レッドラム(Red Rum)とは、1965年アイルランド生産・イギリス調教の牡馬(障害に転向してからは騸馬)の競走馬である。
イギリス最大の祭典、グランドナショナルを史上唯一3度制した名馬。
父Quorum、母Mared、母父Magic Redという血統。
父クオラムは通算18戦6勝の成績でマイルの大競走サセックスSを制した短距離馬。
母マレッドは5戦1勝で目立った成績もなく、近親で馴染みがある名前といえばマレッドの伯母の仔に日本に輸入された*ファバージがいる程度。
母父マジックレッドは父父が大種牡馬ネアルコの父であるファロスであるという程度の凡庸な馬。
正直言って地味な血統の一言であり、1歳6月のセリで400ギニーという安値で落札された。
馬名の由来は父と母の語尾を合わせた単純なもの。Murder(殺人)を逆さに読んだ意味合いでのRedrumは、スティーブン・キングの小説「シャイニング」が元ネタであり、同作は1977年発表なので本馬とは関係がない。
デビュー初戦はグランドナショナルが行われるエイントリー競馬場で同着勝利するものの、その後はハッキリ言って地味。
2歳時は8戦2勝の成績で、3歳時には売却競走で1つ勝利したものの、9月から共同馬主になった人物の口添えもあって障害デビュー。
ちなみにイギリス・アイルランドの障害はハードル(置き障害)とスティープルチェイス(固定障害)の2つの分野がある。
読者がイメージするであろう日本の障害は後者のスティープルチェイス分野であり、グランドナショナルも後者である。
前者のハードル分野は小さく取り外しが出来る障害で、比較的平地のスピードを活かせる競走であり、血統が短距離馬であったレッドラムも最初はハードル分野で障害を始める事となった。
また、イギリスの障害は10月から翌年の4月が1シーズンとなっている為、ここからはシーズンごとに区分する。
ようやく障害デビューして、1968/69シーズンは10戦3勝・2着2回・3着2回のまずまずの成績だったが、69/70シーズンは14戦して0勝・2着2回・3着1回・競走中止2回と一転して冴えない成績に。
70/71シーズンからようやくスティープルチェイス分野に転向して、この年は13戦3勝・3着7回とハードルよりは安定して入着、71/72シーズンは12戦2勝・2着1回・3着3回の成績で終わる。
そして71/72シーズンが終わったところでレッドラムに運命の出会いが起こる事となる。
イギリスの調教師にジンジャー・マケインという男がいた。この男、グランドナショナルに憧れて調教師になったものの、競馬一つで生活は難しく、タクシー業者と調教師を兼任していた。そのタクシー業が経営不振に陥り、一時は調教師の仕事を辞めていたが、後に経営改善すると、再びグランドナショナルへの思いが再燃し競馬業を再開。
そんなある日、ノエル・ル・マーレという馬主がマケインのタクシーに乗った。この男もグランドナショナルを制する馬を持つことが夢であり、マケインと意気投合。
マーレ氏はマケインにいつか馬を買ってあげようと約束をすることとなった。
さて、71/72シーズンのレッドラムは骨膜炎に悩まされていた。日本の競馬ではソエと呼ばれていて、若い馬が成長中に起こしやすいケガであり、成長と共に自然と治るのが普通だが、レッドラムのソエは慢性化しており、中々治ることは無かった。
馬主サイドもレッドラムの実力は認め、将来のグランドナショナルも視野に入れていたが、ソエが治らなかった為、引退も考えていた。しかしながら普通に引退させるくらいならばと、8月のドンカスターのセールでレッドラムを売ることにした。
そのセールでマケイン調教師はレッドラムに目を付けた。レッドラムを当時管理していたティム・モロニー師は売却に反対しており、買い戻すために5000ギニーまで用意していたが、マーレ氏の援助を受けていたマケイン調教師は6000ギニーを掲示。これにはモロニー師も断念せざるを得ず、晴れてレッドラムはマーレ氏所有の元、マケイン調教師が管理する事となった。
購入後、マケイン調教師はレッドラムを地元の砂浜に連れていき、そこで脚を海水に浸らせながら訓練をし、ソエを劇的に改善させたという逸話がある。
調べれば本当に写真付きで出るので真実なのは間違いないが、何故海水でソエが改善したのかは完全に不明である。
しかしながら、ソエが改善されたことによって、レッドラムの快進撃がようやく始まる事となった。
72/73シーズンからマケイン師管理の下で始動したレッドラムは9月から11月に掛けて出走した5レース全てに勝利する最高の出だしとなった。
年明けからのレースは3着、2着、4着と勝利することは出来なかったが、満を持してイギリス障害競馬最大の祭典「グランドナショナル」へと進む事となった。
このレースでレッドラムは145ポンド(約65.8kg)を背負い1番人気。同じく1番人気のオーストラリア出身の障害の名馬クリスプが168ポンド(約76.2kg)を背負っていた。
……クリスプ重すぎない? と思うが、グランドナショナルというレースはハンデ戦なのである。障害で実績(勝利したレースの格や着差を考慮)を作っている馬は過酷なハンデを背負わされるが、レッドラムはまだそこまで派手な実績は無かった故、比較的マシな斤量に収まったのであった。
