スレイプネル級駆逐艦(Sleipner-klassen jager)とは、ノルウェー海軍が保有した駆逐艦の艦級である。同型艦6隻が建造された。
なお、設計の差異から四~六番艦をもってオーディン級駆逐艦として別艦級とする場合があるが、当記事ではスレイプネル級の一部として扱う。
王立ノルウェー海軍が建造した駆逐艦。
第二次世界大戦直前に6隻が建造された駆逐艦(のちにフリゲートに類別変更)で、現時点では最後にノルウェーが国産した駆逐艦でもある。二次大戦中には4隻がドイツ国防軍海軍(クリーグスマリーネ)に鹵獲・使用されたが、戦後ノルウェー海軍に復帰した。
スレイプネル級駆逐艦は、ノルウェー海軍が1930年代に建造した駆逐艦である。
もともとノルウェー海軍はより大きく本格的な駆逐艦を欲していたのであるが、前級であるドラウグ級駆逐艦を20世紀初頭に建造して以降、長い財政難に悩まされてきたノルウェー海軍では、結局のところ僅かに基準排水量で600tに満たないほどの小型艦の建造と相成った。
しかし、基準排水量600tというのは、1930年ロンドン海軍軍縮条約でいう駆逐艦の定義の下限である[1]。それを下回る「駆逐艦」。もはや駆逐艦と呼んで良いのか。それでもノルウェー海軍は駆逐艦(Jager)として建造したのではあるが、あまりにも小さいのでドイツ海軍は常識的に考えて水雷艇(Torpedoboot)に類別した。そして二次大戦後にはノルウェー海軍も考え直したらしく改装のうえフリゲート(Fregatt)に類別し直している。
そしてこの小型駆逐艦にはできるだけの武装が搭載されることになり(どこかで聞いた話だ)、1934年に起工した一番艦<スレイプネル>を手始めに、1939年までに二番艦<エーゲル>、三番艦<イーレル>が進水・竣工する。だが案の定、小さすぎる艦体ではどうにも耐波性や安定性に難があったらしく(日本海軍「知ってた」)、1938年起工の四番艦<オーディン>からは改設計してわずかに艦体を拡大・武装を削減(第二グループ/オーディン級駆逐艦)。おかげでかろうじて駆逐艦扱いできる排水量に進化。五番艦<バルデル>と六番艦<トール>の建造も進められていたが、この二隻はドイツのノルウェー侵攻により艤装未了のまま鹵獲され、ドイツ海軍のもとで竣工した。
初期グループの設計は、全長74.3m、基準排水量597t(満載排水量708t)というもので、最大速力は32kt、航続距離は15ktで3500海里。兵装面では、主砲が40口径10cm砲を単装で3基、対空用にボフォース40mm機関砲を1門、<スレイプネル>と<エーゲル>のみ12.7mm機銃を2門。雷装として533mm連装魚雷発射管を1基(<イーレル>のみ2基)。さらに爆雷24個を搭載することができた。
第二グループでは、全長76.0m、基準排水量632t(満載排水量719t)へとわずかに拡大されたが、速力・航続距離に変化は無し。<オーディン>の兵装は主砲40口径10cm砲単装2基へと削減されたものの、初期グループ同様40mm機関砲1門、12.7mm機銃2門、533mm連装魚雷発射管1基、爆雷24個という陣容であった。ドイツ水雷艇として竣工した<バルデル>と<トール>では、さらに10cm砲が単装1基へと削減され、12.7mm機銃も非搭載となっている。
このスレイプネル級が駆逐艦としていかに小さいか、この際、以下に同等艦艇との比較表を載せてみる。比較対象が同時期でも駆逐艦とかではなく水雷艇、しかもマジで<友鶴>もとい千鳥型水雷艇なのはお察し下さい。
| スレイプネル級 | 千鳥型水雷艇 | |||
|---|---|---|---|---|
| 初期グループ | 第二グループ | 竣工時 | 改修後 | |
| 基準排水量 | 597t | 632t | 535t | 600t |
| 満載排水量 | 708t | 719t | 785t | 815t |
| 最大速力 | 32kt | 30kt | 28kt | |
| 航続距離 | 3500海里/15kt | 3000海里/14kt | N/A | |
| 砲・機銃 | 10cm/40単装砲*3 40mm機関砲*1 など |
10cm/40単装砲*2 40mm機関砲*1 など |
12.7cm/50連装砲*1 12.7cm/50単装砲*1 など |
12cm/45単装砲*3 など |
| 雷装 | 533mm連装*1 | 53cm連装*2 | 53cm連装*1 | |
