開催されたが、結果を巡って再び争いが勃発し、国連やフランス軍の介入を受ける事態へと発展した。
そのため、2015年の大統領選挙は国連などの監視のもとで開催された。
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最終更新:2024/12/22(日) 14:00
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