レースはクリスプが快調に逃げ、一時は大差を付け独走、しかしレッドラムは最後から2番目の障害から一気に差を縮め、ラストの障害を飛び越えた時点でのクリスプとの差は約15馬身。
普通なら絶対に届かないであろうセーフティーリードである。既に約6500m走って30個もの障害を飛び越えている馬にとってこの差は余りにも大きい。
ところがレッドラムはまだ完全にはバテてはいなかった。動画を見れば分かるが、先頭のクリスプがフラフラになりながら走っているのに対し、レッドラムは真っ直ぐ勢い良く走りグングン差を縮めて、ゴール寸前でクリスプを捉えて勝利。
勝ちタイム9分1秒9は当時のレコードより18.5秒も早いタイムで、現在で見ても史上5位のタイムと非常に優秀な内容でもあった。
……もっともクリスプとの斤量差が10kg近くあったことを考えれば、その恩恵が多大にあったのは事実であり、クリスプへの同情論も強かった。
73/74シーズンは9月から2月にかけて7戦4勝・2着3回と上々の成績で終えたが、グランドナショナル前のレースでは騎手が落馬し競走中止。
それでも予定通り2度目のグランドナショナルへと駒を進めたが、前年とは打って変わってレッドラムの斤量は168ポンドと前年クリスプが背負わされたトップハンデを今度は自分が背負う側になってしまい、人気の方も3番人気だった。
対抗馬は前年のグランドナショナルで3着に入り、イギリス障害定量戦のチャンピオンを決めるチェルトナム金杯を連覇した実績を持つレスカルゴという馬が167ポンドを背負い2番人気、レッドラムのかつての主戦トミー・スタック騎手が乗るスタウトという馬が140ポンドという軽量が評価されて1番人気であった。
しかしレッドラムは軽快に障害を飛び越えながら先行し、最後から2番目の障害辺りでレスカルゴが詰め寄るもののレッドラムが再び突き放し勝負あり。
最後は2着レスカルゴに7馬身差をつけて優勝し、史上5頭目のグランドナショナル連覇を果たした。
なお、4月にもう1レース走って167ポンド(約75.8kg)を背負いながらも勝利し、最終的には10戦6勝・2着3回・中止1回と堂々たる成績でシーズンを終えた。
ところが74/75シーズンからのレッドラムは低迷期に入ってしまう。
グランドナショナルまでのレースは6戦2勝・2着1回・3着1回とグランドナショナル2連覇した馬にしては何とも言えない成績を残してしまい、3連覇がかかるグランドナショナルに不安を残す結果であった。
斤量は前年と同じく168ポンドであったが、前年に引き続き対抗となったレスカルゴは157ポンド(約71.2kg)と約5kgも差があった。
レースでは最後の障害を飛び越えた時点でレッドラムとレスカルゴが並んで直線の末脚勝負となったが、斤量差と重馬場が影響してレスカルゴにグングン差を広げられてしまい、大差で2着に敗れてしまう。
相手もまた障害の名馬だったとはいえ、以前のクリスプ同様レッドラムの名誉が損なわれる事は無かった。
75/76シーズンも調子は上がらず連敗を繰り返す。グランドナショナルまでに前年最後に勝ったレースから既に11連敗もしてしまっていた。その間、シーズン4戦目で敗れた際に「今のレッドラムにグランドナショナル3勝目はもうムリだよ」と言った主戦のブライアン・フレッチャー騎手がマケイン師の不興を買って降板となり、スタック騎手が再び主戦となった。
それでもグランドナショナル3勝目を目指して出走。斤量は前年よりも少し軽くなった164ポンド(約74.4kg)だったが、やはりトップハンデであった。
最終障害を飛越した時には先頭であったが、12ポンド(約5.5kg)も軽いラグトレードという馬に交わされて、懸命に粘るものの2馬身差2着に敗れてしまった。
その後のレースでも勝てず、気付いたらレッドラムは13連敗してしまい、75/76シーズンは無勝利に終わってしまった。
競走馬としてのピークはもう厳しいのは誰の目にも明らかであったが、グランドナショナル3勝目の夢を諦めきれずに現役を続行。
76/77シーズンの初戦を勝利して連敗を止めるが、その後も勝てず再び連敗街道に入り5連敗。
通算5度目のグランドナショナルへと駒を進め、この年は162ポンド(約73.5kg)と若干軽くなった程度であったが、1番人気は148ポンド(約67.1kg)のアンディパンディに譲りレッドラムは2番人気。
レースは、グランドナショナル最難関と言われるビーチャーズブルックで落馬が相次いだものの、レッドラムは上手く交わしつつ先行し、2度目のビーチャーズブルックで1番人気のアンディパンディが落馬してしまった直後にレッドラムが先頭に立つ。
残りの障害も難なく飛越し、最後から2番目の障害でレッドラムを唯一追いかけていた馬がいたものの、飛越に失敗して失速。
残す最後の障害をレッドラムは無事に飛び越えて、エイントリー競馬場の観客たちが大きく沸き立ち、最後は25馬身とも言われる大差圧勝でレッドラムがグランドナショナル3勝目という大偉業を成し遂げたのであった。
その後も6度目のグランドナショナルへ向けて現役を続行したものの、レース前日に跛行(異常歩様)が見つかり、検査の結果疲労骨折が判明した為、レースに出ることなく引退。