見れば分かる通り、復元性能改修後の千鳥型水雷艇の排水量に至っては、もはやスレイプネル級を圧倒している。というかむしろ基準排水量がスレイプネル級以下でこの兵装の千鳥型水雷艇(竣工時)、そりゃひっくり返るのも納得というレベルの代物であることのほうが露呈してしまった気がするが、それにしても小さい駆逐艦であった。
1940年のノルウェー侵攻によりドイツ海軍水雷艇となった<イーレル>(<レーヴェ>)、<オーディン>(<パンター>)、<バルデル>(<レオパルト>)、<トール>(<ティーガー>)の四隻については、1941年にドイツ製の兵装への改装が行われている。
改装の内容は四隻とも同じで、42口径10.5cm速射砲を単装一基、37mm対空機関砲を2門、20mm対空機銃を2門の搭載となった。<パンター>のみは同年中にさらに20mm対空機銃2門を追加装備している。
いっぽうこの戦いでノルウェーを脱出し、イギリスを中心とする連合軍の海上部隊に加わった<スレイプネル>は、1942年6月にイギリスにおいて改装を受けた。
この改装で主砲は残しつつ雷装と機銃類を降ろし、代わりに10.2cm高角砲(QF 4inch Mk.V)単装2基、エリコン20mm機関砲Mk IIが2門を追加するなど、防空能力が大きく強化されている。
なお、この時に降ろされた10cm砲は北極圏のノルウェー領スヴァールバル諸島に送られ、1943年のドイツによるスヴァールバル諸島攻撃で破壊されるまでのあいだ沿岸砲として使用されたといわれる。
ノルウェー海軍に戻って以降、1950年代にはフリゲートとしてあらためて改装が行われた。
改装の内容は全艦(二次大戦中に戦没した<エーゲル>除く)共通で、主砲が50口径7.6cm単装砲3基に変更、さらに40mm機関砲2門、20mm機銃2門、ヘッジホッグ対潜迫撃砲、爆雷24個といった陣容となり、対潜能力が強化された。
ネームシップの艦名「スレイプネル」はすなわち北欧神話のスレイプニルのことであり、以下6隻すべてが北欧神話より名前を取っている。「スレイプニル級強襲艦駆逐艦」って言われるとなんかスペースオペラっぽい
ドイツ海軍で運用された4隻については、それぞれ猛獣からドイツ語で名前が取られた。今度は戦車っぽい
1934年起工、1936年進水し翌年に就役。
1939年の二次大戦勃発後、同年末に発生した冬戦争にあたっては、ノルウェー最北端のフィンマルク県に配備されて中立維持のためのバレンツ海沿岸警備に就いている。10月末から11月初頭には、ノルウェー北部の港町トロムソに避難したアメリカ商船<シティ・オブ・フリント>を退去させる役を担った。
翌年4月、ドイツのノルウェー侵攻が発生。この時、水雷艇<トリッグ>、警備艇<コモンヴェアルト>とともに当時ノルウェー中部のオーレスンにいたドイツ商船<ルーアオルト>とトロール船<テューリンゲン>を鹵獲した(前者はそのまま放棄)。4月後半には南部沿岸の防衛に移動し、ソグネ・フィヨルドでドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の空襲を受けた際には爆撃機を撃墜する戦果も挙げている。
そして同月25日、ノルウェーを脱出し、イギリス領シェトランド諸島を経てスカパ・フロー軍港に到着。ノルウェー艦艇のままイギリス海軍の指揮下で護衛任務に従事することとなり、以降156回の船団護衛を実施した。1944年3月、予備役編入されモスボール保管となったが、1945年春のドイツ降伏によりノルウェーに戻り、1948年にフリゲートとして再就役。1950年代には再改装も受けたものの、1959年までに退役・解体された。
1936年に進水した<エーゲル>は、就役後の二次大戦勃発により、ノルウェー中部から西部にかけての沿岸地帯に配備された。冬戦争にあたってはフィンマルク県での警備にも就いている。
ドイツのノルウェー侵攻が開始された1940年4月9日には、南西部の港町スタヴァンゲル周辺で不審なドイツ商船<ロダ>(ノルウェー占領後に使用する予定の対空砲を偽装搭載していた)の拿捕を試みたが、船員が抵抗したためこれを撃沈した。
同日中には、さらにドイツ空軍第4爆撃航空団のJu88爆撃機の襲撃を受ける。<エーゲル>は対空火器によって2機を撃墜したものの、航空爆弾の直撃を受けて対空戦闘不能におちいったため、やむをえず放棄された。艦は沿岸部に漂着し、残された兵装はドイツ軍によって回収・使用されている。
1938年に進水し、翌年に竣工。
ノルウェー北部に配備され、冬戦争に対応してのフィンマルク県での警備も担当し、機雷への対処などを行った。
1940年4月9日、ドイツ軍がノルウェーに侵攻した時、<イーレル>はちょうどノルウェー最南部の港湾都市クリスチャンサンに入港しており、ドイツ軍による最初の上陸のひとつを迎えることとなった。<イーレル>はドイツ空軍の爆撃に対抗したものの、ドイツ軍によってクリスチャンサンは占領され、埠頭に係留されていた<イーレル>もそのまま拿捕された。
拿捕された<イーレル>はドイツ海軍に編入され、水雷艇<レーヴェ>と改名。<パンター>(<オーディン>)、<レオパルト>(<バルデル>)、<ティーガー>(<トール>)とともに第七水雷艇隊を編成し、スカゲラク海峡・カテガット海峡方面で船団護衛と訓練任務にあたる。1941年にはドイツ製兵装への改装も受けた。その後、バルト海沿岸で魚雷揚収艇として活動。1945年1月、東プロイセンからの避難民を満載した客船<ヴィルヘルム・グストロフ>が潜水艦の雷撃を受け撃沈された際には唯一の護衛艦艇を務めており、500名近くを救助している。
同年5月、ドイツの降伏によりノルウェー海軍に返還され、駆逐艦<イーレル>として復帰。1948年にはフリゲートに類別変更された。1950年代には再改装されたが、1959年までに退役・解体された。
1939年に進水・就役。
1940年4月8日(ドイツ軍のノルウェー侵攻前日)、ノルウェー近海でポーランド潜水艦<オジェウ>に撃沈されたドイツ貨客船<リオ・デ・ジャネイロ>(ノルウェー侵攻部隊の一部を輸送していた)の乗員を救助している。翌日のノルウェー侵攻発生時には<イーレル>とともにクリスチャンサンにあり、ドイツ軍の上陸に抵抗して防空戦闘を行ったが、かなわず拿捕された。
4月20日、ドイツ海軍に水雷艇<パンター>として編入。第七水雷艇隊を編成してスカゲラク海峡とカテガット海峡方面で船団護衛・訓練任務にあたった。翌1941年にはドイツ製兵装の改装も受けたが、1942年より魚雷揚収艇となりバルト海沿岸で活動した。
1945年5月、ドイツ降伏時にはノルウェー南岸にあり、駆逐艦<オーディン>としてノルウェー海軍へと復帰。1948年にフリゲートに類別変更、1950年代の再改装を経て、1959年までに退役・解体された。
1939年に進水した<バルデル>は、1940年5月にドイツのノルウェー侵攻を受けた際には未だ艤装中であり、ドイツ海軍水雷艇<レオパルト>として同年7月の竣工を迎えた。なお、この「レオパルト」の名は、ノルウェー侵攻中の同年4月30日に衝突事故で喪われた1924型水雷艇<レオパルト>を継ぐものであるが、この1924型水雷艇のほうが基準排水量で300t大きい。
僚艦とともに第七水雷艇隊を編成して活動し、1941年には改装を受ける。1942年には魚雷揚収艇となったが、1945年のドイツ降伏を受けてノルウェーに返還され、ようやく駆逐艦<バルデル>としてノルウェー海軍に就役した。1948年にフリゲートに類別変更、1950年代には改装を受けている。1958年と1962年には、ノルウェーが開発したテルネ対潜迫撃砲の実験をアメリカ海軍と共同で行い、標的艦を担った原子力潜水艦<ノーチラス>に直撃させたこともあるという。1962年退役。
<トール>は1939年に進水したが、艤装未了のまま1940年5月のドイツによるノルウェー侵攻を受けた。この時ノルウェー南部のフレドリクスタで艤装工事を行っていた<トール>は艤装員を降ろしての自沈を選んだが、進駐したドイツ軍は<トール>を浮揚して艤装工事を再開し、同年6月にドイツ水雷艇<ティーガー>として就役させた。この「ティーガー」の名は、1939年8月27日、訓練中に駆逐艦<Z3 マックス・シュルツ>との衝突事故で喪われた1924型水雷艇<ティーガー>の名を継ぐものであり、そういうわけで当然先代である水雷艇のほうが大(ry
第七水雷艇隊の一隻として活動し、1941年に改装。1942年からは魚雷揚収艇としてバルト海沿岸の第27潜水隊群に所属する。1945年5月のドイツ降伏時にはデンマークにあり、駆逐艦<トール>としてあらためてノルウェー海軍に就役した。その後、1948年のフリゲートへの類別変更、1950年代の改装を経て、1959年に退役・解体。
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最終更新:2025/12/20(土) 16:00
最終更新:2025/12/20(土) 16:00
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