レースに出る代わりにレース前のパレードに参加したところ大好評だった為、以降のグランドナショナルのレース前のパレードにはレッドラムが参列する事が定番となった。
最終成績は通算110戦27勝・2着15回・3着22回、内障害は100戦24勝・2着14回・3着20回と13歳まで走り抜き、大きな怪我は最後の骨折程度であるという頑丈な馬であった。
何より誇るべきは完走するだけで褒め称えられるグランドナショナルに5回出走し、3回優勝・2着2回という100%の連対を果たしたことであろう。
実はレッドラムが現役だった頃のグランドナショナルは存続が危ぶまれていた。
と言うのも、毎年落馬事故が相次ぎ、予後不良となる競走馬が後を絶たなかった為、動物愛護団体が当然黙っているわけもなく、毎回大きな非難を浴びていた。
加えて、エイントリー競馬場の所有者が1964年に競馬場の土地を売却してしまい、毎年の様に「最後のグランドナショナルになるかも」と言われ続け、所有者が変わった後も経営が安定しない状況が続いた。
そんな中、レッドラムがグランドナショナル通算3勝を達成して国民的ヒーローになった事で支持が急上昇。1983年にジョッキークラブが晴れて所有権を購入した事で、イギリス競馬が続く限りグランドナショナルが開催されることとなった。
引退後のレッドラムはマケイン師の下で悠々自適に繋養されていたが、1995年の10月18日に30歳で死去。その訃報はイギリス中の全国紙の一面に記載されたという。
レッドラムの遺体はエイントリー競馬場のゴールラインのすぐ近くに埋葬されており、立派な墓碑と銅像が建立され、常に花束で埋め尽くされている。
2018~19年にかけて、タイガーロールという馬がレッドラム以来のグランドナショナル連覇を成し遂げ、2020年4月4日に史上初の3連覇に挑もうとしたが、不運にもCOVID-19の余波で中止。
翌年は前哨戦で敗れた後にハンデを嫌って回避したため、グランドナショナル3連覇への挑戦は幻となった。
レッドラムの偉大さをありありと思わせられる出来事であった。
Quorum 1954 芦毛 |
Vilmorin 1943 栗毛 |
Gold Bridge | Golden Boss |
Fiying Diadem | |||
Queen of the Meadows | Fairway | ||
Queen of the Blues | |||
Akimbo 1947 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout | |
Plucky Liege | |||
Bulolo | Noble Star | ||
Pussy Willow | |||
Mared 1958 鹿毛 FNo.25 |
Magic Red 1941 芦毛 |
Link Boy | Pharos |
Market Girl | |||
Infra Red | Ethnarch | ||
Black Ray | |||
Quinta 1953 鹿毛 |
Anwar | Umidwar | |
Stafaralla | |||
Batika | Blenheim | ||
Brise Bise | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Fairway=Pharos 4×4(12.5%)、Blandford 5×5(6.25%)
1973 Aintree Grand National Red Rum extended full race coverage - YouTube (1度目のグランドナショナル制覇)
1974 Aintree Grand National Red Rum extended full race coverage - YouTube (2度目のグランドナショナル制覇)
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掲示板
1 ななしのよっしん
2020/03/14(土) 19:44:00 ID: Ca8JQN/H4t
競走馬の一覧で、レッドラム記事を希望した者です。
>恐らくこのような馬は他に現れないであろう偉業
Red Rum's Songの一節で“The Greatest Horse I've ever seen,The Greatest Horse ever run”と謳われていましたが、世界で最も速い馬は数あれど、世界で最もタフな馬は間違いなくこの馬ですよね。
作成ありがとうございます。
タイガーロール(今日で頂度10歳、オジュウチョウサンの1期上)にも頑張ってほしいところですが、果たして・・・
2 ななしのよっしん
2020/03/14(土) 19:49:43 ID: Ca8JQN/H4t
すみません、自己レスです。The greatest Horse The World has ever seen、でした。
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最終更新:2024/05/01(水) 14:00
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